久しぶりに、本当に久しぶりに午前中ゆっくりしてる。雨なので、村のみんなも稲刈りせず、静かな日曜の朝だ。先日、ちょっと残念なことがあったんだ。
あくまでも、僕の主観だけど。僕はずっと、ニコルさんが好きで、講演にも行った。亡くなった時はとても悲しかった。
先日、ニコルさんの生前の活動を伝えた番組があって、それを観た。芸能人とか、有名人がニコルさんの功績を讃えていた。黒姫のアファンの森には憧れていた。だけど、番組で紹介された活動は、木を植えるという行為だった。
番組を観るまで、あのニコルさんが、人工林を作っていたとは知らなかった。しかも、20年そこそこで植林した森が息を吹き返したと。正直、ショックだった。
ニコルさんの森は、実生で芽吹き、育った木々を大切に見守っていると思っていたから。
何度も書いているけれど、僕は木こりだから木を伐る。伐って、出して、炭にしたり、挽いたりして生きている。伐った跡地には植えるという段取りになっていれば植える。それを育て、収穫するのが林業だからだ。
人間が植えた木は、徹底的に面倒を見る。その山の所有者(固定資産税を払っている人)のグランドデザインに沿って、仕事を進める。それは、業として行っていること。環境を守る為に、人が植えた木を伐った後、本当に環境を守りたいのなら、植えるべきではない。
その山には埋土種子があって、光を入れた林床から芽を出す。それこそ、その土地に合った、山の神に選ばれた種子が芽を出して、大きく育つのだ。アファンの森は、そうやって維持されていると思っていた。ところが、広葉樹を植えていた。
地球を守るなどと自惚れた考えのもとで。自然を守りたいのなら、人が手を入れた時の状態まで、人が戻し、後は徹底的に見守るべきなのだ。子や孫に見届けてもらえばいいのだ。
地球の為と言うのなら、地球に任せるべきなのだ。人間が勝手に植えて、数十年で効果が表れるほど山は甘くない。人間には、この星を元どうりにする能力など備わっていない。
この百年の愚行は、この先何百年もかけて、反省して見守り続けることでしか取り返しがつかないんだ。もちろん、ニコルさんの事は今でもリスペクトしているし、非難している訳ではない。
環境活動家って、結局人が地球を救えるって、本気で考えているんだろうか?食物連鎖から外れ、生態系ピラミッドから弾かれた存在の人類に、この星が救えるとは思えない。
そんな偉そうなことを言ってる僕だって、スマホを使い、こうやってインターネットの恩恵を受け、化石燃料を焚いて移動したり、仕事してる。それを今更止めることはできない。
だからこそ、自然環境を守りたいのなら、植えちゃダメだ。人工林は間伐して、その先何十年か過ぎたとき、ようやく少しずつ効果が出る。自分の目で見られないんだ。それが地球を救うことに繋がるって思う。
最近は行けてないけど、僕がガイドをしている原生林に行きたくなった。大きくなりすぎて、遊歩道を歩く人に危険が及ぶ木は伐られた(とても残念だったけど、これは仕方ないと思う)。だけど、国有林という理由もあるけど、あの森には植林はされていない。何百年も前からずっと、見守られている森だ。
木を植えるってことは、いかにも良いことをしているようだけど、それはその山に対する遺伝子操作なんだ。山は一つの大きな生命体だと思う。土中の微生物たちが基礎となる生産者層を形成し、その上に食物連鎖を基に生態系ができている。人間が外から種子や苗木を持ち込むということは、栽培→収穫を意味する。その土地の所有者が林業を成り立たせるため、景観を維持するために植えるのなら反対はしない。
その森を守りたいのなら、植えたりせず、ただただ何世代にもわたって見守ることしかない。
地球を守りたいなどという理由で、愚かで薄っぺらい人間のエゴで植林し、植えた人の自己満足、植えた人がほんの数十年で環境を戻したなどという、自惚れを助長するために木を植えるのはやめて欲しい。