木こりとして

木の命を、人間の都合で奪ってしまうという行為。山に対し、木に対し、畏敬と尊厳を感じつつ、事情があって伐ると決めたら、こちらの都合で寝てもらう。

僕がコントロールして僕の搬出の段取りに合わせて、都合のいい場所に寝てもらうんです。

畏敬の念を持ちつつ、重力に逆らってコントロールするのが木こりです。気合入れて対峙しないと、本当に命を取られます。木を倒すって、チェンソーで木の重心を変えながら、力学的に木の先端にモーメントを与えて、道具で引っ張ったり、矢やジャッキで起こしたりします。

でも、最後は祈ります。木が倒れ始めたら、何をしても間に合わない。退避するだけです。母なる地球に引っ張られて、倒れてゆきます。その木の最期に立ち会うのが木こり。だからこそ、それをちゃんと使わせてもらうって、感謝の気持ちが無いといけないと思うんです。

優しい時間

折った樫の黒炭を並べて、時計を仕込みました。
昔からの同志である隼平君が言った。「時間を封じた素材でこれからを刻む至福」。
炭の原木は工場から6分の太田という集落の樫だ。40年生くらい。
ドングリから芽を出し、父なる太陽の恵みで光合成をくり返し、母なる地球である山の水と養分を吸い、育ってきた里山の樫だ。
その樫が生きてきた時間分の炭素を蓄えた幹から作った炭だ。
クラウドファンディングで支援してもらったお金を使って作った、ディメンションは昔ながらの比率、資材は耐火レンガに耐火セメントの窯で、職人が魂込めてやいた炭です。キッチリ高温炭化させているので、折った断面が金属のような光沢を放つんだ。
枠や裏板は、タチキカラの工場で挽いて、プレーナ仕上げして、丁寧に組んだ。ムーブメント以外は全て、タチキカラの工場で作った。
使っている板は、東栄町から伐り出して、天然乾燥して、タチキカラ工場で挽いて、プレーナ仕上げした。
時を刻むモノって、まるで生き物のようで、過去と現在と未来を繋いでるような存在だと思うんだ。
販売します。サイズはオーダーがあってから相談して作ります。
手間暇がかかるので、値段は一つ3万円~になります。



僕は・・・・

僕は、名も無き山守、炭やきでいたい。

だから、ひたむきに山に入り、愚直な仕事を繰り返し、質素な生活を続けるんだ。世間は変化し続けるだろうけれど、僕の仕事は変わらない。変える必要もない。それが僕のやり方であり、僕の答だ。

僕がやろうとしていることは、僕が新しく開発した技術でもなく、閃いたアイディアでもない。インターネットで仕入れた上辺の知識でもない。

先輩から直接伝え聞き、自分の五感で確かめたこと。古来、日本人が培ってきた方法であり、技術であり、それはまさしく文化そのものなんだ。山の恵みを頂き、それを大切に使う。ただ、それだけ。それ以上でも、それ以下でもない。

僕は、誰とも闘わない。でも、誰にも負けない。

母なる大地が僕を生かしてくれる。父なる宇宙(そら)が見守ってくれている。

山の時間に逆らわないよう、丁寧に仕事をする。

僕が新月と葉枯らしに拘り、伐り出した木々が、僕が魂込めてやいた炭が、誰かの小さな喜びになって、それが僕の糧になれば、それだけでいいんだ。

これが本業

工場も寒くて、火鉢に炭火を熾している。

休憩の時、手あぶりしながら、ウッドガスストーブで沸かしたお湯で淹れた、暖かいコーヒーを飲む。

20年やってきて、やっとこの炭が常にやけるようになったんだ。

中心まで同じトーンのオレンジ色。

この木(樫)が数十年間、毎日光合成を繰り返し、その結果幹に蓄えられた炭素を、炭化という熱分解で炭素の塊にしたものが「炭」だから、それを熾して燃やすという事は、炭素と酸素が酸化燃焼している様。

