考え事をする時は、夜中だろうと工場に来ることにしている。仕事場は集中できる。増して、窯を焚いている間は更に。
考えるのは、今後の事。今の状態で満足している訳ではない。でも、これではいけないとも思っていない。事業を起こした以上、これで食っていくという当たり前のこと。ただ、僕は経営者として成功するというより、市井の職人としていい仕事をしたいと願う。
でもね、それは儲かっていない事の言い訳だってこともわかってる。事業主として、逃げているんだ。
そこには、地球温暖化とか、ウッドショックとか、いろんな事が確実に絡んできていて、そのどれもがパソコンのモニターからの情報。その情報が正しいかどうか、僕には判断できない。
そんな時は工場で窯を焚くか、木を挽く。そこにはリアルしかないし、手を抜けば、それは製品に現れる。
僕にとっての真実は、この手で考えた仕事の結果のみ。だから工場に来ると落ち着くんだろうな。
宇宙(そら)を見上げれば、雲の合間からデネブ。南の稜線にはアンタレスが沈むところ。滔々と流れる川水音は途切れる事がない。それがとても大事なことなんだとしみじみ思う。
一次産業に身を置く者として、理解不能な大きな自然の営みに翻弄されながら、その中で我を見つめて、自分を信じて動くしかないんだ。
やっぱり僕は、スパイクブーツで踏ん張って、絶対に勝てない相手に向かうことしかできない。伐った木と向き合い、その命を奪った者としての道義を貫くしかないんだ。
夜中、窯と向き合いながらそんな事を想う。
しかし、本当に経営者としてはダメなんだよな。伐採から搬出、運搬、製材、製炭、それを独りでやっているって、ちっともスゴイ事じゃない。何でも自分でやりたがる、厄介な性格のひねくれ者。
全て独りでやるという事は、自己評価を厳しくしていないと、それぞれの行程に甘えが出る。経費も曖昧に計算してしまう。誰かに託す事で、その直前の仕事には責任が生じるんだけど、次の行程も自分だとすると、結局いいかげんになる。お金も、自分だけが儲かればいいとなる。業界の発展など、考える余裕も無く、自分勝手な仕事に終始してしまうんだ。
でも、それがすごく悪いとも考えていなくて、結局僕は誰かの為にとか、地域の為にとか、そんな事よりも自分がやりたい事をしているだけで、結果的に誰かの役に立ったり、地域に貢献できるならそれが嬉しいというだけなんだ。
実生で育った広葉樹を相手にしていると、彼らの生き方にハッとさせられるんだよね。
彼らの仕事は「生きること」それ以上でも、それ以下でもないんだ。我欲にまみれた自分がとてもカッコ悪く感じる。
竹原ピストル聴きながら、山の工場で独り。いろんな事を考え、自分ができることを一つずつ。自分が持っているもので積み上げること。自分が持っていないモノを欲しがらないという修行は、まだまだ続きます。
写真は今の工場。樫が炭になってゆく過程の、すごくいい匂いに包まれていて、ずっとここで煙を眺めていたいと思ってしまう。
明日も現場なのに、ついつい長居してしまう。窯は健気に仕事をしてくれている。