「稼ぎ」と「仕事」

「稼ぎ」と「仕事」

これは、内山節さんや、澁澤寿一さんがよく話すことだ。


「稼ぎ」とは文字どうり、お金を稼ぐこと。日々の暮らしで、必ず必要になる。お金が無ければ、暮らしは成りたたない。田舎暮らしをしていても、家賃、電気、水道、車、携帯・・・・・現金がある程度無ければ暮らせない。
だから、「稼ぐ」。
僕の場合、木を伐り、炭を売り、板や柱を売り、原生林をガイドしてお金をもらい、アルバイトのデイサービス送迎で現金収入を得る。暮らしを成り立たせるため、嫌なことでもやらなければならない。

「仕事」とは、お金にならないかもしれないけれど、自分がやりたいことをすることだと思う。例えば、地域のこと、村のこと、すぐには現金収入にはならないけど、いろんな準備をすること。ジローの世話もそうだ。
僕は今年度、1000人ほどが暮らす自治区の、定住促進部部長をしている。年間、わずかな活動費をもらうけど、それはガソリン代、電話代程度で消えてしまう。会議や打ち合わせ、地域面談に、各町内の空き家状況を把握、部員と一緒に移住・定住を進める。これこそ「仕事」だと思う。村の草刈もそう。
誰かに言われてやることではなく、それこそ自治として、自ら動くんだ。自分がやりたいからやる。結果的に、誰かの役に立っていれば嬉しいし、本望だ。

内山さんも、澁澤さんも、「稼ぎと仕事」両方できて一人前だと、同じことを言われた。

あえて「稼ぎ」と「仕事」を区別する必要もない。「仕事」だと思って取り組んだことが、「稼ぎ」になることもある。逆に、「稼ぎ」のつもりで行ったら、「仕事」だったこともあるんだ。

これは、「自由と自在」の関係にも似ている。僕は「稼ぎ」を「自由」、「仕事」を「自在」とも捉えている。

「自由」はお金で買える。都会の真ん中だろうと、山の中だろうと誰にでも手に入る。

「自在」はお金では買えない。自ら在るように考え、行動しなければいけない。

「稼ぎ・自由」を手に入れるために、不自由や我慢をして、日々の暮らしを成り立たせる。

「仕事・自在」を味わうために、自分に厳しく、人に優しく、己を貫く。



「暮らし」のために「稼ぎ」、「生きる」ために「仕事」をする。


僕はそんなふうに考えている。



投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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