昨日も草刈り、今日も草刈り。異常なくらい暑い毎日なので、草を刈る時間は朝の8時から10時、夕方4時から5時と決めている。草刈り機の燃料が尽きたら、そこで終わり。無理してやらない。これが鉄則。
毎日名も無き山の懐に抱かれて眠り、鳥の声で目覚める。何てことはない、普通の日々。お金を稼ぐためだけの毎日でもなく、自分で決めた段取りで、自由にやらせてもらっている。でも、最低限の現金収入は必要。食費、家賃、光熱費、車の維持費(可動車で3台)、車の燃料、道具の維持費、道具の燃料・・・今のところ、何とかなっている。今月の稼ぎが来月の生活費に回ってるけど・・・地べたを這いずり回って、熊手で小銭をかき集めるような暮らし。
それでも、僕は毎日落ち着いているし、充実しているんだ。それは山を相手に仕事させてもらっているからかな。
山は、母なる大地そのものだ。空気を生み、水を育む。全ての生き物の源だと思う。海もそうだけど、僕は山が好きだ。
実は昨日、ジブリの鈴木敏夫さんと会って話をする機会があった。僕がリスペクトする大工の中村武司さんの計らいで。中村さんは、往復2時間かけて、鈴木さんをこの山村へ連れてきてくれた。このしがない木こりの話を聞かせるために。
僕はすごく緊張するかもしれないと思った。けれど、実際には全く平常心で深い話ができたんだ。それが嬉しかった。鈴木さんは、穏やかで大きな器を感じさせてくれた。さすがだと思った。
僕が預かっている現場にお連れして、伐採を見てもらった。50年近くひっそりと生きてきた、一本のヒノキの命を頂く行為。生産というより、搾取に近い。だからこそ、僕は伐った木をきちんと使いたい。本気でそう考えている。
何故木こりを始めたのか?どうして炭をやいているのか?何のために木を挽くのか?あらためてそんなことを聞かれ、話をしてみて、あらためて自分は恵まれているし、こんな幸せな毎日は他には無いとつくづく思ったんだ。
地球の環境のためとか、子孫のためとか、僕はそんなカッコイイ事を言ってる。でも本当の動機はただ、僕がしたいからしているだけ。結果的に、誰かの役に立ったり、誰かを幸せにしたり、地球に優しかったりすればそれでいい。
自信と迷いと想像力と現実とポジティブとネガティブと楽観と悲観。その全てを自分で受け止め、受け入れる。自分の感性を信じて日々、動く。
頭を下げる相手は自分で決める。
憧れるのは、自分自身の未来の姿。
結局、全てのことは約束されたことなんだし、たった独りで山仕事をしていても、仲間や愛する人たちの助けや情けがあってこそ僕は働けるんだ。
美しく優しき母なる地球は、黙って僕らを乗せて回っているし、そんな地球がぽっかりと浮かんだ父なる宇宙(そら)は力強く、しかも穏やかに、絶対的に存在しているんだ。たとえ僕の命が尽きても、そんなことは関係なく、存在を続ける。
無茶はせず、多少の無理はして、手を抜かず、でも自分の身体と相談しながら動く。
父なる宇宙(そら)は僕を見守ってくれる。
名も無き山に棲む神々たちは、僕の全てを見抜いている。
ナウシカやもののけ姫を、僕は何回も観ているし、観る度に感動しているんだ。
鈴木さんの描きたいことって、普遍であり不変なことなんだと思う。人間が一番偉いのではなく、全ての生き物、森羅万象宇宙に生かされているってことなんじゃないかな。
日々の仕事で、それを感じながら、それをこの手で考えることができる僕は、本当に恵まれているんだ。そう感謝しながら、日々動いてゆきます。