片思い

寒いなあと思って、外に出てみたら、目の前にオリオン。毎年同じ日、同じ時間に、必ずそこにいてくれる安心感。

僕は星を眺めて喜んでいるけど、向こうは何とも思っていない。僕にとって、宇宙が無かったら生きていないくらいの存在なのに、宇宙にとっては地球の存在すら、無くてもかまわない。

圧倒的な片思い。これは、例えば原生林の樹齢500年のブナやミズナラに対して感じる事と同じだ。

僕は山暮らしで、毎日星を数え、毎日山河の存在を間近に感じていて、それがどんな事よりも幸せなんだけど、それもやっぱり圧倒的な片思い。いつも寂しさを感じている。

でもこれでいい。それが宇宙の真理だから。

ところで、気温は氷点下だ。軽トラの窓が凍っている。

この数週間、冬のダイアモンドの中に木星、外に火星。そして、火星の位置がかに座あたりで、プレセベ星団が肉眼では見えなくなっている。真上から西を見ると、アンドロメダ大星雲が肉眼でぼんやり見える。

遠くの街路灯の下を、鹿のメスが3頭ゆっくりと歩いている。

自分を含めて、全てが大自然の営みであり、どれ一つも欠けてはいけない。

年末になり、周りが慌ただしくなる。来年度の自治区役を決める時期になった。村のお役も決めなければ。

個人事業主で自分の段取りで動いている毎日だけど、組織の人間関係を強く意識させられる。この時期は気が重い。

膝の痛みはゆっくりと治ってきているけど、油断すると痛みで思考が止まる。

大宇宙にぽっかりと浮かんで、堂々と回る地球と、その表面の山河の巡り、重力で張り付いているちっぽけな自分。

ニンゲンなんかよりもずっと崇高な木々の存在。まるで宇宙そのものだと思う。

その木を伐り、命を絶つ事が僕の仕事だ。だからこそ、命を奪った木こりとして、ちゃんと使おうと思っている。

木も、大地も、地球も、宇宙も、喧嘩して勝てる相手じゃない。勝てない相手とわかっていても、食うために木を伐る。

追い口を入れて、矢を打ち込むと、ある瞬間に木は観念したように倒れ始める。理系の目から見ると、木の先端に慣性モーメントを与えて、自重で倒れるように仕向けるという事だ。

山仕事とは、重力との闘いだ。重力には絶対に逆らえない。

いまだに重力について、全てが解明されている訳では無く、重力だけが、時空を超えられると考えられているけど。

重心と違う方向に倒す場合でも、最後は重力に引かれて、木は倒れてゆく。元直径80cm、樹高30mの大きなスギでも、指くらいの太さの灌木でも同じだ。

最後は地球に引っ張られてゆく。その木が生きてきた時間をその一瞬で使い果たすようなエネルギー。下敷きになれば即死してしまうほどの衝撃。

絶対に勝てない相手に向い、コントロールできないくらいのエネルギーを手元に感じながら、仕事を進める。

こちらも真剣に対峙していると、ある一瞬、木が自分から大地に寝てくれるような感覚になる。これは、決しておごり高ぶってはいけないと教えられているような一瞬。ニンゲンなんかにはコントロールできない領域。地響きと共に倒れる木を目の前で見送る。そこには達成感や充実感よりも、プロとして、収穫をするという行為を淡々と続けるという気持ちだけ。遊び半分でやっている訳ではない。そこに真剣さが無いと命の危険が手の届くところにあるから。

かと言って、仕事に命を賭けるなんて愚かな事はしない。最も大切なのは、無事に一日を終える事だから。

膝や腰の痛み、身体中痛いところばかり。

それでも、仕事がある事に感謝して、とにかくいい仕事をしようと思う。

僕が大学生の頃から目指している、「頑固だが、楽天的なジジイ」になるにはまだまだ。

偏屈なおっさんの戯言

今日は新月。そして、晴れている。

星がキレイだ。見上げると冬のダイアモンド。内側に木星、外側に火星。火星の位置に実は、僕の一番好きなプレセベ星団があるんだけど、火星が明るすぎて見えない。

この数日、ネットフリックスで「インターステラ」を何回も見ている。大学の時に習った「相対性理論」「ブレーンワールド仮説」「空間の歪み」とか、思い出しながら夢中で観た。相当面白い映画だ。物理的な理論に基づいた、映画としても素晴らしいエンターテインメントだと思う。

「相対性」という言葉を聞くたび、相反する「絶対性」を思い浮かべる。僕個人は間違いなく「絶対性」とか「絶対評価」を求める。つまり、誰かと自分を比べて評価する「相対性」ではなく、自分自身で高めに設定した目標をクリアできるかどうか?の「絶対性」を自己評価の基準にしていたいと思うから。

