クラウドファンディング入金あり

一年も半分過ぎ、相変わらず、あっと言う間の時間だった。
毎年、6月30日には、集落のみんながお宮さんに集まり、「大払い」をする。去年と今年はコロナのせいでできないけど、一年の半分を何とか過ごせたことに対するお礼の意味だそうだ。今の時期、田んぼには稲が眩しい緑色で揺れる。夏至を過ぎ、太陽エネルギーはタイムラグを経て、少しずつ小さくなる。
僕と言えば、毎日やることが多くて困るくらい。
昨日、クラウドファンディングサイトからの入金がありました。皆さんの支援、大切に使わせていただきます。
資材と薪割り機、土木工事の支払いをしたので、すでに頂いたお金は使いました。足らない分は自分で払い、スッキリしました。
天気は良くないけど、心は晴れてます。あとは、支援していただいた気持ちを、僕の仕事でお返しするのみ。気合入ってます。

窯造りは着々と、ゆっくりと進めています。明日も何人かの人が手伝いに来てくれる予定。屋根下の作業なので、雨でもやります。愚直に頑張ることしかできないけれど、それが僕のスタイル。どうぞ、お見守り下さい。

スタートします

炭窯造りは少しずつ進んでいます。今度の土曜日、その次の土曜日と、手伝い募ります。直接メッセンジャーで連絡下さい。

そして、僕の頭の中には、いくつもプランがある。それらは夢物語ではなく、山の恵みをいただいて、それをキチンと使ってゆくという「仕事」である。
そのプランの一つに、「命の箱造り」がある。幸せなことに、僕の周りには建築家、大工、木工作家など、木に関わるプロフェッショナルが多くいる。「タチキカラ」つまり、山に立っている木を伐るところからスタートして、それを挽くまでは僕の手の内にある。
挽いた木をどう使うか?実際にどんな工法で、どんな建て方をするか?それらを託す相手もいる。

今回、僕が最も信頼する設計士である安井氏(実は僕の義理の兄だ)と、北三河の木をふんだんに使った、断熱よりも蓄熱を考えた「命の箱」造りをスタートさせることにした。詳細は、追々伝えてゆきます。

伐り旬から始まり、倒し方、乾かし方、木取り、挽き方には徹底的に拘る。ある意味、革新的なことだけど、実はとてもオーソドックスで普遍的な建物になるはずだ。当分の間、試行錯誤が続くし、実験的な仕事ばかりになるはず。すぐには稼ぎにはならないかもしれない。けれど、これが僕の集大成になるのは間違いない。

木と地の土を生かした家造り。僕の持っているモノは全て注ぎたい。設計側のリクエストにはとことん、応えたい。それは僕の「仕事」である、自治区定住促進にもつながる。山村で雇用を生み出す「仕事」にも直結している。

場所は僕の工場内。まずはモジュール制作からスタートかな。僕の工場に、全てを集約しつつある今、モデルルームも作ることにしました。
製材所、炭窯、将来的には熱化学還元処理炉、北三河スギ(60年生くらいの、間伐で出てくるランクの材を目一杯性能上げた状態で使う)蓄熱の家。
しかも、まだ空いている工場建屋もあるので、そこには家具とか木工を生業としたい人を誘致したい。僕の工場内で家具造りをしたい人を求めています。
厳しい審査を突破したその人には、時々僕と一緒に山に入り、伐採作業も教えます。製材も叩き込みます。
自分で伐り出して、挽いた木で家具造りできるような職人になってもらいたい。まだまだ、僕の脳内には面白いプランがあるし、僕の引き出しにはたくさんのお宝が入っている。

楽しみにしていてください。

夏至に想う

昨日は夏至。ネイティブアメリカンの言葉には「父なる太陽、母なる地球」と書かれていて、父である太陽が、最も長い時間僕たちを照らしてくれている日。僕の仕事の源である、「木」にとって、一年で最も光合成が行われる日。地球上の生物を育む4つの神「火」「風」「土」「水」の中の「火」だ。毎年、夏至の日には集落のみんながお宮さんに集まり、酒を酌み交わすんだけど、コロナのせいで去年と今年は中止で残念で仕方ない。毎年集まるその飲み会は「中払い」といい、一年で最も長い間出ている太陽に、農作物を育ててくれてありがとうと、百姓が太陽に感謝するお祭りです。夏至の太陽が稜線に沈む瞬間を毎年、お宮さんで眺める。あの父なる太陽がゆっくりと沈むスピードは、母なる地球が堂々と回転するそのスピード。日が沈むのではなく、動かない太陽に対して、僕たちの星が自転と公転を何十億回と繰り返してきているという事実。それらが神秘的で、何も考えられずにこの山村を見つめてしまう。ここはいい処だ。