つまり、このオレンジ色は、太陽光エネルギーそのものということ。

父なる太陽の恵みを、蓄える事ができるのは植物だけ。

その恵みを炎という形で頂くことが、炭火を熾すということです。

修行中、師匠のやいた炭がこんな感じでオレンジ色に光ってた。炎も煙も出さず、ただただ、心地よい熱を放ち、静かに灰になってゆく炭。

それをようやく、意のままに作る事ができるようになりました。

自分で打った(構築した)窯で

自分で伐り出した樫の木で

僕はこの仕事(炭やき)しかできないけれど

この仕事は僕にしかできない。



旧暦の正月です

今日は旧暦の正月だ。つまり、立春前、最初の新月。

24節気と旧暦を意識しながら暮らしていると、母なる地球と父なる太陽と月の巡りと、自分の身体と心をシンクロする事になる。

そんな旧暦正月も独り、工場で黙々と働く。

次の窯の原木を割り、プレーナの電源線を短く加工した。炭窯の前には、朝からずっと火鉢で炭を熾してある。これで沸かしたお湯で淹れるコーヒーは美味い。

仕事がある喜びと、寒いけど、身体を動かしている事で気持ちも軽くなるこの感覚。

僕は幸せ者だ。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

還暦を過ぎて、身体は衰えて、老化してゆくんだけど、まだまだ夢というか、見えぬ未来にワクワクしている。やりたいことは山ほどある。

目指すのは、頑固で楽天的なジジイ。

市井の職人として、特に目立たず、承認欲求は人並みにあるけど、人からの評価にはできるだけ背を向け、自分のしたいことを続けてゆきたい。毎日消えゆくモノを大切にしたい。見えないモノを愛おしみたい。

「世直し」とか、「誰かのため」とか、「世界平和」だとか、「業界の発展」とか、そんな大それたことは目標にはしてなくて、自分がしたいことをする。「稼ぎ」も「仕事」も。

結果的に、誰かが喜び、誰かの役に立つのなら、それがいい。

大きな事を成し遂げるより、目の前の小さな仕事を一つずつ完成させる。それが僕の「分」だと思うんだ。

「生きることが仕事」になれるように自らの環境を整えたい。

自分が大切に思う人が穏やかな毎日を送る事。

「老い」と「死」は毎日確実に近づいてくる。

そこから目を背けず、動きながら考える事。

そして、毎回想うことは「誰とも戦わないけど、誰にも負けない」という事。

誰かと比較して、自慢することなんて何も無いけど、悲観することも何一つ無いんだ。

今自分が持っているモノで仕事を組み立ててゆく事が僕のやり方。「野生の思考」を実践したい。

今年も伐採から製炭、製材までを天職ととらえて進みます。

何でも自分でやりたがる、やっかいな性格だ。何でもやるということは、一つ一つの仕事が中途半端でもあること、次の工程も自分なので、甘くなる事。

それは自覚した上で、「俺はこの仕事しかできないけど、この仕事は俺にしかできない」と、そこは自信持って言える。

と、毎年同じ事を思い、同じような行動をしてる。進歩が無いのは、ブレていないこと。

今年も大丈夫だ。応援よろしくお願いいたします。

冬至

今日は冬至だ。

毎年、同じような事を書いているけれど、僕にとって、母なる地球と父なる太陽の位置関係は、絶対的であり、普遍的であり、全ての源であると考えるからだ。

今日を境に、言ってみれば、陰から陽に転ずる。

明日からは太陽エネルギーがプラスに転じる。

夏至までの半年、父なる太陽は少しずつだけど、降り注ぐ光を増やしてゆく。この地球に、外から入ってくるエネルギーは太陽の光だけなんだそうだ。後のモノは、全てこの星で輪廻転生しているだけ。人工物も、ケミカルなモノも、元を辿れば、大地の恵みだ。