そうは言っても、僕の周りの時の流れと、絶えず僕を引っ張る重力、人々との関係性の中でもがいている姿は、まさしく「相対性」なんだなあ。結局、この世は「相対性」からは逃げられない。ということか。

インターステラはそんな事を考えさせてくれた。そして、映画のテーマは結局、「愛」だった。そうか。やっぱり「愛」なんだなあ。「愛」は時空も超えて、重力もコントロールしてしまう。つまり、「愛」は時間を超越するのだ。

親たちは、子の想いの中で生き続ける。

そんな事を山村の洞から宇宙(そら)を眺めながら思うのであった。

ところで現場で痛めた膝はまだ痛く、昨日は一日、なるべく動かないようにしていた。この前矢を打ち込んだ時に破れてしまったカンブチの刃沓を編んだり、刃物を研いだり。

ずっと流していたのは、クラプトン。

この偏屈な還暦過ぎのおっさんは、いろんな事を考えてみても、結局は「愛」が一番大切なんだと、しみじみ思うのである。

昨夜の「仕事=ライフワーク」

昨日夜は自治区定住促進部主催の「移住者交流会」だった。僕が言い出しっぺであり、数年前からやりたかった会だ。定住促進部として、自治区内の移住者さんたちの現状を正確に把握していなかったので、何世帯の移住者家族がいるのかを、各町内の部員に調べてもらい、アンケートと出欠を回収。まずは足元をしっかりと確認したいので、移住者さんたちに集まってもらい、交流を深めたいという主旨。昨夜の主役は移住者さんたちだけど、幸せに暮らす移住者さんの姿を通して、その人たちが住む集落の人たちにも光を当てたい。それが真の目的なんだ。

約300世帯の自治区で、移住者は47世帯だ。約15%が移住者という自治区。少子高齢化に対しては、まだ増やす必要があり、その大事なミッションを担うのが僕たち定住促進部だ。

会場はしきしまの家。夕方から開催なので、成本さんに頼んで、参加者と部員たちの分の夕飯弁当。これが美味かった。僕は美味いのは知っていたけど、参加者の人からも好評だったのが嬉しい。

交流会は、最初に部長である僕から挨拶と自治区の事、自治区ときめきプランに基づく、部の方針などを説明。

その後、辰吉さんにファシリテートをお願いして、参加者の中から選んだ4人の移住者さんたちとのディスカッション。誰を選ぶか、副部長の啓佑と打合せして、結局、m-easyから誰かということで、ナベに来てもらいたかったけど、仕事で間に合わないので、奥さんのさとみちゃん。

新しい移住者の形として、地域面談を経て入居、普段は豊田市内へ通うサラリーマンの太陽君。

空き家情報バンク制度が始まる前に、独自で移住してきたGさん。そして僕だ。

さすが辰吉さんという話、まとめ方。自治区全ての人が対等であり、ある意味、みんなが移住者でもあり、本来区別する必要も無い。同じ自治区民であると言われて、ハッとした。

つい、人を区別し、レッテルを貼り、データの中に閉じ込めようとする。それを反省できた。

聞いていた移住者さんたちは、自分に当てはめ、自分事として言葉を紡いでいたようだ。

後半は啓佑が仕切って、全部の移住者さんたちから、1分間で思いを語ってもらった。

あらかじめ、すべての移住者さんたちにはアンケートを送り、回答をもらっていて、その集計結果を配り、それぞれのアンケートの回答を確認しつつ、みんなの声を聴いた。

啓佑の自治への想いも伝わっていたようで、それぞれが自分の言葉で語ってくれた。啓佑らしい進め方。よく頑張っていた。

最初の挨拶の中で、自治区の行事である事から、個人への誹謗中傷、政治の話、個人の利益になるような話についてはやめようとルール設定しておいた。それを言いたいのなら、自分で場所を作り、人を集めて話せばいい。

だけど、ルールを守れない人はどこにでも居る。的外れな自慢話、個人事業の宣伝、わざわざ誰か特定できるように悪口を言う。それをマイクで発表するって、どんな神経してるのか疑う。実はその三人がそんな話をするのは予想していたんだけど、ルールを聞いて控えてくれるかな?と期待したけどダメだった。もちろんそれぞれの事情もあるだろうし、大声で自慢したかったんだろう。

公然と吐き出したいほど傷ついたんだろう。けれど、僕は両方の言い分を聞いている。嫌な事を言われたと、深く傷ついた側にも大きな原因があると思う。僕は両方の人を知っているので、冷静に判断すれば、言われた方(昨日の参加者)に問題があると、個人的には思っている。

