ようやく、炭窯が完成した。
未完成でも炭はやけていたんだけれど、あちこち補修しながら、やっと天井に土を被せ、それを均しつつ、焚いて暖めてる。これで、この窯でしっかりと炭をやきます。
クラウドファンディングで支援してもらって、耐火レンガや耐火セメントを買い、たくさんの人に手伝ってもらって、レンガ積んだり、天井のセメント打ちしたり。
今も焚いてますが、やはり過去最高の窯になっています。
この窯が煙を上げている様子は、何時間見ていても飽きない。
天井に土が乗って、炭窯らしくなった。
堂々たるものだ。
すでに、自らの意志を持って、熱を吸い、煙を吐いているようにしか見えない。
素晴らしい。
大師匠 逝く
昨日、伐採作業中に聞いた訃報。
僕の師匠の師匠であり、直接指導もしていただいた、杉浦銀治先生が先月亡くなられたと。90歳を過ぎた銀治先生も体調が思わしくないと伝え聞いていて、覚悟はしていた。
僕がまだSEだった頃、設楽の田峯へ炭やき修行に行っていた。それが師匠の斎藤和彦さんのところだ。
「三河炭やき塾」だ。その名誉会長が銀治先生だった。何度もお会いして、宮城へ車で行く時に、銀治先生のお宅へ迎えに行ったりした。
とてもとても大きな存在だった。細かい技術的なことよりも、もっと大きな思想を話して下さった。炭や木の事を皇室へ伝える役目も担っておられて、勲章も授与されていた。
たまに電話をもらって「杉野さーん。頑張ってるみたいだねえ。よかよか」と仰っていただいた。
達筆な手紙と共に、貴重な資料を送って下さったり、15年前に斎藤さんと僕で設計し、僕が現場を任された串原の日本一大きな炭窯。そのオープニングイベントにもメインの来賓で来て頂いてた。
今僕がここで山仕事をし、炭やきを生業としている事の、原点が銀治先生なんだ。
安城の出身で、矢作川を愛し、矢作川の上流に身を置いた僕を応援して下さった。ここに来た時、とても喜んで下さった。銀治先生が教えたたくさんの人の中でも、そこから生業とした人間は僕だけだと、銀治先生は優しく笑いながら話をして下さった。
一つの時代が終わった。ちょうど、僕が新しい窯を完成させたこのタイミングだった。もちろん、誰よりも見て欲しかったんだけど、ご高齢であること、コロナのことがあって実現しなかった。
覚悟はしていたけれど、とても悲しい事だ。
すぐに八王子へ行きたい気持ちもあるけれど、今はコロナの事もあって、ご迷惑だろうから我慢した。
窯を前に想うことは、銀治先生ほどの影響力は無いにしても、僕が次の世代へ「火の文化」を渡してゆかねばならぬと言う事だ。
あらためて、そんな事を心の奥深くで覚悟した。
初窯は・・・
今日は朝から誰とも会わず、工場でひたすらに原木割り。
シングウの42インチ薪割り機がすこぶる調子いい。前の窯でも使っていたけど、あれは補助金で手に入れたものだし、自分の物では無かったから愛着も少なかった。
だけどこれは、クラウドファンディングで支援してもらったお金を半分、残りの半分は自腹で買った。
エンジンはミツビシ。いいオイル入れて、高いけどモリブデン添加剤も入れて、慣らし運転までしたエンジン。OHVの4サイクル、シングルの181ccだけど、低回転でよく粘るから割りやすい。
休憩は、やはりウッドガスストーブで甘いカフェオレを飲む。
そして、窯も冷えたので口を切って(焚口のレンガを外して)、中を見てみた。
初窯にしては上出来だ。
当たり前だけど、炭になっていた。焚き方もまだ改善の余地あり。
一つステージが上がった。
まだ雪の残る工場で、未来への確信を一つ、胸に刻む事ができた。
本当に幸せ者です。
時間泥棒
雪だ。けっこう積もった。
そして、今日の僕はすこぶる機嫌が悪い。
これから書くことは、人の悪口です。見たくない人はスルーして下さい。
いつものように、工場で仕事をしていた。木挽き仕事が一段落したので、おが粉を集めたり、挽いた材を整理したり、コアをまとめたり、掃除したり、窯は順調に冷めているので(窯のどこかに不具合があると、冷めずにどんどん灰になってしまう)、淡々とそれでもご機嫌に仕事をしていた。
そんな時、泥棒が来た。
