これが本業

工場も寒くて、火鉢に炭火を熾している。

休憩の時、手あぶりしながら、ウッドガスストーブで沸かしたお湯で淹れた、暖かいコーヒーを飲む。

20年やってきて、やっとこの炭が常にやけるようになったんだ。

中心まで同じトーンのオレンジ色。

この木(樫)が数十年間、毎日光合成を繰り返し、その結果幹に蓄えられた炭素を、炭化という熱分解で炭素の塊にしたものが「炭」だから、それを熾して燃やすという事は、炭素と酸素が酸化燃焼している様。

つまり、このオレンジ色は、太陽光エネルギーそのものということ。

父なる太陽の恵みを、蓄える事ができるのは植物だけ。

その恵みを炎という形で頂くことが、炭火を熾すということです。

修行中、師匠のやいた炭がこんな感じでオレンジ色に光ってた。炎も煙も出さず、ただただ、心地よい熱を放ち、静かに灰になってゆく炭。

それをようやく、意のままに作る事ができるようになりました。

自分で打った(構築した)窯で

自分で伐り出した樫の木で

僕はこの仕事(炭やき)しかできないけれど

この仕事は僕にしかできない。



旧暦の正月です

今日は旧暦の正月だ。つまり、立春前、最初の新月。

24節気と旧暦を意識しながら暮らしていると、母なる地球と父なる太陽と月の巡りと、自分の身体と心をシンクロする事になる。

そんな旧暦正月も独り、工場で黙々と働く。

次の窯の原木を割り、プレーナの電源線を短く加工した。炭窯の前には、朝からずっと火鉢で炭を熾してある。これで沸かしたお湯で淹れるコーヒーは美味い。

仕事がある喜びと、寒いけど、身体を動かしている事で気持ちも軽くなるこの感覚。

僕は幸せ者だ。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

還暦を過ぎて、身体は衰えて、老化してゆくんだけど、まだまだ夢というか、見えぬ未来にワクワクしている。やりたいことは山ほどある。

目指すのは、頑固で楽天的なジジイ。

市井の職人として、特に目立たず、承認欲求は人並みにあるけど、人からの評価にはできるだけ背を向け、自分のしたいことを続けてゆきたい。毎日消えゆくモノを大切にしたい。見えないモノを愛おしみたい。

「世直し」とか、「誰かのため」とか、「世界平和」だとか、「業界の発展」とか、そんな大それたことは目標にはしてなくて、自分がしたいことをする。「稼ぎ」も「仕事」も。

結果的に、誰かが喜び、誰かの役に立つのなら、それがいい。

大きな事を成し遂げるより、目の前の小さな仕事を一つずつ完成させる。それが僕の「分」だと思うんだ。

「生きることが仕事」になれるように自らの環境を整えたい。

自分が大切に思う人が穏やかな毎日を送る事。

「老い」と「死」は毎日確実に近づいてくる。

そこから目を背けず、動きながら考える事。

そして、毎回想うことは「誰とも戦わないけど、誰にも負けない」という事。

誰かと比較して、自慢することなんて何も無いけど、悲観することも何一つ無いんだ。

今自分が持っているモノで仕事を組み立ててゆく事が僕のやり方。「野生の思考」を実践したい。

今年も伐採から製炭、製材までを天職ととらえて進みます。

何でも自分でやりたがる、やっかいな性格だ。何でもやるということは、一つ一つの仕事が中途半端でもあること、次の工程も自分なので、甘くなる事。

それは自覚した上で、「俺はこの仕事しかできないけど、この仕事は俺にしかできない」と、そこは自信持って言える。

と、毎年同じ事を思い、同じような行動をしてる。進歩が無いのは、ブレていないこと。

今年も大丈夫だ。応援よろしくお願いいたします。

冬至

今日は冬至だ。

毎年、同じような事を書いているけれど、僕にとって、母なる地球と父なる太陽の位置関係は、絶対的であり、普遍的であり、全ての源であると考えるからだ。

今日を境に、言ってみれば、陰から陽に転ずる。

明日からは太陽エネルギーがプラスに転じる。

夏至までの半年、父なる太陽は少しずつだけど、降り注ぐ光を増やしてゆく。この地球に、外から入ってくるエネルギーは太陽の光だけなんだそうだ。後のモノは、全てこの星で輪廻転生しているだけ。人工物も、ケミカルなモノも、元を辿れば、大地の恵みだ。

