山を相手にするということは、地球を相手にすることです。僕ら木こりは、山に絶対の畏敬の念を払いつつ、山から資源を頂かなければなりません。超えてはならない一線を意識しつつ、立ち向かってゆくことに、仕事の喜びがあります。
間伐は、その結果を自分で見ることの無い仕事です。
伐ってから数十年後でないと、本当の効果が見えないからです。
間伐することで、林に光が入り、埋土種子が待ちかねたように芽を出し、潜在的な(その場にあった種)植生に推移するのに、長い時間がかかるからです。命の水を生み出す山に戻るのには、僕の時間で言う一代では無理なんです。
「治し方も知らないのに、壊し続けてしまった」
地球を元に戻す能力は、残念ながら人間には与えられていません。母なる地球そのものの、自己再生能力でしか、再生しません。それは人間の時計では計れない時の流れが必要になります。
内山節さんが言われる「稼ぎ」と「仕事」が存在するならば、間伐は「仕事」なんです。
「この地球は子孫から借りただけもの」ですから。
ちゃんとした形で返すのが僕たちの仕事だと思ってます。
一旦、木を植えたら、手入れをし続けなければなりません。
針葉樹だろうと、広葉樹だろうと、人が植えれば「人工林」なのです。