和気あいあいと、ちょっと真面目に自治区の未来を語る会にしたい。個人の想いを吐き出す事もして欲しかったけど、それは誰かを特定して悪く言うことや、どや顔で自慢話をするよりも、自分事として、この地域が良くなるための発言であって欲しい。僕らがそれを上から言うほど偉くはないけど、主催者として、参加者さんたち全員の言葉が聞きたい。決めつけたり、裁いたりするのは良くないけど、ある程度はコントロールすべき。

声の大きな、自分で活動できる奴は、自分でやればいい。

普段、無口で寡黙にコツコツと頑張っている人たちの声を聞きたい。その意見や提案を少しでも形にするのも仕事だ。

定住の事を長くやっていると、地域の人たちがどんなタイプの移住者を望んでいるか見えてくる。それは、地味だけど愚直に、穏やかに静かに暮らし、地域の人たちを家族のように扱う人だ。自意識過剰な承認欲求の塊のような人は来て欲しくないのが現実。僕が部長をしている間は、そこを最重要項目として、少しだけ地域側に傾いて続けてゆくつもりだ。

ルール作りと、会の趣旨については書類で配るべきだったかもしれない。来年もやりたい行事なので、反省。

全体としてはいい会だったと思う。

準備などで部員が動いてくれたし、会場を提供してもらったしきしまの家。ファシリテートしてくれた辰吉さん。実際の仕切りや、準備で走り回ってくれた啓佑。弁当作ってくれた成本さんとスタッフさん。そして、何よりも地域のみなさん。

みんなのおかげで無事に終わってホッとした。

このところ、毎日木こり仕事でクタクタだったけど、昨日の交流会を主催、運営したことのほうが疲れた。

今日は道具手入れと、家の掃除など。明日からまた現場。

筋肉痛は続いているけど、現場は「稼ぎ」定住促進部の行事は「仕事」。どちらも頑張ろうと思う。

本懐

去年、知立の神社で伐って運んだ松。

その松が何十年も生きて来た場所にある、神社の改修工事に使われる事になった。工場で梁サイズに挽いて、数か月天然乾燥した後、先輩の禎一さんの低温乾燥炉で更に乾かしてもらった。

それは僕が提案した事なんだけど、受け入れてくれた施主、設計士、そして宮大工さんに感謝だ。

文化財クラスの神殿改修なので、使う材料は樹齢数十年の目粗材は無い。それでも、せっかくだからと使ってもらえる事になった。まだ具体的な使用箇所はわからないけど、ストーリーが入ったその松は、大工の手によって建物に溶け込むんだろう。

2日前に、その大切な仕事をしてくれる、宮大工の棟梁の刻み場へキャンターに積んで直接届けた。工場から1時間半程の場所。

受け取った時の大工さんの表情が見たいから、こうして自分で配達する事にしている。正直、ドキドキするし、怖い面もある。プロとして、プロに材料を届けるんだから。

岳ちゃんと行った芳名板の設置の日、設計士さんから紹介してもらい、名刺交換も済ませていた。キリっとした印象の、仕事のできそうな大工さんだった。

届けた木を見る表情は真剣だった。

半年間、工場の屋根下、馬の上で静かに乾かしたんだけど、やはり松。捻りが出ている。木口含水率は30%ちょっと。

ここで製材機に載せて面(ツラ)を取れば、矩は出る。それを届けるのが普通なんだろうけど、木の成り、含水率を考えるとまだ捻る。だからあえて、今回はこのまま搬入した。含水率を含めて、捻りも正直に棟梁に見てもらった。

そして、「キッチリ使わせてもらいます」とニッコリ。

棟梁は、「そもそも含水率なんて当てにしないし、まだ時間があるので、捻らせてしまいましょう」と。

普段使っている材料は無節で目が詰んでいる高齢材。目粗の若い木を使う事はほとんど無い人だ。でも、この松が神社境内にあった事を考えて、それを生かそうとしてくれている。むしろ、それを楽しもうとしてくれていた。