盗まれたのは僕の時間。職人の時間を奪うということは、僕のお金を奪うのと同じこと。やって来たのは「時間泥棒」だった。
そのジジイは、断りも無く勝手に敷地に入って来て、図々しく僕の近くまでやってきた。「やっと会えましたね」というそのジジイ。
最初、地元の人かと思って「どちらの方ですか?約束してましたっけ?」と聞いたら、豊田街中に住んでて、森林ボランティアをしているトヨタのOBだと言っていた。
僕には、面識の無い人のところへいきなり来るという神経が理解できない。そのジジイは春に載せてもらった中日新聞を見て、その後で僕のホームページも見たと。それならば、事前に連絡ができるはずだ。
置いてあった僕のチェンソーの鞘を勝手に外して、刃を見たらしい。「さすがにいい刃だね。目立て教えてもらわなきゃ」と、笑顔で。
僕は「目立て教えますよ。一日3万円もらいますけど」と言った。そのジジイは「えっ?お金取るの?」だと。他にも、聞きもしないのに、自慢話(レベルの低い話だったけど)。その間、僕は何度も時計を見た。それは、そのジジイに自分が時間泥棒だと気付いて欲しかったからだ。その時点で僕はそのジジイの相手をするのが嫌になっていた。すると、そのジジイは僕の大切な製材機のレールに足を乗せたまま「人が話をしている時に時計を見るって、失礼じゃないかな?」と言った。僕はキレた。
「失礼なのはどっちですか?いきなりやってきて、勝手に入り込んで、職人の仕事時間を奪っておいて、そっちの方が何倍も無礼じゃないか?」と、言葉を選んで穏やかに言ってみた。もっと汚い言葉で罵る事もできたけど、妙に冷静にその哀れなジジイを観察してる自分がいた。
時々こういう事が起きる。実店舗で商売をしているならともかく、ここは危険な道具もあるし、ハイ積みしてある丸太は積んであるだけなので、崩れて下敷きになる恐れもある。
面識のある人ならともかく、興味本位で職人の仕事場へ入ってくるという行為は、不法侵入になる。
前の仕事場でも何回も何回もあって、そんな奴らは決して、炭を買ってくれたり、板を買ってくれたりしたことは無い。散々、質問されて、僕の貴重な時間を奪って、「いい話を聞かせてもらってありがとう」と帰ってゆく。今日のジジイも当然、手ぶらだったし、名乗ることもせず、一方的に自分の知識欲を満足させたいだけだった。
偏見かもしれないけど、大企業を定年まで勤め、定年後の自分探しをしているジジイたちに多い。その手は僕の大嫌いな森林ボランティアたちにたくさんいる。
金と時間はあるけど、礼儀やリスペクトを知らない。
僕はお客さんを大事にするけど、神様だとは思っていない。特に伐採など、自分ではできない事を依頼してくるのだから、立場は対等だ。たいていの場合、向こうが思っている金額よりも高い見積もりを出すことが多い。見積もり段階で値引きの交渉には応じるし、大儲けしようとは思ってないけど、決して安くすることがいいとは思っていない。
ところが、仕事が終わってから、何かと難癖をつけてきて、値切ろうとする奴らもいる。その場では何も言わないのに、後からグダグダ言う奴。
今日のジジイもそんな感じだ。きっと、あちこちに僕の悪口でも言ってるんだろう。
まあ、いくらでも言ってくれ。
何でもお金に換算するのは嫌いだけど、「時間泥棒」に奪われた時間とお金は戻らない。
若い活動家にもそんなタイプは時々いる。
せめて、事前に予定を確認してから来てほしい。
どんな事だって、メリットが無い事はしたくないんだ。メリットとは、お金の事だけじゃない。
毎日、熊手で小銭をかき集めるような暮らしをしている個人事業主です。ケチと言われようと、偏屈だと噂されようと、自分のケツを自分で拭かなきゃいけない。定年後の遊びに付き合っていられるほど、こっちには余裕は無いんだ。
本業 炭やき
僕の本業は炭やきだ。「炭焼き」とは書かない。炭焼き職人とは、炭火で料理する職人の事。僕たち製炭士は平仮名で「炭やき」と呼ばれる。
炭やきという仕事の中で、最も大切な道具。それは窯だ。
去年の春、クラウドファンディングで支援して頂いて、資金を集めて(足りない分は自分で出して)、資材を購入。「火の文化」を継承するために頑張りました。
