火を焚きながら

ボイラーを焚きながら、冬の夜空を眺めながら、考える。薪は全て、自分で伐り出した木だ。

いろんな人が、いろんな事を言う。デリカシーの無い、下品な奴もいれば、こんな僕に暖かい言葉を投げてくれる人もいる。

宇宙(そら)を眺めていると、本当の優しさとか、強さとか、人間らしさって何だろうと思う。

宇宙(そら)に想いを馳せ、自分の足元をもう一度確かめる。

自分のしている事に迷いは無いが、多少の不安は絶えず、影のように付いて回る。

百人の人にそしられても、
一人の正しい人に褒められるように。

百人の人に讃えられても、
一人の正しい人に笑われないように。

この言葉を思い出した。何かをしようとすれば、人はああだのこうだの言う。

「一人の正しい人」というのは、揺るぎの無い自分自身なのだと思う。

父なる宇宙(そら)は、無言で僕を導いてくれる。

窯焚き

日本一大きな窯の焚き口です。
炎がオレンジ色なので、1000度近い。
このオレンジ色の光と熱は、焚き物にした木々たちが何十年も光合成を繰り返して、幹に蓄えた「C」炭素と、高温で「O」酸素が酸化結合して(燃焼)、再びCO2として大気に放たれる時の様(さま)だ。
これはカーボンニュートラルと言って、元々木々が光合成した場所にあったCO2が再び大気に出るだけなので、大気中のCO2を増やしていることにはならない。
つまり、このオレンジ色の炎は太陽の光そのものなんだ。
高温で燃焼している木々からは燃焼ガスが放たれ、それはまるで太陽のフレアみたいだ。生き物のように炎が動き回る。これが窯の中に入ると(正しい手法で作られた煙突があれば煙は引かれて、熱が窯にきれいに行き渡る)、焚き口で酸素が使われているので、酸素が無い状態で熱だけが原木に届く。木々は、270度を超えた状態で酸素があると(酸化)燃焼、酸素が無いと(還元)熱分解→炭化を起こす。
そんなことより、この炎を見ていると、無心で無頼で無垢な気持ちになれるから不思議だ。やっぱり、父なる太陽と、母なる地球の恵みで大きくなった木々が僕に大きなエネルギーを与えてくれているんだ。
この炎は、焚き始めた24時間くらいの間だけです。後は、僕が作った窯が仕事をしてくれる。素晴らしい仕事と巡り会えた僕は幸せ者。
ゆうべは 夜中まで窯に居て、仮眠はしたけど眠くて仕方ない。今夜は早く眠ります。

いろいろと考える

一次産業に関わる者として、誇り高く仕事を進めることだ。山を守り、木を使うということは、水源地となる森林を守ることになる。流域は運命共同体であり、その最上流で、この手で考えながら仕事ができるというのはこの上ない幸せなこと。
僕にしかできない仕事をしています。お金は儲からないけど、とても豊かな暮らしを送れる。山の懐に抱かれて、そこで自分の能力を発揮できる。相手は地球です。絶対に勝てない相手。
畏敬の念と謙虚な気持ちで、山の恵みをほんの少し頂いて、それを糧に生きる。
地味だけど、地に足が着いた仕事。それが僕の自慢です。

大きな生命体のような、名も無き山が僕の周りに存在する。それらは目の前にある。足元に拡がっている。そこには命が満ち溢れている。頂には神が宿っている。

つまらない人間関係を忘れて、自分のしたいことに没頭できる環境に感謝だ

自慢です


ジブリの鈴木敏夫さんが旭に来て下さって、いろいろと話をさせてもらった時の様子が、ジブリ汗まみれというFMの番組で流れました。
僕の人脈ではありません。大工の中村武司さんが連れてきてくれました。
家宝ものの録音です。
バックナンバーから、2015年8月17日をダウンロードしてお聴きください。

