ゴジラとガメラ

58年かけて、ゴジラとガメラ全作品を観てきた。大好きなんだ。なぜこんなにゴジラとガメラが好きなんだろうって考えてみた。最初のゴジラは恐怖の権化、戦争の深い傷跡が残る人たちに、人間がそれを抹殺できることを描いていた。実はガメラも同じだ。ゴジラもガメラも、最初は(僕が生まれる前)恐怖の象徴として描かれ、次に人類の味方としてちょっと軽薄な感じに。それはそれで、子供だった僕の心を掴んだ。ゴジラもガメラも、単独で現れる映画は恐怖の悪者として、対になる相手のいる時は絶対に負けない、強さの象徴。単なる娯楽映画とか、ヒーロー物とは違う、何か惹かれるモノがあったことは確かだ。この年齢になっても、まだ観たい。ゴジラもガメラも、平成になる直前くらいから、明らかに路線が変わってきた。というより、戻ってきた。ストーリーはよく練られており、理論や現象に破綻は無い。

映像はリアル。特撮やCGは徹底的に造られている。

要は、大の大人たちが寄ってたかって、真剣に仕事をした結果なのだ。ウルトラマン世代の僕にとって、それがたまらない魅力なんだ。

「自然」というのは大きくて、厳しい存在である。種としての人類の命など、何のためらいも無く奪う。それをゴジラやガメラに投影して描いてる。それは、映画監督たちのインタビューなどでハッキリしている。今回のゴジラは、それらの集大成であると同時に、エンターテイメントとして、次につなげている。見事に。人類が地球にダメージを与えた結果(例えば核の乱用)生まれた脅威と戦う正義の味方を描いていながら実は、ゴジラやガメラが本当に戦う相手は、地球に対しての脅威である。つまり、これ以上人間たちが地球に対して良くないことを続けたら、今度は僕たちが潰されるという刷り込み。それは子供たちの方がより、潜在意識に刻まれるだろう。調子に乗りすぎていると、恐ろしい怪物が襲ってくるから、正しいことをしなさいという教えだ。今回のゴジラも同じだった。監督のインタビュー記事で、とても興味深い言葉があった。「自然というものが再び王冠をかぶっている世界。人類はふたたび自然に従属する存在にならねばならない」大地(土)・空気(風)・太陽光(火)・水 これらが無ければ、生きてゆけない。作り手が、真剣な想いを込めて描いた怪獣映画だ。それを理解した上で、もう一度映画館で観てこようと思う。一次産業に身を置く僕だ。環境に対しての配慮もしなければならないし、僕なりの、「自然」に対する「畏敬の念」や、「環境」を大切にしたいという気持ちも大切だ。

石油製品や、電気、水道も無ければ生きられない。太陽の光以外は、全て地球の恵みだ。

やっぱりそこをしっかりと心に留めて、山と対峙したいと思う。大好きなゴジラやガメラに潰されることの無いように。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

コメントを残す