相手は生き物だと、当たり前のように考えている人だった。

こんな大工さんが建てる神社仏閣は、それこそ数百年、神や仏が心地よく棲める建物になるんだろうな。

届けた材は、芯持ち5m、4mと短い芯去りモノを6本。あっと言う間に降ろし、刻み場へお邪魔した。そこから1時間半も話しこんでしまった。貴重な時間を頂いた。

僕自身、大工さんの話を聴くのが大好きだし、大工さんも、この変わり者の木こり・木挽きの話を面白がってくれたり、共感したり。

伐り・出し・積み込み・運び・刻み・挽き・乾かし・配達まで。どの行程も、人に任せたくない厄介な性格のおっさんです。

「俺はこんな仕事しかできないけれど、この仕事は俺にしかできない」

これだけは自信持って堂々と言える。何とも気持ちのいい仕事だった。

小規模の、吹けば飛んでしまうような個人事業主だけど、これが俺の仕事です。

職人として想う事。それは、名前など残らなくていい。仕事を残したい。

それが信条だから。

午後は工場に戻って、窯の相手。どちらも本懐です。

写真は僕の工場で馬に載っている芯去り材。製材機の向こうにあるのが、芯持ち5mと4m。

ここであらたな命を吹き込んで、生まれた場所へ戻る松たち。

目の詰んだ高齢材は、良い材木になって当たり前。

僕の役割は、間伐施業で出した目粗材を、丁寧に扱って、大工さんに渡す事なんだと思う。今回の宮大工棟梁とは、実際の仕事で繋がる事は少ないだろうけど、とてもいい話を聴かせてもらったし、やっぱり木はいいなって思った。

一日に何㎥伐ったとか、挽いたとか、数字優先で大きな仕事をするより、一本一本、目を見ながら丁寧に。

小さな仕事を、完璧主義より、完了主義で積み重ねる手法。

これからの時代にこそ、大事な要素だと思うんだけどな。

こんな暮らし

山あいの、製炭と製材 工場で煙を上げる暮らし。

収益は少ないけど、山の恵みを頂いて豊かに生きられる実感と、山河に抱かれる絶対的な安心感。

62歳にして、微塵の後悔もない(反省は多々あるけど)今この時。

窯も自分で打ち、炭の原木も、木挽の原木も、木こりとして伐り出して来て、この場所に集約してある。

もちろん、仕事も暮らしも、一人では成り立たず、いつも誰かの助けを借り、心配りをもらってようやく、細々とやっている。

毎回、窯を焚いている時はこんな事をしみじみと想う。

「火(太陽)」、「風(空気)」、「土(地球)」、「水」。

四つの神聖な存在は確かに自分の周りにあって、それを意識してみると、お金だけじゃない豊かさは、誰でも享受できるんだと気付く。

それを教えてくれるのが、山河の存在なんだなあ。


日々の仕事

お世話になっている人から山を預かり、間伐仕事を請ける。

伐った木を生かそうと、10年前に自分で製材も始めた。その木がどこで生きてきたかハッキリとわかる。トレーサビリティを問われたら、伐り株まで案内できる。それは僕自身の軌跡を示すことになる。

伐り旬を守り、新月前の一週間に拘り、伐った木は出して使うのを前提で、搬出の段取りを考えて寝かせる方向を見極め、そこへ丁寧に倒しこむ。自ら搬出、運搬までやる事で、木を一本使い切る。できるだけ裏(先端)まで出す。僕の家は薪ボイラーで給湯しているし、本業である炭やきの焚き物となるから。

伐採後は大地へ委ねて木を乾燥させる。命を奪ったのは僕だ。それを大切に使わせていただくんだ。

「いただきます」とはこのことだ。生きてきた場所で、静かに乾燥を進めた木々たちは穏やかに乾いてゆく。葉枯らしといって、伐ったら枝払いせず、そのまま森の中に寝かせておく方法だ。

葉っぱは生きているから、陽が当たれば光合成して、蒸散を続ける。根っこから水を吸えないので、木は静かに自らの水分を抜いてゆく。お米のはざかけと同じ。父なる太陽の力で乾燥させる。

スギで最低3ヶ月は葉枯らしする。ヒノキはもう少し短くてもいい。葉枯らししたスギは、赤身が素晴らしい色になるんだ。水分は木の生体能力である程度(木口で30%台)抜け、大切な脂分は木に留まるからだろう。

木は、製材(木挽き)してから時間が経つほどに美しく姿を変える。木にあらたな命を吹き込むのが「木挽き(こびき)」だ。

たとえば二股の木。これを市場へ出しても二束三文でしか売れない。トラックに積むにしても、一番上に積む段取りをしなきゃいけない。そもそも、二股を市場へ持ってゆくことが無い。股の部分は切り取られ、現場に置かれる。

