炭やきについて

炭やき

僕は製炭師です。プロの炭やき職人です。
炭を売ってお金を稼ぐ。自分で伐り、搬出し、運んだ広葉樹を昔ながらの炭窯で炭にする。囲炉裏や火鉢で使う炭です。

何故炭やきになったのか?と考える。
僕は20代から40代まで列車運行管理システムのSEでした。毎日、コンピュータを駆使して、全列車の運行を管理するシステム。全ての列車のダイヤが格納されたホストコンピューターからの制御で、各列車の出発進路を確保し、案内放送を鳴らし、発射ブザーを鳴らす。僕は最先端の最前線で闘っていた。と、思っていた。少なくとも、その仕事をしている間は誇りを持って、誰にも代われない仕事を任されていると信じていた。仕事は面白かったし、人間関係もそれほど苦ではなかった。上司や先輩に対し、怖いとか思っていなかった。
それと相反するように、僕の魂の奥底では、山に対する憧れが大きくなってきた。大学生の頃から、「頑固だが楽天的なジジイ」になることが僕の夢だった。
漠然と、それを実現させるには、炭やき職人になることだと考えていた。
そんな時、普段は読まない新聞の記事が目に止まった。「三河炭やき塾 塾生募集」と。それが30代後半。すぐに連絡して、設楽町田峯へ行った。そこは携帯も通じず、コンビニまでは車で20分かかる場所だった。
そこで運命の出会いをしたんだ。僕の生涯の師匠である、斎藤和彦さん。斎藤さんの師匠である杉浦銀治さん。銀治先生と共に活動をしておられた大森禎子さん。
僕は数日の滞在ですっかり、炭やきに夢中になった。これこそが、僕の生業だと考えた。師匠にはそれを伝えたけど、「よく考えて。無理しちゃいかんでね」とかわされた。僕はもちろん、諦める訳が無かった。それ以来、時間を見つけては週末に設楽町へ通った。師匠の家に数日泊まり込んで作業したこともあった。
師匠の斎藤さんには、木の伐り方、炭のやき方、窯の造り方を教わった。厳しくて自分勝手な人だったけど、僕にとっては、師匠だった。通い出して2年後、僕は「三河炭やき塾 副塾長」を拝命した。もちろん、塾長は斎藤さんだ。
何度も一緒に窯を造った。それが僕の一番の財産になっている。
僕にはもう一人、炭やきの師匠がいる。足助の梶誠さんだ。斎藤さんに基本を教わり、梶さんには炭やきの神髄を学んだ。今の僕の窯焚きのスタイルは、梶さんから引き継いだものだ。
ところで、僕は炭を作るのに「炭やき」と言う。「やき」を平仮名にするのは、銀治先生の教えだ。「炭焼き職人」というのは、炭火の料理人のことであり、製炭を生業にする者は「炭やき職人」と名乗る。
去年までは、恵那市串原で日本一大きな炭窯と、広葉樹を丁寧に炭にする窯を任されていたけど、つまらん事情があって使えなくなった。だから、今は窯を持っていない。加塩の工場のなかに打ち(造り)ます。それまでお待ちください。
僕は修業の後、炭やき職人になりました。今も僕の本業です。
そして、SEの時に思っていた「最先端の仕事」とは、コンピュータではなく、一次産業にあったんだと確信しています。何しろ、相手は地球です。一次産業こそが、最先端の仕事なのです。
毎日山に向かい、窯を焚く仕事こそが、「最前線の、誇るべき仕事」であると考えます。