一番遠いからこそ、父なる太陽に感謝したくなる(夏至の日は、一番近いからこそ、感謝したくなる)。

僕の生業は、木に関する事だから、僕の仕事は全てが、光合成に起因して生まれるんだ。

考えてみれば、何て神秘的な営みなんだろう。

木々も、山も、水も・・・「火」「風」「土」「水」の4つの神に対し、あらためて畏敬の念を持って、向き合いたいと思う。

今日は朝から雨だった。これだけ気温が低いけど、雪にはなっていない。夕方、西の空が明るく見えて、大急ぎで山の上まで行き、冬至の太陽光を撮った。

素直に、感謝の気持ちを捧げながら。

大事な仕事

たくさんある僕の大事な仕事。自治区定住促進部部長としての仕事だ。約1000人が暮らすこの敷島自治区。7町内ある。各町内から、一人ずつ選出されている定住促進部員が居て、「定住」に関しての活動をしている。その定住促進部の部長をさせてもらっている。自治区には「ときめきプラン」という、自治区全体の指針になるような計画があって、自治区の様々な活動は、そのプランに基づいている。豊田市の岐阜県境にあるこの、旧旭町に属するこの自治区も、高齢化による過疎が進んでいて、それをどうするか?このままでは、人口が減り続ける。Uターン、Iターンを受け入れる事を真剣に体制作りしなきゃいけない。それが、プランの最重要項目として記さている。それを推進する部の部長を、このヨソモノに任せるという、この自治区の懐は深い。

10年以上、この「部」に在籍している。いわゆる、お役だ。

組織の大嫌いな僕が、進んで組織をまとめている。不思議な感覚。

「移住から定住へ」が部の方針なんだけど、どこからが「定住」なのか、それを今まであえて、曖昧にしてきたけど、概念的に部内で統一したいので、部会で投げてみた。数値化できる話ではない(例えば、移住後10年で定住とか、安直に決めたくないので)し、各町内、様々な条件がある。部員同士が、「定住」の定義を話し合うことに意味がある。そして、それを各町内会長と議論してもらう事を依頼した。

「移住」してきてくれた人たちが、不安を抱えながらも、地域に馴染もうと努力をしてくれるのなら、それをバックアップするのも「定住促進」だから。

それは、僕が「地域面談」から、12年もこの集落で暮らしていけるように、当時の定住委員だった征夫さんが導いてくれた事でもある。今は、僕がその役目を担う時だと思ってる。

各町内の活動は、各部員さんに任せてある。例えば、移住希望者対象に行われる、「地域面談」のガイドラインは、各町内独自に決めてもらってる。僕の役目は、部員が動きやすくするために、全町内会長が出席する、月に一度の自治区総務会(僕も毎回、定住促進部部長として出席している)で、町内会長に対して、部員との協働をお願いする事だ。僕自身も、2度町内会長を経験しているからこそ、堂々と言える立場でもある。

つまり、その動きは「自治」に繋がっている。

夜の工場は、火星と木星が昇ってきていて、川音と静かなジャズと、焚火とコーヒーで一日の振り返り、明日からの段取りを考える。なんて、幸せで充実した時間。

でも、もっと稼がないとヤバい。「仕事」から「稼ぎ」へ、ギアを変えていかないと。

ジブリパーク

リンク先の記事。このどちらも、タチキカラの工場から旅立った木々だ。義理兄安井聡太郎氏設計の保育園の園庭で、圧倒的な存在感を放っているのは、東栄町粟代神社のマザーツリー元玉。元で1m以上あった。芯が蟻に喰われて、消失していたので、ユニックで持ち上げつつ、20インチのハスクで玉伐りした。もちろん、園までは自分で配達した。子供たちが遊ぶ砂場の土留めとして使われている。また、写真の奥で立っているスギもそうだ。この池内わらべ保育園では、粟代のスギをふんだんに使ってもらっている。床板として、合計200坪近く。柱や上がり框など。全て、僕が挽いた木々たちだ。

2枚目はジブリパーク、どんどこエリア入り口ゲートだ。大工の中村さんから発注を受け、僕の工場で挽いた材だ。これも粟代神社の200年超えのスギ。その赤身だけを使った。どんどこ売店のカウンターと窓周り、下屋の柱、垂木、丸太桁など。