木挽きを始める前の僕なら、薪にするか、木の駅プロジェクトに出荷してしまう木だった。

でも、今は違う。一本の木を、元から裏までできるだけ使いたい。それは、植えた人の思いだから。

その木の命を絶ち、最期に立ち会った、伐った木こりの願いだからだ。

その山から巣立って行った木々たち。名古屋へ、岡山へ、静岡にも行った。

普通の3倍以上手をかけても、3倍の値段では売れない。けれど、その想いが篭った木々たちに値段をつけて、僕は稼がなければならない。相場や流通が決める値段ではなく、挽き終えた木そのものの価値を見て、僕の経費、山主さんが植えて育てた経費をいただけるような価格に。当然、高い木になるはずだ。お金を払う人が(家を建てる人が)、お金を使って幸せになるような木を出してゆくこと。それが僕の仕事なんだ。

仲間に手伝ってもらいながら、しかし基本的には一人で仕事しているから、経費は知れている。

僕自身、お金を稼ぐのが一番の目的で山へ来た訳ではない。暮らしてゆく最低限稼げればそれでいい。毎日山の空気を吸い、山の懐で働き、山のめぐみをいただき、火を焚き、山に抱かれて眠れたら、それでいいんだ。

伐り旬・新月期伐採・葉枯らし・目切れ無し製材・天然乾燥(AD)と、木が立っている状態から、大工が使える状態にするまで僕の手でできるだけ丁寧にやっている。

「すごいですね」って褒めてもらうけど、「すごい」のは山河であり、木々たちであって、僕ではない。

僕を褒めてもらうよりも、僕が出した木を褒めてもらう方が嬉しい。僕がやいた炭を褒めてもらう方がいい。

木は、母なる地球(大地)と父なる太陽(宇宙:そら)が育てた。何十年もその場に留まり、風雪に耐え、空気と水を育む森を造り出す。

密やかに、力強く、堂々と。僕はそんな木みたいな人になりたくて、毎日木に向かっているんだと、いつも考えている。

稼ぎも少なく、地味な暮らしだけど、毎日充実していて幸せです。それは、山のめぐみ。木々たちのおかげです。

名も無き山の頂に棲むという神に見守られ、僕は大怪我はしても、死ぬことは無く生かされている。

この意味はなんだろう?って、山に問いかけても答えてくれない。

僕がどんなに山を愛し、足音を山に聞かせても、山の木々たちには、必要とされていない。それが宇宙の真理・法則なんだと思う。

そんな事を日々考えている炭やき・木こりがいてもいいですよね。

一次産業従事者として思う

僕は豊田市北部、北三河と呼ばれる地域にIターンし、山村で暮らしている。生業は林業だけど、僕は山の百姓になりたくて、田んぼで米も作っている。地主が高齢で、耕作を諦めた田んぼを2枚。1反7畝だ。
田んぼをやっている動機は、

一つは自分たちで食う米を作りたいという気持ち。もう一つは、田んぼは農村景観の大事な要素であって、耕作放棄地で荒れた状態になるのを見たくないという想いだ。
春、水が張られて、田植えが終わった田んぼは、美しい。
夏、稲が緑色に輝く田んぼは、美しい。
秋、穂が黄金色に垂れている田んぼは、神々しい。

