毎日人との関わりで生きている。
年に数度会うだけなのに、生き方を語り合える仲間がいる。
初めて会うのに、もうずっと共に頑張っている仲間のような感覚の人もいる。
まだ会ったことも無いのに、同志だと思えるような人もいる。
僕はつくづく、人に恵まれている。この一週間もそんなことの繰り返し。
多分、僕は自分で認識しているよりずっと寂しがりやで弱い。
自分で思っているよりも体力は落ちてきてる。そして、みんなが思っているよりも忙しくない。
僕が共感し、リスペクトする人はみな、孤高を貫いて、地べたを這いずり回ってる。何かひとつだけでもいい。独りで成し遂げる能力を身に着けてる。または、身に着けようともがいている。
僕が嫌いな奴は、口先だけで能書きばかりの意識高い系や活動家たち。「自分探し」などと、仲良しクラブでヘラヘラしてる奴ら。何でもかんでも、すぐに群れたがる奴ら。
僕は寡黙で、愚直で、孤独を楽しんでしまえる山の民になりたいし、何とかギリギリそこへ身体も頭も向いていると思ってる。
現場こそが真実であり、真理である。頑固で楽天的な炭やきジジイになれたら本望だ。もう、それだけで満足なんだ。
世直しとか、社会への貢献とか、そんなことは思ってない。自分がしたいことを、自分の目と手が届く範囲でやりたいだけ。
小さな成功を積み重ねる手法こそが正しいと思うんだ。
スケールとスピードは求めない。誰かの評価は気にしない。僕にとって、それが炭やきであり、木こりであり、木挽きなんだ。
アタマよりも手で考える人になりたい。
自分がやりたいからやる。それだけ。結果的に、地域のためになればいい。子孫たちの幸せに繋がれば嬉しい。極めて自分勝手な人間です。
僕は無宗教だけど、山の神の存在は信じている。それを山仕事道具に刻んで持ち歩くという思想を持った日本人として生まれてよかったと思う。
4本の線は「火=太陽の光」「風=空気」「土=地球」「水」を表し、生き物が生きてゆくために必要な4つの神様を表します。
森や木々たちは、人間なんかよりもずっと崇高な存在だと思う。
木は、一度その場所に根を張ったら、風が吹こうと、大地が揺れようと、黙って居続ける。生きることが仕事になる。僕はそんな「木」のようなオトコになりたい。