中村さんが親方で請けたジブリパークの仕事に、僕が挽いた木が使われているのは、とても名誉な事です。

ジブリパークについては、ずっとオフレコだったんだけど、ようやく解禁。
https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=577970&pid=2826480&fbclid=IwAR1AjgvgDqGci1AHchxeF5qR6Oe8A-u39TDucW6HHAnm-0FcHJfec4UgNFc

一本の木

昨日は義理兄である安井聡太郎氏(子ども建築デザインネットワーク )設計の、名古屋市内の保育園園庭にあったサクラに、次なる命を与える仕事。

50年間、園児たち、先生たち、地域を見守ってきたソメイヨシノだった。園の拡張工事に伴い、伐採されることになり、その伐採作業を依頼された。人のココロに寄り添う設計をする安井氏から園に対して、「このサクラをキッチリ使いましょう」と提案がされて、園長も当然、OKを出した。地に足が着いたストーリー。それを実際にどう使うか、打合せを重ねた。

当日の伐採は、相棒中條さんと二人で伐った。園の敷地角、フェンス、電線など支障もあった。樹上作業で枝を落とし、綱株の無い街中の伐採なので、ユニックで牽引しながら、ピンポイントで倒す伐採になった。園児や先生たちが見守る中、狙った場所に倒した。

素直に真っ直ぐな部分の無いサクラだった。構造材にはならないので、厚めの板に挽いて、目を見てから使用場所を決める。代わりの無い材だったので、挽くのは気を使ったし、元の一番太い部分では70cmあった。木挽きとしてもやりがいのある仕事だった。太い枝はもちろん、炭にする。木酢液も採って、それは園に差し上げようと思う。

枝部分は余すところなく使いたい。子供たちに喜ばれ、一人ずつに形で残したい。そこで、グリーンウッドワーク協会の名和さんに相談してみた。すぐに反応してもらって、園児たちに対し、ワークショップ形式で色鉛筆を作る事を企画。昨日名和さんは道具を持って加塩の工場まで来てくれた。生の木を使って、ナイフワークで木を削って仕上げてゆく工程に、以前は??って思ってた。仕事柄、木をキレイに乾燥させて、美しく(割れや反りを無く)使う事ばかり考えていたからだ。

名和さんから説明を受けて、なるほどと思った。これはこれで有りだ。轆轤を使った木地は昔からあった。

ナイフや小刀を使うには、乾いていない生の木の方が圧倒的に作業しやすい。

実際に僕も作ってみた。思っていたよりも、上手くできた。削り馬やクラフトナイフが欲しくなった。

この色鉛筆の作り方は、基本的にグリーンウッドワーク協会のコンテンツなので、興味のある人は問い合わせてみて下さい。僕の引き出しに入ったスキルではあるけど、それを勝手に公表したり、仕事に使う事は考えていない。

共感した部分として、僕は一本の木を伐ったら、余すところなく使う。それが、木に対する礼儀だと思っている。木こりとして、木の命を絶った事に対するケジメが、ちゃんと使う事だと考えるからだ。

炭やきの修行をしている時、伐ったら枝先まで全部使えと、銀治先生から指導された。

幹は割って炭の原木、枝も手首の太さまでは炭に、指の太さまでは上木(あげき)に、更に細い枝や葉っぱは焚き付けに。それが炭やきの美学だと。今でもそれは実践している。特に広葉樹は葉っぱまで使うようにしている。

針葉樹は、枝葉は基本的に山に置いて、土に還す。

ただ、僕の理想としては、枝葉も鋸粉も使いたい。

実際、僕はできるだけ工場へ持って帰り、窯の焚き付け、家の薪ボイラーの燃料、薪ストーブの燃料として、木っ端も製材コアも全て使い切る。

そんな思想が緩くシンクロしているような気がした。

単独でも、生の広葉樹を使ったグリーンウッドワークのワークショップは開催できます。その時は、名和さんに講師として来て頂こうと思ってる。

作品を作ることが目的ではなく、木を使う事を知ってもらう事が大切なことなんだ。