年が明けて・・・

年が明けて、いろいろと決意やら、追われている仕事やら、気忙しい毎日。

ずっと前にノートに書いたこと。

「いくら浄化に贅を尽くしても

私たちは山が水を生むようには美しい水を生むことはできない

 とどのつまり、水を守るには山を守るしかない

 そして、その山を守るには、山を守る人を守るしかない」

僕の生涯の師匠である斎藤和彦から受け継いだ言葉だ。

今年は大きな変革だ。お金も使う。ありがたいことに、製材機移転と乾燥機設置には何人かの人からの、心から嬉しい申し出をいただいた。

自分の事業のことなので、全て自分だけで何とかしようと思っていた。それが男として、当たり前だと思って無理をしようとしていた。時々、ふとこの師匠の言葉が脳裏を廻る。

僕の目標は、愚直に山を守ること。

そんな僕を守ってもらえるような、真正直な仕事をすることも大切な仕事だと思うようになった。

独りで頑張らなきゃいけないけど、1人では何もできない。

58歳になろうとしているこのおっさんが、まだまだ働ける。そのありがたみも身に染みるような出来事が教えてくれる。

派手でカッコイイことはできない。小さなことを積み上げることしかできない。それが僕のスタイルだと静かに主張できるようになった。

「僕はこの仕事しかできないけれど、この仕事は僕にしかできない」

誰かと比べれば、やってることは中途半端でショボイ。

だけど、全く引け目や惨めさはないんだ。同年代の誰よりも貧乏だけど、この道で何とか食えてる。

稼ぎと仕事の狭間でもがくこともあるけど、半分諦め、半分開き直り。

まあこれでいい。

今年の抱負は「ほんの少し、人の情けに触れながら前に進む」ということにした。

と、去年の同じ日に投稿したんだけど、今年も同じ日に同じ投稿をします。それは、今年も竹さんがこの記事をシェアしてくれたから。

毎年、年が明けてすぐ。同じ決意を確認できることが嬉しい。変わらず頑張っています。一気に前にも進んでいないけど、ほんの少しだけ、前に進んでいます。

あらためて、今年もよろしくお願いいたします。

成功って・・・

人それぞれ、価値観が違う。当り前だ。

人それぞれ、成功の感じ方も違う。

以前(20代~40代前半)の僕は、野望に燃え、大成功を勝ち取ることが目標だった。40歳でフェラーリに、50歳でジャグアに乗るって決めてた。誰かに負けたくなかったんだ。

今は明らかに違う。

今は「小さな成功を積み重ねること」が自分の人生を成功に導くのだと、確信している。

志の高い人ほど威張らない。これは宇宙の法則だ。

小さな事を大袈裟に言い、人の悪口しか言わないオヤジがいる反面、ただひたむきに土と向き合い、疲れた都会の人たちが田舎で見せる笑顔を糧に生きる人もいる。

大きな成功や金儲けを目的にしていると、大切な事を見失うようだ。

こんな話をすると、「お前は甘い」と嘯く人もいる。構わない。言わせておこう。

その人は僕に勝ったつもりでいる。僕には関係無い。勝たせておこう。

そもそも、そんなことで本当の勝負はついちゃいない。

内山節さんの話は、僕を更なる山奥へと誘(いざな)う。自然環境を含めた集落単位でモノを考える。その根底には流域思想。

そのとおりだと思う。

僕自身が、密度を増しながら、穏やかに自分の目指す場所に向かって集束している。

うん。これでいい。それだけは自信を持って伝えることができる。

名も無き山に棲む神たちに見守られている。それを魂の奥で感じられるだけで、成功したようなものだ。

LA COMUNITA

僕の仕事は、木こり・炭やき・木挽きだ。
元々、炭やき職人になりたくて、30代後半で修業し、40代前半で脱サラしてこの道に入った。
それは、定年後とか、余裕ができてから修業しても間に合わないとわかっていたから。生業として山仕事を覚えるには、40代で独立できるくらいのスキルを身に付けなければ生き残れないって思ったから。
しかし、そんなに甘くない。炭やきだけで食っていくのは無理だった。だから、請けで伐採したり、製材したり。炭をやくには、木を伐り、出し、運び、割ることが必須だ。
だから木こり仕事も修業した。
僕の本業中の本業は「炭やき」です。もちろん、木こりも木挽きもプロとしてやっています。木こり仕事や製材仕事は、僕の他にもたくさんプロがいるし、僕はプロとして最低限の能力は持っているけど。特別すごいスキルを持っている訳ではない。
けれど、炭やきに関しては違う。そもそも、同業者というのが近い場所には居ない。窯を打てて、ちゃんとした炭を出せる人間は多くない。僕は炭やき職人として、(誰とも戦わないけれど)誰にも負けない。
僕がやいた炭を使ってくれているプロの料理人がいます。名古屋一社の「La Comunita(ラ・コミュニタ)」の大森シェフだ。彼は「僕の肉料理は杉野さんの炭無しでは語れない」と言ってくれる。一流の料理人にそう言われることは、最大の誉め言葉なんだ。実際、何度か彼の炭火焼き料理を食べたけど、僕の炭を使って、こんなに美味い料理ができるんだと驚いた。
その「コミュニタ」が、ジビエポータルサイトで紹介されている記事を大森さんから教えてもらい、シェアの許可をもらったのでシェアします。
名古屋近郊のみなさん。是非、僕の炭を大森シェフが使ってくれた料理を食べに行ってみて下さい。詳しくは、シェアした記事をご覧ください。

何軒か紹介されているけど、名古屋の「LA COMUNITA」です。よろしくお願いいたします。ジビエに関するポータルサイト「ジビエト」。ジビエを今よりほんのちょっとでも身近に感じていただくために、ジビエのコース料理やランチを扱う飲食店情報・イベント情報から被害状況・対策までジビエに関する様々な…gibierto.jpジビエポータルサイト「ジビエト」 -おいしく活かす、森のごちそう-ジビエに関するポータルサイト「ジビエト」。ジビエを今よりほんのちょっとでも身近に感じていただくために、ジビエのコース料理やランチを扱う飲食店情報・イベント情報から被害状況・対策までジビエに関する様々な…

