僕は恵まれている。ここ、旭の山村に空き家を借りて住み始めて5年。僕が目指す生き様、理想の暮らし方が段々と見えてきた。その暮らしは独りかもしれないし、誰かと一緒かもしれない。
僕は木こりだ。木を選び、伐るべき日に伐り、然るべきその時まで山で乾かし(葉枯らし)、その木を挽く仕事のイメージを基に木を刻み、丁寧に出す。
僕は木挽きだ。その木が生きるような形に挽く。生まれ変わった木々たちは、僕が生涯を過ごす家の部材になる。デザインや設計はプロの手を借りる。建築も、プロの手を入れながらも、可能な限り自分で。木を選ぶところから、家になるまで、自分のこの手を使うんだ。
派手ではないけれど、存在感のある家になる。そこには、土間があり、納屋のようなスペース。
土間にはいつも、大きな火鉢に炭火が熾きている。僕はその土間で過ごす時間が多くなるはずだ。
僕は炭やきだ。裏山には炭窯を打つ。炭やき職人の一番大切な道具を家の裏に造る。それが僕の一番やりたいことだから。必要最低限稼ぐために、他にもいろいろとやります。山の恵みを、山にあるエネルギーを使いつつ、あるようで無かったモノを造り出す仕事です。
僕が棲む家の細かいデザインやディテールはこれから。コンセプトは「炭やき・木こりの棲む家」。名付けて「木こりモジュールハウス」。
平屋で、越し屋根の北窓採光。小さくてカッコイイ家。柱や梁はしっかりと組む。木組みに拘りすぎないように、金具を使うのもOK。壁は板倉造りにするか、縦使いにするか。少なくとも、葉枯らししたスギをたっぷりと使う。床や壁は3寸使いで。断熱材がいらないくらいの家にしたいんだ。
その家は、モデルハウスになる。僕たちの仕事につなげたいと真剣に考えているし、準備も着々と進んでる。
小さくて質素だけど、密度の高い家。お金が無くても豊かな暮らしを紡げるような木の家。陽だまりいっぱいの家。
僕が選んで、伐って、挽いた木々たちを使う。それが誰かの「命の箱」になるって、僕も幸せだし、お金を出してそれを建てる人たちだって幸せになる。
家を建てる土地のまん前の田んぼを借りることにした。畑も借りる。できれば、自分の食べるもののほとんどを自分で作りたいと思う。流行や派手さとは無縁の、カッコよさとは正反対の、土とおが屑にまみれ、小汚い作業着と、炭の粉で真っ黒の顔。見た目は悪いけど、僕は誇り高く生きる。少なくとも自分が使うエネルギーを自分で獲る。
山の恵みを戴いて暮らすんだ。もちろん、電気は普通に使う。ネットや音楽の無い生活は考えられないから。水道は、できれば井戸を掘りたい。予定地の隅には、昔使っていた井戸の跡がある。掘ってみる価値はある。
ガスは最低限でいいから、カセットコンロで済ませたら理想的だ。仕事柄、煙道(くど)や竈(かまど)は自分で作れるし、パンとピザを焼く釜も作ればいい。いつも炭火が熾きている生活だから、それを種火にして、給湯と床暖房は今使っているボイラーで。メインの暖房も、今使っている薪ストーブだ。どちらの燃料も、自分で調達できる。山の時間に身を委ねて、自分たちのために食事を作り、火を熾す。それが日々の仕事。生きることが仕事であるような暮らしをしたいんだ。
僕はマクロビやパーマカルチャを否定はしないけど、傾倒もしない。基準は自分にあるし、自分の評価は自分でする。お天道様と山の神がしっかりと僕の生き方を見ている。それを胸に、堂々と生きてゆくと決めている。
そして大切なことは、それを僕が日々の暮らしで当たり前にすること。特別な能力も、資本もいらない。強くて柔軟なココロと丈夫なカラダを作ってゆけば、誰でもできる本当に豊かな暮らしなんだということの前例になればいい。地域の仕事もこなし、自分の食いぶちも確保し、質素だけれど笑顔で、自分の愛する人や環境を守ってゆければ、
それだけでいいんだ。それを続けるためには、稼ぎだって必要。そこもキッチリとやってゆきたい。
ヨソモノとして、地域のために貢献できることは、その地域の「夢」になることだそうだ。こんな僕が、誰かの夢や希望になれるとは思っていないけれど、前例として「あれならやれそうだ」くらいの身近な目標にはなれるかもしれない。
仕事と稼ぎの両立と僕の生き方、地域での暮らし方は全てシンクロしながら動き続けるから。地に足着けて、頑張ります。