僕は日々、自在でありたいと強く願っている。できる限りそうしているつもりだ。
以前、組織の中で理不尽な上下関係も充分に味わった。下も上もだ。その時は、誰かに支配されていた。指示を受け、それを期間内に全うすることが役目だった。
今は独り親方。週に数回は稼ぎに出て、外貨を獲得しているから、その間は組織の中で働いているけど、少なくとも、僕は支配されてはいない。時間当たりの賃金で雇われている形態。
何を言いたいかというと、今の僕は組織から離れ、自分の好きなことを、好きなようにやっている。少ない稼ぎで何とかギリギリ生きている。大好きな仕事をしている間は、時間を忘れ、まだ見ぬ7世代先の子孫たちと約束したことを、僕なりにやっている。
ふと、客観的に自分を眺めてみる。一体誰に従い、何のために仕事をしているんだろう。もちろん、稼いで食うこと。自分で見積もりを出し、危険な作業を繰り返し、運搬、納入、請求、回収。
誰の指示だろう?
誰に忠義を尽くしているんだろう?
幸せなことに、この答えはずっと前から知っている。
照れずに言えば、僕はこの地球に忠義を尽くしたい。
こんな僕を後押ししてくれる、愛する人たちを守りたい。
還暦まで数年のこのおっさんに、エネルギーを与えるのは自分自身であり、その源は山なんだ。
いつも考えている言葉が
「母なる地球、父なる宇宙(そら)」
僕はスピリチュアル系は苦手だけど、考えてみれば、この地球そのものが神秘的で、唯一の存在。ここにいることそのものが奇跡だ。濃尾平野に生まれ、育ち、いろんな経験をして、今は縁あって、矢作川の水源地で山と向き合っている。
誰のため?と問われたら、自分のため。自分がやりたいからやる。そのために、ここにいる。と答える。
僕は特別な存在ではなくて、どこにでもいるおっさんだ。
そんなおっさんがリアルに守りたい場所は、僕がガイドをしている原生林だ。大好きな場所だからこそ、手を入れずにただただ見守るだけ。
脱サラして、Iターンで山村に入って15年。15年で学んだことは、まだたったこれだけです。知識ばかり先行して、山を守るだとか、山を造るとか言ってた、生意気な頭でっかちがこの15年、身体を使って、汗をかいて、山の空気を胸一杯吸った。眠っている間も山の空気を吸っている。暮らしそのものが山の恵みだ。
我が身を山に置いたことで、ようやく知ったこと。
それは、自分の未熟さ、愚かさでした。
そして、名も無き山にも、神は棲むということでした。
僕が積み重ねた僅かなモノ「知識」は、僕がそれをこの手で考えるようになれた時に「知恵」へと変化するだろう。
今は、そんな時期だと思う。地味な動きだけど、微生物のように地べたを這い回る生き方。
それが僕の日々を支配する目標なのです。