米作りは思ったよりも難しくない。トラクター、田植え機、運搬機は地主所有の機械を無料で使える。稲刈りは、集落内でコンバインを持っている人にお金を払って刈り取ってもらっている。
刈った籾は、去年までは農協のライスセンター(籾摺り・乾燥をする施設)に持ち込んでいた。稲刈りの日朝、車で20分ほどのライスセンターにトラックで行き、運搬用の鉄製のコンテナを借りる。そこにコンバインから籾を入れてもらい、ある程度の量になるとライスセンターへ運ぶ。
ライスセンターでは、誰が(誰の田んぼで)、どれくらい持ち込んだかを計量、記録して大きな機械へ投入する。持ち込んだ量から計算されて、玄米となって戻ってくる。問題は、大きなライスセンターには一日に何tもの米が集まる。当然、それらは大きなサイロで混ざる。
つまり、自分の田んぼで作った米がそのまま戻ってくる訳ではないんだ。同じ地域とは言え、誰が作ったのかわからない米が戻ってくる。もちろん、銘柄(ミネアサヒ)は統一されている。
それが嫌なら(自分で作った米を食いたいなら)、自分で刈って、自分で乾燥させて、自分で籾摺りまでしなければいけない。バインダーを使って刈り、はざかけし、籾摺り機で玄米にするしかない。それは現実的には無理だ。
経費と時間を考えると、ライスセンターに持ち込む以外の選択肢は無いと言える。この「自分の米が戻ってこない」が、農家のモチベーションを下げていることは間違いない。
今年から僕は、もう少し小さな規模のライスセンターへ出す事にした。それは、集落単位で営農組合を作り、そこで補助金を確保して、籾摺り・乾燥機を設置した「押井営農組合」だ。そこは規模がちょうどいいので、自分の米が玄米になって戻ってくる。
「押井営農組合」では、「自給家族」という取り組みをしている。それはまた、あらためて書こうと思う。
今日書きたいのは、最近の米不足ニュースを見ていて思う事。
ニュースで取材を受けている人たちが口にするのは、米が無い、米があっても高いと。高くて買う気にならないと言う。表示された値段は、
10kgあたり5000円だった。僕はこの数年、米を買っていないので、スーパーの売値は知らないけれど、米を作る農家が、ごく普通に利益を出そうとすれば、1俵あたり3万円で売らないと、儲からない。大儲けではなくて、サラリーマンの初任給くらいの利益。それを出すためには、1俵3万円が最低ラインなんだ。1俵は60kgだから、10kgあたり5000円という事。
消費者が、高くて買えないという値段と、農家が最低限欲しい金額が同じなんだ。当然、農家に3万円/俵ならば、消費者が購入する金額は倍近くなるだろう。しかし、それが正しい値段なんだ。
僕の本業である林業。伐採・造材・搬出・運搬して得られる売り上げは、本来欲しい金額の数分の1しかない。
一次産業は儲からない。それはおかしいだろう。
本来、消費者が支払う金額というのは、一次産業者が経費を算出し、人件費、利益を載せて決めた売値(それが米なら 3万/俵、木材原木なら、10万/立米、製材・乾燥まで行って、15万/立米)に、卸しや販売店の利益をプラスして決められるものだと思う。当然、現在よりもずっと高いモノになる。
しかし、それが正常な対価。消費者側の「相場」という実態の無い化け物のようなところで値が決まり、流通側から順番にマイナスされて、一次産業者に降りて来る。それは間違いなく、一次産業者の赤字を意味する。
米も木材も同じだ。
ただ、僕も消費者であるから、自分が何かを買う時は安い方がいいし、特に仕事で使う道具などは、安い販売店を探す。「安さ」が正義なのだ。
ところが、生産者という立場になると、高く売りたい。
矛盾している。矛盾しているけど、これが現実。
政治が悪いとか、行政が怠けているとか、それを言っても仕方の無い事。僕は、自分ができる事を、自分のできる限り、頑張るしかない。

ただ、言える事はもう少し、一次産業者を大切にして欲しいと思う。

一次産業は、国の根幹である。食料自給率や木材自給率を上げる努力よりも、今一次産業で頑張っている人たちが、普通に生きてゆけるようなお金の流れを作れないものだろうか。

日々

とある人からラインで、「毎日忙しそうで、体調崩さないようにしてください」と優しい言葉をもらった。

実は、特にこの時期、あまり忙しくない。暑い事もあるけど、伐り旬まではまだ一か月あるので、急ぎでない限り、木こり仕事も請けない。

忙しい日もあるけど、個人事業主として稼いでるので、時間は自分が思うように使える(もちろん、朝9時から夕方5時で仕事終わりって訳にはいかない)から、酷暑の中、けっこうサボってます。

サボる時間を作るために、ある時間集中して作業している感じだ。

組織の都合でなく、金にはならないけど、自分の時間を自分で手に入れる。

丸一日、誰とも会わず、誰とも話をしていないと嬉しい。でもそれが数日続くと嫌だ。恐らく、B型の典型的なわがまま気質なんだろうな。

人からどう見られているか?を気にしないようにしているけど、人から見ると僕は「忙しい人」とか、「休まない人」とかポジティブな人間に見られているみたいだ。まあ、決してネガティブでは無いけど、飛び抜けてポジティブでもない。

24時間仕事と言えば仕事だけど、「仕事=ライフワーク」と「稼ぎ=ライスワーク」はバランス良く両方できるように心掛けている。

基本的に、やりたい事をやるし、会いたい人と会う。自分が背を向けたモノ(ヒト)に対しては、自分も背を向けられる事だけは覚悟している。

何年も前だけど、自分で書いた言葉が

頭を縦に振るのと、尻尾を横に振るのは全く違う。子供じゃない。稼ぎのためなら、多少のことは妥協する。だけど、誰に頭を下げるかは、自分で決める。損得じゃない。やりたいかやりたくないか、そのどちらかだ。

僕は工場や仕事場もそうだけど、周りの環境に恵まれている。まず、天国のお袋や親父、ジローを含めて、僕を優しく包んでくれているすぐ近くの人たち、住んでる集落の人たち、仕事の相棒、稼ぎの相棒、そして施主。