窯の設計、施工は全て自分で行った。場所は僕が所有する工場の一角。
20年前に修行を始めて、師匠から窯の打ち方(作り方)を教えてもらい、あちこちで作ってきた。2年前まで10年以上使っていた窯もそうだった。煙の苦情で使えなくなったけれど、そこを管理している団体がポンコツで、早く縁を切って自分の窯を持ちたかったので、ある意味ベストなタイミングで追い出された。
耐火レンガ、耐火セメント、地元旭の赤サバ土、目地は耐火モルタル。
今まで積み上げてきた僕のスキルと勝負する気持ちで挑んだんだ。
炭窯だから、いい炭がやけて合格。しかし、火を入れて、窯が暖かくなる過程、煙の出方など。全て合格だった。
今まで使ってきた窯の中で最高に調子いい窯になった。
支援して頂いた方、本当にありがとうございました。
個人的な支援はずっと受け付けています。
ようやく初窯
今日から窯焚き。
他にもやる事が山のようにあるけど、今日だけは「北三河炭やき人」として、集中して窯を焚きます。
クラウドファンディングで支援してもらい、たくさんの人にレンガ積みとか、天井打ちとか手伝ってもらって、ようやく試運転を終えて、これが初窯になります。
榊野の横江ちゃんに祈祷してもらってから数ヶ月。
設計から大事な部分の施工は一人で頑張った。
特に煙道(ウド)作りは気合い入れた。
その甲斐あって、焚き口に火を入れてからすぐに煙突から引き始めた。第一段階クリアです。
さて、来週は窯焚きながら木挽きもやらなきゃ。
約2年ぶりの本業炭やき。煙突から出る煙に、新たなる決意と、これが僕の日常であることの喜びを噛みしめつつ、淡々と仕事しています。
今年は・・・
先日、「SDG’s」や「カーボンニュートラル」について否定的なことを書いたけど、別に否定するつもりはない。
ただ、僕からは遠い場所の話だと思った。「ウッドショック」にしろ、「木質バイオマス」にしろ、日々の僕の仕事に直接影響も関わりも無いだけだ。「J-クレジット」には多少関係してくる可能性もあるけれど、いずれにしろ机上の数値化にはさほど興味が無いのだ。
僕が最も大切だと思う「感性」は数値化できない。たとえ数値化できたとしても、陳腐な表現になるだけだろう。
「感性」で表現できるのは「合う」「合わない」だと思うんだ。人間関係もそうだ。口先だけの時間泥棒たちと上手くやってゆける気は全くしない。
そう。横文字のスマートな表現も彼らも、僕とは「合わない」のだ。あと約1ヶ月で還暦だけれど、50代になった時、誓った事がある。それは「好きな人とだけ付き合う」ということ。もちろん、大人の事情で「嫌いな人とも関わる」ことをするけれど、基本は合わない人をシカトだ。
事業は更に充実してきている。だからこそ、より一層、小汚くて偏屈なおっさんに磨きをかけてこんな自分を貫こうと思っている。
僕の憧れは、75歳の自分自身。「頑固だが、楽天的な山のジジイ」だ。
まだまだ、そこに到達するにはたくさんの事をしなければならなくて、もっともっと挑んで乗り越えなければ。それが楽しみで仕方ない。
去年の結果は、これからの最低条件でしかない。何とか無事に新年を迎えることができた。
今年も変わらず、一本の木を生き物として扱ってゆきます。
去年を振り返ると、一番記憶にあるのはやはり、クラウドファンディングを通じて、たくさんの人に支援をしてもらったこと。完全に予測を上回る結果でした。本当にありがとうございました。リターン品については、来年早々から段取りします。順次お届けしますので、もう少しお待ちくださいね。
春に中日新聞に載せてもらったのも印象深い。田舎のおじさんやおばさんたちが一気に、僕を認識してくれた。いまだに、「あー、新聞に載っとった人だね」と言ってもらえる。ホームページのアクセスも掲載翌日は記録的に多かった。
雑誌の取材も何件かあって、どれも嬉しい出来事だった。もちろん、メディアに出ることが目的ではないけれど、やはり少なからず承認欲求はあるのだから、素直に嬉しいと思う。
どちらにしても、多くの人に助けられ、支えられて生きている事は間違いない。地味だけど、僕にしかできない仕事と場所を与えられている。今以上に頑張るしかないと思います。
カーボンニュートラル??