一番遠いからこそ、父なる太陽に感謝したくなる(夏至の日は、一番近いからこそ、感謝したくなる)。

僕の生業は、木に関する事だから、僕の仕事は全てが、光合成に起因して生まれるんだ。

考えてみれば、何て神秘的な営みなんだろう。

木々も、山も、水も・・・「火」「風」「土」「水」の4つの神に対し、あらためて畏敬の念を持って、向き合いたいと思う。

今日は朝から雨だった。これだけ気温が低いけど、雪にはなっていない。夕方、西の空が明るく見えて、大急ぎで山の上まで行き、冬至の太陽光を撮った。

素直に、感謝の気持ちを捧げながら。

大事な仕事

たくさんある僕の大事な仕事。自治区定住促進部部長としての仕事だ。約1000人が暮らすこの敷島自治区。7町内ある。各町内から、一人ずつ選出されている定住促進部員が居て、「定住」に関しての活動をしている。その定住促進部の部長をさせてもらっている。自治区には「ときめきプラン」という、自治区全体の指針になるような計画があって、自治区の様々な活動は、そのプランに基づいている。豊田市の岐阜県境にあるこの、旧旭町に属するこの自治区も、高齢化による過疎が進んでいて、それをどうするか?このままでは、人口が減り続ける。Uターン、Iターンを受け入れる事を真剣に体制作りしなきゃいけない。それが、プランの最重要項目として記さている。それを推進する部の部長を、このヨソモノに任せるという、この自治区の懐は深い。

10年以上、この「部」に在籍している。いわゆる、お役だ。

組織の大嫌いな僕が、進んで組織をまとめている。不思議な感覚。

「移住から定住へ」が部の方針なんだけど、どこからが「定住」なのか、それを今まであえて、曖昧にしてきたけど、概念的に部内で統一したいので、部会で投げてみた。数値化できる話ではない(例えば、移住後10年で定住とか、安直に決めたくないので)し、各町内、様々な条件がある。部員同士が、「定住」の定義を話し合うことに意味がある。そして、それを各町内会長と議論してもらう事を依頼した。

「移住」してきてくれた人たちが、不安を抱えながらも、地域に馴染もうと努力をしてくれるのなら、それをバックアップするのも「定住促進」だから。

それは、僕が「地域面談」から、12年もこの集落で暮らしていけるように、当時の定住委員だった征夫さんが導いてくれた事でもある。今は、僕がその役目を担う時だと思ってる。

各町内の活動は、各部員さんに任せてある。例えば、移住希望者対象に行われる、「地域面談」のガイドラインは、各町内独自に決めてもらってる。僕の役目は、部員が動きやすくするために、全町内会長が出席する、月に一度の自治区総務会(僕も毎回、定住促進部部長として出席している)で、町内会長に対して、部員との協働をお願いする事だ。僕自身も、2度町内会長を経験しているからこそ、堂々と言える立場でもある。

つまり、その動きは「自治」に繋がっている。

夜の工場は、火星と木星が昇ってきていて、川音と静かなジャズと、焚火とコーヒーで一日の振り返り、明日からの段取りを考える。なんて、幸せで充実した時間。

でも、もっと稼がないとヤバい。「仕事」から「稼ぎ」へ、ギアを変えていかないと。

ジブリパーク

リンク先の記事。このどちらも、タチキカラの工場から旅立った木々だ。義理兄安井聡太郎氏設計の保育園の園庭で、圧倒的な存在感を放っているのは、東栄町粟代神社のマザーツリー元玉。元で1m以上あった。芯が蟻に喰われて、消失していたので、ユニックで持ち上げつつ、20インチのハスクで玉伐りした。もちろん、園までは自分で配達した。子供たちが遊ぶ砂場の土留めとして使われている。また、写真の奥で立っているスギもそうだ。この池内わらべ保育園では、粟代のスギをふんだんに使ってもらっている。床板として、合計200坪近く。柱や上がり框など。全て、僕が挽いた木々たちだ。

2枚目はジブリパーク、どんどこエリア入り口ゲートだ。大工の中村さんから発注を受け、僕の工場で挽いた材だ。これも粟代神社の200年超えのスギ。その赤身だけを使った。どんどこ売店のカウンターと窓周り、下屋の柱、垂木、丸太桁など。

