夏至の日に

昨日は夏至。夏至は一年でも特別な日。僕は日々、母なる地球と父なる太陽に生かされていると考えている。

夏至は一年で、最も光合成がたくさん行われる日だ。
僕たちの暮らしは、全てと言ってもいいほど、太陽の光が無くては成り立たない。植物は太陽光が無ければ、死に絶えてしまう。それは生態系ピラミッドの生産者層だから、植物が無くなれば、全ての生き物が死に絶えることになる。
植物以外の生き物は、太陽の恵みを直接取り込んで蓄えることができない。光合成によって蓄えられた植物体内の炭素を、植物を摂ること、植物を摂った動物を食べることで体内に入れている。だから、植物がなければ、僕たちも生きてゆけない。
もちろん、光合成で生み出される酸素も必要だ。
モノ言わぬ植物にこそ、この星の命が託されている。そして、その恵みは、決して恩に着せるようなことはなく、植物たちはただただ、生きることが仕事と、命を繋いでいる。その結果が全ての生き物たちへの恵みとなっている。
僕自身、何のために働き、何のために生きているのか?という自問自答の答えがそこにあるような気がするんだ。
自分がしたいことをする。条件は、極力、誰かに迷惑をかけないこと。「生きることが仕事」となるように自分を磨く。
花は、ただただ咲きたいから咲く。同じように、僕は僕がやりたいことをして、結果的にそれが誰かの役に立ち、誰かを幸せにできるなら、それが喜びとなる。

つくづく思う。46億年以上、宇宙(そら)にぽっかりと浮かんだ母なる地球は、一年の半分の時間、父なる太陽の光を浴びながら、回り続け、周り続ける。

夏至の日くらい、太陽と植物に感謝しても良いんじゃないかな。

僕が棲む集落には、「中(ちゅう)払い」という昔からの風習がある。
それは、夏至の日、仕事を終えたみんなが簡単な食べ物を持ち寄り、酒を酌み交わし、太陽に感謝する集まりだ。
それがコロナの影響で、今年は中止になってしまった。

それでも一昨日、お宮さんの草を刈っておいた。
そのお宮さんを中心にしたこの集落で、死んでゆこうと決めています。そんな場所に巡り合えたのは、これが約束されていたことだから。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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