毎年の事なんだけど、伐り旬に入ってからのお客様に恵まれていて、今年もとても素晴らしい施主の家裏の伐採仕事を請ける事ができた。感謝しかない。

「反省はするが、後悔はしない」ように自分を仕向ける。

朝晩はめっきり、涼しく秋の気配で、借りてる田んぼは、田植えが遅かった事もあって、日陰側がまだ夏の色だけど、日当たりのいいところは秋の色になっていて、そのグラデーションが美しい。それが毎日少しずつ変化しているのを目の当たりにして、足元から実感できる事の充実感は、現場で汗をかいた者にしかわかるまい。

長い間、デジタルな世界(言ってみれば「1」か「0」しかない簡単な世界)で食ってきて、今は全く儲からない一次産業に身を置き、金があった頃に比べて、確かに貧乏だけど、決して貧しくない、毎日奥深い日々の暮らしが幸せなんだ。

金は無いけど、米と薪はたっぷりある。これがどれほど豊かな事か。これも僻み半分だけど、金持ちにはわかるまい。

来年一年間食う米を毎日気長に育て、来年一年分の焚き物を確保する。

その次の一年分は来年の頑張り次第で、済んでしまった過去に囚われて考え込んでる時間があれば、来年の焚き物を作るために木を伐る。来月の支払いを済ませるために、木を挽く。年を越すために、炭をやく。

考えてみれば、すごく複雑でメリットがあるか無いかよくわからない事だし、リスクたっぷりだけど、敢えてそれを単純に積み重ねてみる。手を動かし、手で考える事を習慣にしてみる。

小さな成功を積み上げることしか、明るい未来に続く方法は無いって事だけは、自信を持って言える。

午前中は工場でいろいろやって、昼飯は家で自炊。昼飯食ってから、木酢液たっぷりのぬるめの薪風呂に入って、コーヒー飲みながら書いてます。夜の会議まで、ちょっと昼寝してエネルギーチャージ。

山河にて

何気なく安部恭弘聴いてたら、「川は海を目指す」って歌詞に惹かれた。

僕が木こり、炭やき、木挽きになろうとしたのは、真面目に水源地の山河を守りたいからだ。

山が命の水を産み出す場所だから、全ての源だと思うから、僕はそこを仕事場にしたかったんだ。

大いなる海の水は蒸発し、風に乗って運ばれ、山肌の上昇気流で雲になり、山に降り注ぐ。その水は、天然林ならたっぷりの腐葉土に染み込み、何年も何十年もかけて、沢に集まり、川となって海を目指す。その動きは、重力によって引き寄せられる、1Gのチカラで地球の中心に向かって、高いところから低い場所へ向かって引っ張られる事。母なる地球の真理である。

決して抗うことのできない、大きな力に身を委ねるということ。その中で、自分ができることをすれば良いのだ。

その輪廻のような繰り返しが、森羅万象の命を繋ぐ、それは命の水だ。

地球上の水の絶対値は変わらない。それこそ、宇宙の真理なんだ。

僕がそんな事を考えるようになったのは、師匠の教えもあったけど、20代で読んだ北山耕平さんのネイティブ・アメリカンについての書籍の影響がとても大きい。

ルーツを辿れば、僕らと彼らは同じだと聞いたこともある。環太平洋理論では、同じ血が流れている人たち。だからなのか、今最も大切にしなきゃいけない事が書かれていると思った。