58歳

58歳になりました。まだまだ志半ばの半端者です。去年の大怪我から約10カ月。ハスクのヘルメットをしていなかったら、今年の誕生日は墓の中で迎えていたことでしょう。
右手の痺れと痛みは続いていて、いろいろと思うところもありますが、今立っているこの場所で、相変わらずのことを続けてゆきます。
小さな成功を積み重ねることしかできません。
まあ、自分のしていることを世に問えば、人はああだのこうだの言いますが、それらを聞き流し、人からどう見られるか?でなく、自分がどうありたいか?を問い続けてゆきます。
これからもよろしくお願いいたします。

市井(しせい)の・・・

市井(しせい)という言葉がある。僕は名も無き職人の魂だと理解している。金・地位・買名。それらの欲を抑え、ひたすらに自分の仕事をやり遂げること。誰かに評価されることを期待せず、徹底的な自己評価によって仕事を全うする姿勢。
市井の炭やき・木こり・木挽きになりたいと心から思う。
僕が目指すのは、名も無き山守。日々消えゆくものを愛おしみ、大切にするような生き方。自分がどうありたいか?だけを自らに問い、例え独りきりでも、堂々と、悠々と進むんだ。
誰も見ていないからこそ、美学を貫くような、そんな生き様を貫いて、僕は頑固で楽天的なジジイになりたい。
そして、できるのなら、最後に関わった山にこの身体を捧げてから星になりたい。
けど、現実はそうはいかない。欲を捨てきれず、人に認められたがり、怒りを抑えきれず、みっともない姿を晒している。せめて、自分の過去に爪を立て、明日に向かって吼えたいんだけれど・・・・

ゴジラとガメラ

58年かけて、ゴジラとガメラ全作品を観てきた。大好きなんだ。なぜこんなにゴジラとガメラが好きなんだろうって考えてみた。最初のゴジラは恐怖の権化、戦争の深い傷跡が残る人たちに、人間がそれを抹殺できることを描いていた。実はガメラも同じだ。ゴジラもガメラも、最初は(僕が生まれる前)恐怖の象徴として描かれ、次に人類の味方としてちょっと軽薄な感じに。それはそれで、子供だった僕の心を掴んだ。ゴジラもガメラも、単独で現れる映画は恐怖の悪者として、対になる相手のいる時は絶対に負けない、強さの象徴。単なる娯楽映画とか、ヒーロー物とは違う、何か惹かれるモノがあったことは確かだ。この年齢になっても、まだ観たい。ゴジラもガメラも、平成になる直前くらいから、明らかに路線が変わってきた。というより、戻ってきた。ストーリーはよく練られており、理論や現象に破綻は無い。

映像はリアル。特撮やCGは徹底的に造られている。

要は、大の大人たちが寄ってたかって、真剣に仕事をした結果なのだ。ウルトラマン世代の僕にとって、それがたまらない魅力なんだ。

「自然」というのは大きくて、厳しい存在である。種としての人類の命など、何のためらいも無く奪う。それをゴジラやガメラに投影して描いてる。それは、映画監督たちのインタビューなどでハッキリしている。今回のゴジラは、それらの集大成であると同時に、エンターテイメントとして、次につなげている。見事に。人類が地球にダメージを与えた結果(例えば核の乱用)生まれた脅威と戦う正義の味方を描いていながら実は、ゴジラやガメラが本当に戦う相手は、地球に対しての脅威である。つまり、これ以上人間たちが地球に対して良くないことを続けたら、今度は僕たちが潰されるという刷り込み。それは子供たちの方がより、潜在意識に刻まれるだろう。調子に乗りすぎていると、恐ろしい怪物が襲ってくるから、正しいことをしなさいという教えだ。今回のゴジラも同じだった。監督のインタビュー記事で、とても興味深い言葉があった。「自然というものが再び王冠をかぶっている世界。人類はふたたび自然に従属する存在にならねばならない」大地(土)・空気(風)・太陽光(火)・水 これらが無ければ、生きてゆけない。作り手が、真剣な想いを込めて描いた怪獣映画だ。それを理解した上で、もう一度映画館で観てこようと思う。一次産業に身を置く僕だ。環境に対しての配慮もしなければならないし、僕なりの、「自然」に対する「畏敬の念」や、「環境」を大切にしたいという気持ちも大切だ。

石油製品や、電気、水道も無ければ生きられない。太陽の光以外は、全て地球の恵みだ。

やっぱりそこをしっかりと心に留めて、山と対峙したいと思う。大好きなゴジラやガメラに潰されることの無いように。