僕は

毎日人との関わりで生きている。
年に数度会うだけなのに、生き方を語り合える仲間がいる。
初めて会うのに、もうずっと共に頑張っている仲間のような感覚の人もいる。
まだ会ったことも無いのに、同志だと思えるような人もいる。
僕はつくづく、人に恵まれている。この一週間もそんなことの繰り返し。
多分、僕は自分で認識しているよりずっと寂しがりやで弱い。
自分で思っているよりも体力は落ちてきてる。そして、みんなが思っているよりも忙しくない。

僕が共感し、リスペクトする人はみな、孤高を貫いて、地べたを這いずり回ってる。何かひとつだけでもいい。独りで成し遂げる能力を身に着けてる。または、身に着けようともがいている。

僕が嫌いな奴は、口先だけで能書きばかりの意識高い系や活動家たち。「自分探し」などと、仲良しクラブでヘラヘラしてる奴ら。何でもかんでも、すぐに群れたがる奴ら。

僕は寡黙で、愚直で、孤独を楽しんでしまえる山の民になりたいし、何とかギリギリそこへ身体も頭も向いていると思ってる。

現場こそが真実であり、真理である。頑固で楽天的な炭やきジジイになれたら本望だ。もう、それだけで満足なんだ。

世直しとか、社会への貢献とか、そんなことは思ってない。自分がしたいことを、自分の目と手が届く範囲でやりたいだけ。

小さな成功を積み重ねる手法こそが正しいと思うんだ。
スケールとスピードは求めない。誰かの評価は気にしない。僕にとって、それが炭やきであり、木こりであり、木挽きなんだ。
アタマよりも手で考える人になりたい。
自分がやりたいからやる。それだけ。結果的に、地域のためになればいい。子孫たちの幸せに繋がれば嬉しい。極めて自分勝手な人間です。
僕は無宗教だけど、山の神の存在は信じている。それを山仕事道具に刻んで持ち歩くという思想を持った日本人として生まれてよかったと思う。
4本の線は「火=太陽の光」「風=空気」「土=地球」「水」を表し、生き物が生きてゆくために必要な4つの神様を表します。

森や木々たちは、人間なんかよりもずっと崇高な存在だと思う。
木は、一度その場所に根を張ったら、風が吹こうと、大地が揺れようと、黙って居続ける。生きることが仕事になる。僕はそんな「木」のようなオトコになりたい。

敵とか味方とか

偶然知った言葉「誰かが僕の敵であろうとも、べつに僕がその男の敵にならなくてならぬということはない」

僕は基本的に、善人説で動く。世の中の人、本当に悪い人って、少ないと思っている。

ただし、好き嫌いはハッキリと出そうと思う。元々、好き嫌いが顔に出るタイプで、ツレから言わせると、すごくわかりやすいらしい。

むしろ、それでいいと思う。僕は嫌いな相手とは口もきかない。それは逆に、笑顔で接している相手は信用した相手ということ。それが逆に信頼を得ていると知らされたことがある。それはそれで、僕らしくていいんじゃないかな。

自分が嫌いを表に出すということは、相手からも嫌われることを意味する。それは最初から承知。嫌いな相手から好かれたいとは思わない。そして、誰からも好かれたいとも思わない。

周りにいる、嫌いな奴らを許し、仲良くやろうなんて全く考えていなくて、反りが合わない相手からは離れるか、それができないシガラミの相手ならば、こっちが変わるしかない。
それは難しいけど、嫌いな相手が変わることを期待しても無理だから、こっちの受け取り方を変える。
たいていの場合、相手をかわいそうな奴だと思うことにする。実際、年上だけどかわいそうな奴が何人もいて、そいつらは僕に対して敵対心を向けてくる。そんな相手は、僕の敵にすらならない、つまらない奴と考えるようにする。
予期せぬ相手から敵扱いされることもあるけど、その時は、今日知った言葉を思い浮かべよう。