中村さんが親方で請けたジブリパークの仕事に、僕が挽いた木が使われているのは、とても名誉な事です。

ジブリパークについては、ずっとオフレコだったんだけど、ようやく解禁。
https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=577970&pid=2826480&fbclid=IwAR1AjgvgDqGci1AHchxeF5qR6Oe8A-u39TDucW6HHAnm-0FcHJfec4UgNFc

一本の木

昨日は義理兄である安井聡太郎氏(子ども建築デザインネットワーク )設計の、名古屋市内の保育園園庭にあったサクラに、次なる命を与える仕事。

50年間、園児たち、先生たち、地域を見守ってきたソメイヨシノだった。園の拡張工事に伴い、伐採されることになり、その伐採作業を依頼された。人のココロに寄り添う設計をする安井氏から園に対して、「このサクラをキッチリ使いましょう」と提案がされて、園長も当然、OKを出した。地に足が着いたストーリー。それを実際にどう使うか、打合せを重ねた。

当日の伐採は、相棒中條さんと二人で伐った。園の敷地角、フェンス、電線など支障もあった。樹上作業で枝を落とし、綱株の無い街中の伐採なので、ユニックで牽引しながら、ピンポイントで倒す伐採になった。園児や先生たちが見守る中、狙った場所に倒した。

素直に真っ直ぐな部分の無いサクラだった。構造材にはならないので、厚めの板に挽いて、目を見てから使用場所を決める。代わりの無い材だったので、挽くのは気を使ったし、元の一番太い部分では70cmあった。木挽きとしてもやりがいのある仕事だった。太い枝はもちろん、炭にする。木酢液も採って、それは園に差し上げようと思う。

枝部分は余すところなく使いたい。子供たちに喜ばれ、一人ずつに形で残したい。そこで、グリーンウッドワーク協会の名和さんに相談してみた。すぐに反応してもらって、園児たちに対し、ワークショップ形式で色鉛筆を作る事を企画。昨日名和さんは道具を持って加塩の工場まで来てくれた。生の木を使って、ナイフワークで木を削って仕上げてゆく工程に、以前は??って思ってた。仕事柄、木をキレイに乾燥させて、美しく(割れや反りを無く)使う事ばかり考えていたからだ。

名和さんから説明を受けて、なるほどと思った。これはこれで有りだ。轆轤を使った木地は昔からあった。

ナイフや小刀を使うには、乾いていない生の木の方が圧倒的に作業しやすい。

実際に僕も作ってみた。思っていたよりも、上手くできた。削り馬やクラフトナイフが欲しくなった。

この色鉛筆の作り方は、基本的にグリーンウッドワーク協会のコンテンツなので、興味のある人は問い合わせてみて下さい。僕の引き出しに入ったスキルではあるけど、それを勝手に公表したり、仕事に使う事は考えていない。

共感した部分として、僕は一本の木を伐ったら、余すところなく使う。それが、木に対する礼儀だと思っている。木こりとして、木の命を絶った事に対するケジメが、ちゃんと使う事だと考えるからだ。

炭やきの修行をしている時、伐ったら枝先まで全部使えと、銀治先生から指導された。

幹は割って炭の原木、枝も手首の太さまでは炭に、指の太さまでは上木(あげき)に、更に細い枝や葉っぱは焚き付けに。それが炭やきの美学だと。今でもそれは実践している。特に広葉樹は葉っぱまで使うようにしている。

針葉樹は、枝葉は基本的に山に置いて、土に還す。

ただ、僕の理想としては、枝葉も鋸粉も使いたい。

実際、僕はできるだけ工場へ持って帰り、窯の焚き付け、家の薪ボイラーの燃料、薪ストーブの燃料として、木っ端も製材コアも全て使い切る。

そんな思想が緩くシンクロしているような気がした。

単独でも、生の広葉樹を使ったグリーンウッドワークのワークショップは開催できます。その時は、名和さんに講師として来て頂こうと思ってる。

作品を作ることが目的ではなく、木を使う事を知ってもらう事が大切なことなんだ。

伐り旬の始まり

今日は秋分の日。毎年書いてる事だけど、父なる太陽と、母なる地球の位置関係において、今日が分岐点となり、太陽の光が届く時間が、届かない時間よりも短くなる。これは、あらゆる生き物に影響を与える。植物は光合成が減り、横方向の成長が緩やかになる(実際には、夏至を過ぎて一か月ほどで光合成は弱くなるので、(秋目)年輪ができ始めるんだけど)。太陽と地球、月の位置関係は普遍であり、最も神秘的。それは、暦、時計、動物のDNAと反応したすべての営みの基本となるからだ。

