間伐材というランクの木はない

「間伐材」ってランクの木はありません。僕は「間伐」を仕事で請けます。間伐した木を出して、挽いて、製品にします。その木々は立派な「木材」です。「間伐」は施業の一種であり、木の品質を示す言葉ではない。今まで、何度も聞いて残念だったのは「間伐材って、山に転がってるからただでくれるんでしょ?」って言葉。確かに、小径だったり、曲がってたりする。それらの木だって、何十年か前に誰かが苗木を背負って山に入り、穴を掘って植えた木。一本一本、丁寧に。「いい柱になれよ」と願いを込めて。仕事で淡々と植えた人もいるのだろうけれど、田植え機で田植えするのとは違い、一本ずつ手で植えられている。全ての「木」に、植えた人の思いが篭っている。僕がやっている「間伐」というのは、「保残木」と「将来木」を決めて、それに対して伐った方がいい木を伐る。「太くていい木」でも、「細い将来木」に悪影響があると思えば迷わず伐る。「何割間伐だから何本伐る」じゃないんだ。その山の何十年か先、いや、何百年先、何世代も先のことを考えてデザインする。そして、できる限り、伐った木を出す。太くて真っ直ぐな「いい木」も、細くて曲がっている「おぞい木」も、同じ「木」なんだから。「おぞい木」だって、山の恵みだから。製材を始める前は、「間伐」した木を出してトラックに積んで。市場へ出していた。市の土場に着いて、受付して、グラップルで降ろしてもらって、はい積みしてもらう。その時点で、間伐した木かどうかなんて、わからなくなる。そこに積まれているのは「伐採した木材」。細かったり、曲がっていたり、太かったり、真っ直ぐだったり、目が詰んでいたり、アテが入っていたり。そこに存在する価値観は、その木一本一本の価値。ランク付けだ。つまり「いい木」か「良くない木」か。「木」そのもののランクで値が変わるのが当たり前。「間伐材」だからと、一くくりで「安くて悪い材」というのは有り得ない。「間伐材の有効利用を!!」ってキャンペーンが打たれる。それは安くて大量に出る材ってことが前提になってることが多い。建築用材もあり、バイオマス利用あり。結局、山から安く買い叩くことで、企業が儲けるしくみだ。大企業を儲けさせるために、国が補助を出す。山側に入るお金は限りなく、ゼロに近い。普通にやっていれば間違いなく赤字。「間伐材のバイオマス利用で、林業が活性化する」なんて、有り得ない。立米あたり、3万円くらいで買ってくれたら、何とかなるだろう。集成材がもてはやされ、山の木が根こそぎ持っていかれる。それだって、国の補助を受けて作った大企業の巨大工場を稼動させるため、山から安く木を持ってゆく(立米数千円だ)。接着剤まみれの、換気扇を24時間動かさないと暮らせないような木材を作るため。僕はそんな大きな流れに乗って儲けようなんて、思わない。小さな仕事でも、一本一本の木の価値をきちんと出して、ちゃんとした価格で出す。僕が拘っている 旬、新月期伐採・葉枯らし・自社製材・天然乾燥 のスギ材は、立米15万くらいで出します。そうでないと、木こりが木こりで食えない。補助金もらわないと成り立たないっておかしい。大きな林業家からは鼻で笑われるようなことかもしれない。だけど、価格を決めるのは一次生産者でなければならないと思うんだ。国の根幹を支えるのが第一次産業だと信じている。相場に左右されたり、安いのが正義とばかりの中間業者が決めた価格ではなくて、山側が、補助金をもらわなくてもやってゆける価格を考えたら最低でも立米15万なんだ。しかも、僕は伐って・出して・挽いて・運ぶ。極力、全部自分でやることでコストを抑える。伐り時、初期乾燥(葉枯らし)に拘ることで価値を高める。当たり前の企業努力をした上で、山の恵みを頂くという、謙虚な気持ちと、植えた人に対する思いを形にしてゆきたいんだ。「間伐材」って安易に使うようになったのは、林野庁から降りてきた補助金申請の文言。つまり、山側で使い始めた。自分たちの首を自分たちで絞めてしまった。今からでも遅くないので、僕たちは「間伐材」という言葉を使わない。間伐した木を、一本一本の「木」として扱ってゆきます。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。