争いをこちらから仕掛けることは無いけれど、降りかかった火の粉は自分の手で払う。それは子供のころからの自分の掟だ。

あと、クソガキだった僕が守っていたこと。それは、自分よりも強い相手とだけ、喧嘩するということ。

偏屈な還暦手前の、小汚いおっさんにも魂はある。
腕力では適わない相手でも、名誉を賭けて戦うことだってある。


理想は、「誰とも戦わないけれど、誰にも負けない」です。

ありがとうございました

クラウドファンディングサイトでの支援、受付終了しました。
1、170、280円。138人の方から支援いただきました。
加塩町の僕の工場内に、黒炭窯を作るための資材、ファンディングのリターン品購入、そして薪割り機を買う資金の足しにします。
直接支援してくださる方もまだ大勢いらっしゃって、今のところ合計で15万ほど。そちらはまだまだ受け付けます。メッセンジャーで連絡ください。
このお金は、1円たりとも無駄使いしません。お金を集めることを目指しましたが、目標はもっと先です。
僕が「火の文化」を守ること。愚直に炭やき職人として仕事をし続け、まだ見ぬ弟子にすべてを授けることです。
本当にありがとうございました。

自問自答

自分のしている事を、目を背けずに見てみた。自分自身に恥じる事は無いか?もう一度自問自答してみた。もちろん、嘘はない。自分のしている事には自信もあるし、矛盾も迷いも無い。未来は明るいと確信している。だけど、まだまだ甘い。甘ったれている。「稼ぎ」と「仕事」。これがキッチリ両立してこそ、本当の大人だ。
それは充分にわかっているつもりだし、それがささやかな目標だ。しかし今の僕は、そのどちらも中途半端だ。志半ばの半端者だ。生業としてこの道を選んだ以上、後戻りできないし、するつもりもない。
問題は、生臭い話だが、やはり収入だ。ある程度のお金が必要なのだ。正直、ここまで苦労するとは思っていなかった。もちろん、炭が爆発的に売れるとも思っていないし、この不景気の中、そんな簡単じゃない事はわかっていた。覚悟はできているので、現実を受け止める事は容易だ。実に酷い。もう、笑うしかないくらいだ。
確かに田舎で暮らせば、日々の暮らしにかかる経費は想像以上に少ない。だが事業を進めていく以上、これではいけない。少なくとも、山で雇用を生み出すくらいの事業にする必要があると思う。

そして、僕の役割はもっと大きいと思っている。それは、「火の文化」である「炭」を残していくことだ。「炭やき」という仕事をきちんと継いで、それを誰かに託すこと。

エコとか、CO2排出削減も大切だが、それよりも「炭」そのものを残したいのだ。まだある。心の底から願うこと。

それは、山を守り、水を守り、母なる地球そのものを守り、何代もあとの子孫に真っ当な形でこの星を残したいということだ。

貧乏でも、この思いとやる気が失せていないことが救いだ。今は苦労のとき。僕よりも辛い人は大勢いる。稼ぎは少なくても、自分の好きな仕事を、自分の段取りで進められる僕は幸せ者だ。周りの人に助けられている。一人では何もできない。特に、地元の人たちにはどれだけ世話になっているか、計り知れない。こんなヨソモノを追い出さずに置いてくれている。それだけでも感謝しなければ。働く事が恩返しだ。

もちろん、まずは自分のため。自分の周りの人の幸せのため。そうは言っても、日々の暮らしは本当に苦しい。しかし、食欲はあるし、よく眠れる。根っからの楽天家なのだろう。
朝になれば、その日の作業の段取りを考え、身体を動かす。やはり僕は恵まれているのだ。収入を考えれば「貧乏」だけど、決して貧しくない。むしろ、山の懐で暮らすこと自体が豊かなことなんだ。

あの角を曲がれば、神様が微笑んでいるかもしれない。そこに居なくても、次の角にはいるかもしれない。少なくとも、山の神は見ていてくれる。お天道様は見捨てたりしない。そんな簡単なことじゃないけれど、もう少し、ここで頑張ってみようと思う。


クラウドファンディング、87万円集まりました。ありがとうございます。そして、何よりも嬉しいのが、支援者が100人超えました。これ、とても嬉しい。こんな小汚い山オヤジに100人もの人が。おかげ様で、これで窯打ち(窯を構築する)の材料は全て揃います。1円たりとも、無駄使いしません。