僕たちは考えて行動しているようで、実は無意識に、本能で動いている部分が多くて、その大元になるリズムは、宇宙の鼓動をダイレクトに身体に受けている反応なんだと思う。

僕は旧暦を意識していて、24節気を節目にしたいと思っている。その中でも、春分、夏至、秋分、冬至は特別な日。

そして何より、今日から伐り旬に入るという事。

今日から春分までの半年、身も心も山に入り込むシーズン。

ふと、想うこと

歳月は、元来、長久なものであるが、気ぜわしい者が、自らせきたてて短くする。

天地は、元来、広大なものであるが、心根の卑しい者が、自ら狭くする。

四季は、元来のどかなものであるが、あくせくする者が、自ら煩わしいものとしている。

始まりと呼ばれるものは、しばしば終末であり、終止符を打つということは、新たな始まりである。

終着点は、出発点である。

人は大きな目的をもってこそ、おのずから大きくなる。

若い人には若い日の花があるのと同時に、老いたる人には老人の日の花があるのだ。

これ、かなり前に読んで、メモしてあったコトバ。

還暦を過ぎ、衰えの実感は確かにあるけど、老いへの恐怖って、実はほとんど無い。

自惚れかもしれないけど、僕の未来は明るいし、俺はカッコイイ爺さんになってる。いい感じに枯れてゆきたい。

そうなるためには、たった一つ。自らに課すことがあるんだ。

それは

「誰とも戦わないけれど、誰にも負けない」

ってこと。

できない理由は、できる理由

「できない理由は、できる理由」って実感。

僕のもう一つの大切な仕事、自治区定住促進部部長として、移住から定住への長い道のりを、しっかりとサポートする事。旧旭町定住委員 定住委員会副会長として、旧旭町全体の定住に繋がるような動きをする事。

コロナの影響で、歯痒いくらいに動けていないけど、今は準備期間だと言い聞かせて、動きたい気持ちを我慢している。

たくさんの移住者さんたちが希望を胸に移住してきて、その中でもかなりの人が、夢破れてまた都会へ戻ってゆく。僕は移住者に対して、厳しいというか、地元地域の人たちの気持ちや思いを優先する。

しかし、目指すのは移住者が定住者として、穏やかに、普通に田舎で暮らしてゆくこと。

ある日突然、移住してきた人が引っ越すこともある。何故出てゆかなければいけなかったのか、地域の人たちにはなかなか伝わらない。噂程度の話しかない。

ただ、補助金を出している行政側には、理由を知る義務があると思う。そして、その「出てゆかねばならぬ理由(このまま住み続ける事ができない理由)」というのは裏返せば、それを解決することができれば、「出てゆかずに済む」という事になるはず。

僕が定住委員会などの会議で、行政へ要望すること、それは移住定住政策(豊田市はかなり積極的に動いてくれている)を進める中で、その「出てゆかねばならぬ理由」を、個人情報などの制約ギリギリのところで教えて欲しいと。

その理由を、地域で解決できるのならば、すればいい。移住者のわがままならば、それはスルーすればいい。

この手法は、危険もはらんでいる。それは、僕自身が若い衆にしてしまった事でもあるんだけど、不満や問題を聞いて、それを解決したら全て上手くゆくと自惚れる事。問題点を挙げて、それを解決する事は大事なことなんだけど、「問題は解決したんだから、もうお前は頑張るしかないぞ」と言う事。それは、相手を追い込み、逃げ場を無くし、結局何も言わずに逃げ出すしかなくなることがある。

世の中、そうそう上手くゆくものではない。思いどうりにはいかない。

ただ、僕個人については、「できない理由を裏返せば、それを解決する事によって、できる理由に変わる」という事は言える。

そして、今の僕の事業について言えば、結論はハッキリとしている。そう。「やるなら今しかねえ」のだ。