炭とは、95%以上が炭素「C」の塊だ。木々が、自分の寿命の長さと同じ時間培ってきた、光合成による蓄積。木が270度を超える環境にある時、酸素があれば酸化燃焼、酸素が無ければ還元炭化する。
炭窯は、この還元状態を作り出すための道具だ。単純な焼却炉みたいな構造では、酸化燃焼して、灰になってしまう。
いかに、原木に酸素を与えず、熱だけを加えるか?が炭窯の極意だ。
白炭(備長炭に代表される)と黒炭(僕がやいている炭)と両方ある。和歌山の日置川で白炭の修業もしたけれど、北三河では白炭の原料になる木が無い。だから、僕は黒炭を極める。
炭やきと聞いて、どんなイメージを想うだろうか?窯の前で焚き物をくべながら、のんびりと煙を眺めているイメージかな?実際、その時間は全体の僅かでしかない。伐採には危険な広葉樹を伐り、経費を抑えつつ搬出し、それを運んで窯の土井(壁)の高さ(僕の造る窯は3尺)に刻み、適当(正しい大きさという意味)に割る。サイズは、拳の小指側くらい。これを軽トラなら数杯分用意する。伐採した広葉樹の枝も丁寧に集めて使う。枝は上木(あげき)として、窯のドーム部分に詰めるから。
こうして、一窯分の材料を作るのに、何日もかける。原木と上木と焚き物(原木の4分の1くらいの量)が準備できたら、窯の中に原木を入れる。
一番奥は枝の丸いやつ、ドームの最高点の直下には一番良い材を。焚き口に近い部分は、あまり良くない材を。必ず元を上にして、隙間なく立て込む。3尺の広葉樹は、割ってあるとはいえ、重い。それを軽トラで数杯分立て込む。中腰で一日作業する。ドーム部分に上木を詰める。これは、いろんな方向になるように。焚き口の熱は、まず最初にこの上木に集まる。上木が炭化を始めて、熱がドーム部分に篭り、その下の原木に移るまで焚き口で焚く。
それは24時間であったり。40時間であったり。原木が炭化を始めたら、もう焚かない。あとは窯の仕事だ。それらのタイミング、窯の中の様子は、煙から判断するしかない。当然、窯の中は見えない。煙の出方、匂い、味、温度で窯の中を想像する。それは単純にマニュアル化できる仕事ではなくて、職人の経験とスキルが試される瞬間だ。
焚き口で焚き過ぎれば、原木は減る。焚き方が中途半端だと、酸素が入って、灰になってしまう。焚いている間は、原木を乾燥させるイメージで、ほどほど大きく焚きながら、焚き口で酸素を使い切るような焚き方。それらも煙で判断する。
良い炭をやくには、吸気側はなるべくいじらない。排気側で炭化をコントロールする。具体的にはダンパーの掛け方で、炭化スピードをコントロールする。
じっくり、穏やかに、時間をかけて炭化した方がいい炭になる。ただし、ダンパーを掛けすぎると消えてしまう。これも難しい。毎回違うから。中にいれた原木の乾き具合、その日の気温や湿度でも違う。
原木が炭化を始めたタイミングを「窯に着いた」「着火した」「自燃し始めた」と言う。窯に着いたら、僅かな吸気、的確な排気コントロールで窯に任せつつ、ひたすら待つ。炭化が進むに連れて、煙も変化してゆく。着いた時点から、煙の量も温度も、数日は一定だ。4~5日すると、煙温が上がり始め、煙が軽くなり、色が薄くなり、やがて青みがかり、煙が見えなくなる。この時点で、煙温は250度を超えている。窯の中は700度近い状態。原木が全て、真っ赤になっている状態だ。
ここまでは、真剣に学べば誰でもできる。
炭やき職人の本当のスキルは、ここから先で発揮される。窯の中で真っ赤になった炭は、炭素以外の物を煙として排出して、純粋な炭に近づいている。
ここで、煙の状態を見ながら、「精錬」とか、「錬らし」と呼ぶ行程に入る。真っ赤になった原木に、今まで制限していた酸素を与えて、排気の制限を緩めるのだ。すると、窯が膨張するかのような熱気と共に、窯の中の原木から最後の煙が出される。この時の匂いは、甘くて濃厚で、里山の恵みそのものだ。この操作を「根風を入れる」と言う。短い時間だと、精錬が足らず、長い時間根風を入れると、炭が減ってしまう。
根風を入れる前、煙が透明になってきたら、煙突のダンパーを少しずつ開ける。1時間で10度ずつ煙の温度が上がるような操作。そして、煙の温度だけで判断せず、煙の勢いや匂いに集中して、窯のなかの原木がどんな状態か想像するんだ。操作をしてから、すぐには結果が出ない。ここが経験値で、こうすればこうなると、数十分先に起こることを想定して、先手先手で操作する。
精錬とは、焼き固めという意味もあって、これをすることで、重くて硬く、火持ちの良い炭になる。窯の中は900度くらいになり、煙は300度を超える。
この状態で炭を窯の外に出して、素灰(スバイ)と言われる灰と砂を混ぜたもので覆って、急激に消火するのが「白炭」である。
吸気だけを閉じて、ガス抜きしてから排気を閉じ、窯を密封状態にして、静かに消火するのが「黒炭」なんだ。
炭やき職人を名乗るには、この全幅の信頼を置ける窯が打て(構築できて)なければいけない。一番大切な道具である、「炭窯」。特に煙突の作り方が大切。二人の師匠から、それを学び、身に付け、実践できた僕は幸せ者だ。実際、炭窯構築の仕事依頼も来ている。

ちなみに、木酢液も採るんだけど、僕は「着いて」から、煙が変わり始めた時までしか採らない。着く前に採れば、水分が多いから木酢液の量は増えるけど、薄い。煙が変わり始めた後は、タール分が増えるから良くない。これは職人の良心が決めること。
黒炭は、最低でも5日は窯を冷ます。充分に冷めたら、密封した窯の口を切って(灰と赤土で作って塗り込んだ泥を取って)、窯の中に入って炭を取り出す。この時、窯を伏せて(密封して)から5~7日くらいだと、中は暖かい。炭を全て出して、窯の真ん中で横になるんだ。すると、自分の周り全てが熱源となる空間ができる。しかも、900度から密封した窯の中なので、無菌状態。
この黒炭窯の窯出し後の状態は、癌などの治療に良いそうだ。炭やきさんには長生きの人が多いのも納得できる。
窯から出した炭は長いままだ。これを7cmにカットして、袋や箱に詰める。それでようやく、売れる形になる。
山で伐り、出し、運び、刻み、割り、立て込み、焚き、出し、カットし、袋詰め、発送。
ここまでが炭やき職人の仕事です。僕の炭は、1kgあたり400円~500円で販売している。ホームセンターの3倍くらいの値段です。
売り上げから計算すると、時間給は300円くらいの仕事。大学生のバイトの4分の1くらいの収入ということです。
それでも、僕は炭をやき続ける。
頑固で楽天的なジジイになるまで、あと20年かな。
実は僕には憧れている人がいるんだ。それが、20年後の僕自身です。
そうなれるよう、自分を磨いてゆこうと決めています。



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