あと9日あります。ネクストゴールは150万に設定しました。
それで薪割り機を買いたいのです。薪割り機が来れば効率が上がります。体力と時間に余裕ができます。
炭の原木は、窯の中に立て込む時、元を上にします。裏側の木口を、拳を握った時の小指側の面積になるように割ります。そうすることによって、原木1本1本の体積を揃える。ムラなく炭化させるための知恵です。炭を買って下さるお客さんが使いやすいサイズです。

修行中は、長さ3尺の樫やナラを手割り(ヨキで)しましたので、そうすればいいのですが、それは相当体力を使うので、プロとしてもやはり、道具を使いたい。2年前の大怪我の後遺症もまだありますし。

長さ3尺の広葉樹を割れる機械は、シリンダー能力が15t以上です。40センチくらいまで割る機械は数万円ですが、3尺以上を割れる機械は、80万くらいします。お金を貯めて買うつもりでした。
それは良い炭をやき、良い木材を生み、山が良くなる。結果的に、流域の水が良くなることを意味します。
製材士ですが、木を割った時の面(ツラ)が好きなんです。木って面白くて、製材機で挽いたよりも、割った方が強い。それは木が割れるときは必ず、目に沿って割れるので目を切らないから。
例えば、へぎ板というものがあります。それは、瓦の代わりに屋根に乗せます。加子母の明治座の屋根がそう。目に沿って割った板の方が、雨に打たれても水を流しやすく腐りにくい。割った板が並んでいると美しい。
薪割り機が来れば、そんなへぎ板も作れます。ここまで来たら、図々しくお願いしちゃいます。どうか、協力お願いいたします。シェア、拡散お願いします。

クラウドファンディング目標額達成

クラウドファンディング、目標額達成しましたが、あと50万あれば、念願の薪割り機が買えるので、頑張ってネクストゴール設定します。元々、自己資金を貯めて買おうと思っていた機械です。何卒、よろしくお願いいたします。

すごく信頼している人から、目標額100%超えたのはめでたいけど、どうせなら「1000%超えてしまったらどうしよう?」って考えたら?と言われてハッとした。
元々僕は何か事を始めるとき、「上手くゆき過ぎたらどうしよう?」と考えるタイプだったのだ。
日々の仕事は愚直に続けています。
今日はデイサービス送迎の合間に、現場から搬出。僕のトラックに、スギ、ヒノキ、樫が載っている。この姿がとても嬉しい。工場にも木が集まって来る。広葉樹は炭に、針葉樹は板や柱に。どちらも「タチキカラ」です。僕が大好きな仕事です。

クラウドファンディングが始まり

初めての経験、クラウドファンディングが始まり、一晩で目標額の15%まで集まりました。この調子なら、1週間で目標達成!とはいかないでしょうけれど、本当に集まるかな?と心配していたので、正直嬉しいです。
と同時に、責任も感じます。みなさんの大切なお金を使わせていただくということ、肝に銘じて進めます。個人事業主として、細々と事業をやっています。10万円稼ぐことがどれくらい大変なことか、わかっているつもりです。