ツイッターで、「一次産業はカーボンニュートラルに貢献しているから、頑張る」って書いてあった。
「SDG’s」にしても、「カーボンニュートラル」にしても、流行りの耳ざわりのいい言葉だから使っているんだろう。政治家までも安易に使ってる。
そもそも、「カーボンニュートラル」というのは、CO2吸収と排出が相殺されてゼロになること。
つまり、木を燃やして出るCO2は、元々その木々があった森林に漂っていたCO2だった(光合成によって、CO2を吸収し、O2を排出し、Cは木が蓄える)ので、CO2の絶対量を増やしたことにはならないという意味。
今、流行りで言われている「カーボンニュートラル」というのは、CO2排出削減ということ。
木を燃やしても、地球上のCO2を増やしたことにはならないという事で、木を燃料として使う事は悪くないという、いかにも最先端の意識高い系の活動家が好みそうな話。
バイオマス燃料として、人工林の木々たちが取引されている。
それに対して僕は、ずっと強い違和感を持ってきた。燃やせば一瞬だけど、育つには何十年もかかる。それを考えると、複雑な気持ちになるからだ。
僕が請ける山は、ほとんどが人工林だ。誰かが植えて、育てた木々たち。
植えた人は、焚き物にするために植えたのではない。立派な柱や梁になれと、想いを込めて植えているんだ。
僕の仕事は、山の木を伐り、針葉樹は挽いて材木に。広葉樹は窯を焚いて炭に。最初から焚き物として扱ったりしない。
柱や梁、炭にしても燃やさなければ、炭素固定そのもの。自分が出している、化石燃料由来のCO2に関しては、相殺できている。
木を燃料以外で使うことで、炭素固定は進む。焚き物にするのは、最後の最後。コワ(木の皮が付いた部分)や、木っ端などのはずなんだ。
木(山の恵み)を頂いて、それを大切に使うことで、少しでも炭酸ガスの排出を抑えて、子孫から借りただけのこの星を大切にしたいと、年末の忙しい中考える。
せめて、山仕事で生きている僕たちくらいは、そんなことを真面目に考えるのもいいんじゃないかな。
目標
一日工場で納期のある仕事を黙々と。休憩時間は、焚火でお湯を沸かして、粗目に挽いた豆でパーコレーターコーヒー。こんな毎日、当たり前の事なんだけど、考えてみれば豊かな事なんだ。
世の中、SDGsってうるさい。
「杉野さんの仕事はまさしく、SDGsですね!」と目をキラキラさせて言われても、僕にはピンと来ない。
地球環境が良くなればいいと、それは本気で想うけど、僕の目標はそこではない。もっと足元の、もっと身近な、もっと自分本位の目標なんだ。
僕のような当たり前のおっさんが、当たり前に仕事を続けてゆけば、それは地球環境を良くすることに繋がると考える。僕は、やりたいことをやっているだけ。誰かのためとか、地球のためとか、それは結果的にそうなればいいと思うに過ぎない。
来年還暦を迎える僕が望む事、それは「頑固だが楽天的なジジイ」になること。せめて、自分の周りの森が良くなること。毎日山の懐で眠り、目覚め、木を伐り、木を挽き、窯を焚く暮らしを続けられること。
昼休みで家に帰って、窓から見える景色にハッとした。何でもない、里山の風景。田んぼの向こう側に低い山があって、斜面には針葉樹、広葉樹が混ざった里山が広がってる。この景色を、自分が暮らす場所から毎日眺められること。これこそが、僕の望んだ生き方なんだ。
つくづく、幸せ者だと思う。
雨がそぼ降る田舎なんだけど、とても豊かな時間が流れている。
試運転
型枠を燃やすだけのつもりが、つい炭やき行程に入ってしまい、こんな時間(23時)。
窯から煙が上がる姿は、本当に美しくて、嬉しいことです。これも、クラウドファディング、そして直接支援して下さった方々のおかげです。本当にありがとうございます。直接支援はずっと受け付けています。よろしくお願いします。
数年前に無理して、この大きな工場を手に入れて、去年借金して製材機を据えて、百人以上の支援を頂いて、ここに僕の本業である炭やき窯も作ることができました。
試運転は想定以上に順調です。少しだけ煙が漏れるところがあったけど、耐火モルタルで塞いで、今は順調です。これなら来月から本格稼働できそう。
窯と煙と月と木星。誰も居ない仕事場で、煙を眺める。ウッドガスストーブで沸かしたお湯で淹れたコーヒー飲みながら、時間はたっぷりあるので、チェンソーの目立てしながら、この匂いに包まれる。
幸せです。