ホンモノ・ニセモノ

随分前、僕がまだジネッタを所有していた頃だ。たまたま、猿投グリーンロードのパーキングで、古いジネッタと遭遇した。同じ車に乗る者どうし、すぐに話が始まった。その時「これはホンモノですから」と、自慢げに言うそのおっさん。僕が乗っていたのは、リ・プロダクトモデル。1962年にデザインされたその「G4」という車は、一度生産打ち切りになった。その後、同じ生産者が、昔の型を使ってもう一度、1996年に造り直した車だった。もちろん、僕のも「ホンモノ」だったんだ。
そのおっさんは、1965年のモデルだと言っていた。オリジナルに忠実で、ピカピカに磨き上げられていた。走り方もゆっくり。「スポーツカーは走ってナンボでしょう。サーキットとか行かないんですか?」と聞いた僕に対して、「そんなことしたら車が痛む。売るときに安くなっちゃう」と。
僕は、オリジナルを尊重しつつ、自分で手を入れていた。それは、サーキットを気持ち良く全開で走れるような手の入れ方。アクセルを踏んでいる方が安定するタイプのマシンだった。当然、走るために生まれてきた車だ。だから、僕はサーキットに通っていた。おっさんは、投資対象として、自分の車を見ていた。だから、そんなおっさんに自分の車を「ニセモノ」扱いされても腹は立たなかった。同じ車を所有していても、価値観が全く違う。だからそれは良い悪いじゃなくて、単に違うということだから。
そのおっさんも、僕も正しい。そして、どちらの車も「ホンモノ」なんだ。
「ホンモノ」と「ニセモノ」の違いって何だろう?
車で言えば、レプリカモデルというのがある。中身は違うのに、外観を作り変えて、「ホンモノ」に近づける手法だ。たいていの場合、すぐにバレる。
僕は、それだって「ホンモノ」でいいと思ってる。その車のオーナーが、憧れている車は手に入らないけど、外観だけでもそれに近づけて大切にしたいと願うんだ。そのオーナーにとっては「ホンモノ」である。機械としての能力だって、車に関しては、オリジナルのノーマルよりも、レプリカでチューニングした方が良くなることはある。
人も「ホンモノ」はある。僕の周りにも明らかに存在する。
僕が見た「ホンモノ」たちはみな、目つきがいい。総じて、外観には無頓着だけど、不潔感は無い。そして、そのほとんどが職人と言われる人たちだ。自分と誰かを比べて「良い・悪い」を判断しない。あくまでも、自分の中に価値基準があって、それを守るんだけど、融通を効かせて、柔軟に対応している。
自信に溢れているから優しい。しかし、頑固だ。
僕もそんな「ホンモノ」になりたい。まあ、なりたいと思っているうちは、まだまだ「ホンモノ」では無いということ。それはハッキリと自覚している。
僕が炭やき職人になろうと思ったのは、誰かに憧れた訳ではなくて、70歳頃の自分自身の姿に憧れて決めた。「頑固だが、楽天的なジジイ」になるためには、あと15年、ひたすらに身体を動かして、山の恵みを頂いて、「手で考える」ことのできる職人になること。それが、僕なりの「ホンモノ」になるための道だと思っている。
人の真似から始めようと、大した動機も無く始めようと、一旦自分が取り組んだことに対して、きちんと取り組んで、人の目など気にせず、まっすぐ進んで、自分のものにすれば、それが「「ホンモノ」だと思う。
自分への戒めとして、備忘録として。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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