僕の仕事は、山に身を置き、山の恵みである木を伐採(伐り旬・新月期伐採・葉枯らし乾燥)し、それをシングルフック仕様にした自分のユニック車を集材機として使い、搬出。そのまま載せて工場へ運び、去年設置した製材機(40年前の機械ですが、8mまでの木が挽けますし、6mの薄さ1ミリの均一な製品が採れるくらいの精度です)で挽き、天然乾燥して、仕上げしてくれる業者さんへ運び、そこから引き上げて自分で配達するまでです。
その工場(豊田市加塩町。猿投グリーンロード枝下(しだれ)インターから30分程の、矢作川上流域、岐阜に近い穏やかで静かで、豊かな山村にあります)に炭窯を作ります。
僕はそもそも、炭やき職人になるために脱サラし、師匠について修業しました。それ以来、ずっと炭やきを本業としてやってきました。この度、つまらない事情でしたが、去年まで使っていた窯が契約できなくなりました。しかし、それは僕にとってようやくその団体と縁が切れ、不本意なシガラミから離れて、自分の裁量で仕事ができるようになったことも意味しました。
最初、クラウドファンディングを始めることは、正直乗り気ではありませんでした。古いタイプの頭脳構造なので「人様からめぐんでもらった金を、自分の事業に使うとは情けない」と考えていたのです。
今回、製材機移転の費用を捻出するため、コミュニティバンク・モモから融資を受けました。他の金融機関で借りるよりも、僕がモモで借りることが僕自身のプラス実績になると考えたし、僕に融資することがモモのプラス実績になると考えたからです。
モモに関わる出資者の中に、かれこれ10年以上の付き合いの牧田さんという方がいて、彼に融資のこと、お金のことを相談していた時に、クラウドファンディングをしてみたら?と勧められて、いろいろ考えた結果、やることにしました。
いざ、やると決めたら最も大切な役割である事務局をしてくれるスーパーレディの古井さん(彼女もモモのメンバーです)を紹介され、現理事たちも応援してくれることになりました。
炭は、山の恵みと人の知恵が一緒になった素晴らしいものです。「灰にする炭」、「灰にしない炭」と、どちらも使えます。今度の窯でやく(平仮名表記が正式です)炭は、「灰にする炭」です。里山の恵みの中で、象徴的である実生で育った(人が植えたのではなく、自然に芽吹いた)広葉樹を昔ながらの方法で炭にします。一旦炭になれば1000年以上、そのままです。炭は元素である「C」の塊(96%以上が「C」)なので、それ以上分解されないのです。

炭素の塊を作る訳ですから、それは「炭素固定」そのもの。人が一年で排出するCO2は炭にして数百kgの量だそうです。炭を燃やせば、CO2が出ますが、それは地球上のCO2を増やすことにはならず、元々空気中にあったCO2が戻っただけ(カーボンニュートラル)です。
僕は炭という、「火の文化」を絶やしたくないのです。そのために職人となりました。炭をやくために木を伐りますが、里山の広葉樹は、萌芽更新するので命が繋がります。
本物の炭は、煙や炎を出しません。ただただ、真っ赤になり、遠赤外線を出しながら、静かに白い灰になります。一かけらの炭が完全に灰になる時間は、その灰の中に入れて空気量を調整することで格段に長くなります。火鉢の炭を、夜寝る前に静かに灰をかけておくと、朝起きても小さな火の塊が残ります。それを丁寧に取り出して、周りにまた炭を並べます。すると、一度熾した炭火がずっと使えるということになります。東北のある地方では、この方法で何十年も前の火種を守り続けていると聞きます。
里山の恵みを、丁寧に、優しく継いでゆくことが「火の文化」を守ることなのです。
炭火で炙った食べ物は何でも美味い。スーパーで買った安い干物が、料理店で出される魚に変わる。それは、本物の炭だけが成せる技です。何故、そこまで美味しくなるのかは、遠赤外線効果もありますが、他にも理由があります。興味のある方は、直接聞いて下さいね。

一回炭窯を焚き、炭を作る時には約2,5立米の原木が必要になります。大きめの広葉樹1本以上です。伐った広葉樹は、長さ3尺に切りそろえ、末口側で2寸四方くらいの大きさまで割り、それよりも細い枝はそのまま窯の中に元を上にキッチリと立て込みます。更に細い枝も、上木(あげき)と言って、窯のドーム部分に短くして詰め込みます。
一本の広葉樹(樫かナラ)を伐って、捨てるところ無く使います。残った葉っぱも集めて乾かして焚き付けになります。これは師匠から受け継いだ志なのです。一本の木を大切に、伐った以上、無駄なく使い切る。半端な長さの木っ端は焚き物にします。手を抜かず、山の恵みに感謝を忘れず、それを仕事にさせてもらっていることを忘れるなと。その木が、親から落ちたドングリから芽吹いて、その場所で何十年も生きてきたこと、特に広葉樹は水源地において、流域に流れる水の品質向上にはなくてはならない存在なのだと。
クラウドファンディングで応援してくれる人に、僕が内緒で実行していることを一つ話します。
それは、窯を焚いて、出た炭の一番品質のいいところ一かけらを、その木を伐った山にこっそりと返しに行くことです。
炭を山に置くことで、僕が関わってしまったことで伐られた木が巡る訳です。これは人間側の勝手な自己満足なんですが、僕はそれを山の恵みに感謝するという気持ちで行います。
山に炭を置くということを書き始めると終わらなくなってしまうので、その話もまた、直接お会いした時に聞いて下さい。