山仕事をすると、不思議な感覚になる。多分、命の源に触れるからなのだろう。母なる大地と、父なる宇宙(そら)をつないでいるのが山の木々たちだ。大地に根を張り、その恵みである水と養分を吸い上げ、宇宙(そら)に向かって枝葉を伸ばし、唯一地球外から入ってくる太陽光エネルギーを取り込み、反応し、蓄える。その木々は、酸素を造り、毎年葉を落とし、寿命が来たときに、自らの身体を大地に預け、再び土を肥やす。その腐葉土だけが、本当の命の水を生み出す事ができる。命の水は、山が造りだすのだ。
僕たち人間が、どうあがいても命の水を造りだす装置はできない。悲しいけれど、人間にそのような能力は備わっていない。命の水を守るには、山を守るしかなく、山を守るには、山を守る人を守るしかないのだ。
人工林の間伐に精を出す僕だけど、なぜか取りつかれたように夢中で伐る。自分の居場所を見つけたような感覚だ。先人たちが植えてくれた木々だ。無駄にする訳にはいかない。今は間伐するしかないんだ。一旦人が手を入れた森は、人が手を入れ続けなければならない。自然の摂理を無視して植えてしまった人間の愚かさ。けれど、今はそれを議論している場合ではない。
日本中で今すぐに間伐を待っている森は600万haあると言われる。だから、間伐する。僕たちの世代は伐る世代なのだ。間伐したあと、その森はゆっくりと本来の姿に戻っていく。恐らく、7~80年先だ。僕が生きている間には結果を見ることはない。僕はそれをとっくに覚悟している。それが山を守ることになるのだ。金持ちになること、有名になることはとっくの昔に諦めた。諦めたというより、そんなこと、どうでも良くなったんだ。僕は心からこう思う。名も無き山守になりたい。ただただ、水を守る人になりたい。