それと、流域思想、山仕事、炭やき、木挽きがシンクロして、混ざり合って、今の僕が成立っている。

「仕事=ライフワーク」と「稼ぎ=ライスワーク」の狭間でもがき、何とか日々生きているのが現実。

「スマートでカッコイイ」の対極にある、「ドン臭くてカッコワルイ」姿です。

でも、それは嫌じゃない。

小汚くて小太りの還暦過ぎのおっちゃんだけどむしろ、誰にも真似できないことをしている(誰も真似したくないかもしれんけど)という自信も自覚もある。

少なくとも、この丈夫だけが取り柄の身体が動くうちは、黙々と働こうと思うのです。

お盆の時期、いつもとは違う雰囲気(里帰りしてきた子供たちの声とか、普段見ない車が停まっていたりとか)だ。

落ち武者たちが開いたと言われるこの部落には、先祖たちの魂が舞い戻って来ているかもしれない。

暑さで僕たちの思考が動かない日中でも、確実に植物たちは細胞分裂を繰り返して、大きくなってゆく。毎日見に行く田んぼの稲は、毎日少しずつ成長しているのがわかるんだ。

工場には樹齢200年超えのスギの原木がある。この目(年輪)一本一本がこのスギが生きてきた歴史。芯に近い部分は江戸時代に生きていた部分だ。

200年も同じ場所に居続けて生きてきた木。絶えず動きながら、絶えず形を変えながらこの星そのものである山河。

その両方を相手に食わせてもらっているちっぽけな自分。

それを考えつつ、宇宙に想いを馳せる日々。今夜はペルセウス座流星群の極大日だ。夜中に外へ出てゆっくりと眺めてみようと思う。

もう一つの「仕事」

昨日は旧旭町管内(豊田市役所旭支所管轄)の定住委員会だった。定住委員とは、各自治区(5自治区)から二人ずつ選任された定住委員が集まり、移住定住について、支所を交えて進めようという組織だ。

去年度、僕はそこの副委員長を拝命していた。

今年度は、会長としての任務を頂いた。

昨日、その選任がされ、そのまま会長として会議を行った。他のメンバーは大先輩ばかり。そして、「ヨソモノ」は僕だけだ。

この地へ移住して15年。「移住者」として、「地域のおっさん」として、両方の立場がわかる人間であると言う事だ。

僕が住む自治区(敷島自治区)では、「定住促進部」があり、僕は数年前から部長をしている。旭地区定住委員と定住促進部部長は兼任すると決まっている。

できる範囲で頑張ってみるつもり。同じ自治区の定住委員は定住促進部副部長の啓佑だ。

「定住委員会」の後は、続いて「定住担当連絡会」だった。各自治区の二人ずつの「定住委員」をバックアップする形で、各町に一人ずつの「定住担当」が配置される。その全体会議だ。当然、僕はそこでも会長として仕事をする事になる。

「会長」って、かなりの重要な立場だ。真面目に取り組むつもりだ。

無報酬なので、これこそが「仕事」だ。

夕べの会議はせっかく、各自治区から定住に関して選ばれた人たちが数十人も集まっているので、敷島自治区での取り組みの一つである、「地域面談ガイドライン策定」について話をさせてもらった。旭地区では5自治区あって、それぞれが独自で「部」を持ち、自治区民のために働いている。

「定住促進部」があるのは、敷島自治区だけ。何だかんだ、10年以上関わってしまっている。少なからず、ノウハウや実績もある。

僕が部長になってもう、4年。部長になってからすぐに取り組んだのがこの、「ガイドライン」だ。

手始めに、自分の住む集落で作ってみた。全員が意見をくれた。「どんな人に移住してきて欲しいか?」「どんな人には移住してきて欲しくないか?」を基準に作った。

それはどう見ても、地域寄りのガイドラインで、移住希望者に対し「こちらのやり方に合わせてくれ。さもなければ、入居を認めません」が明確に表してある。賛否あるだろうけれど、村人全員で熟考した結果だ。それでいいと思っている。

厳しめの、公平な地域面談を経て、契約・入居をしてくれた人に対しては、今度は最大限のバックアップをする。おせっかいなくらいに関わる。そんな地域の人たちの想いに応えてくれる人を、「地域面談」で選ぶんだ。

人を裁き、選別する作業。すごく疲れるけど、それを乗り越えないと集落の未来に多大な影響を及ぼす。だから、一軒の物件に対して、応募が一組だとしても、合格するとは限らない。事実、僕が住む集落では、ガイドラインに従い、NGを出した事がある。その後、再び空き家情報バンクに登録し、応募してきてくれた人に「地域面談」をし、集落全員一致で合格。入居してもらった。実はその人、一つだけガイドラインに外れた項目があったんだけど、人柄の良さを考慮してOKになった。

「移住者は土地を選び、地域は人を選ぶ」を実践する。

ガイドラインがあれば、それを基準にして、公平な判断ができる。つまり、「この人は受け入れたくないなあ」と、地域の人が感じたら、ガイドラインに従って事務的に判断すればいい。最終判断は地域の感情、印象を含めて家主に委ねる。せっかくこの地を選んでくれた応募者だから、それなりに扱う。つまり、しっかりと観察させてもらう。契約できなければ、家主に家賃収入が入らなくなる。それも事前に話して、納得してもらう。

応募者  対 集落全員 の構図だけど、これを乗り越えられない者には来て欲しくない。

「移住してきて欲しい」人を考えると、物静かだけど、周りと上手くやれる人。できれば、一次産業を生業としている人、少なくとも、田んぼや畑を引き継いで頑張ってくれる人。穏やかだけど、信念を持っている人。若くてパートナーも居て、人口を増やせる人。となる。

「移住してきて欲しくない人」は、その裏返しで、うるさく騒いで、周りに気を使えない人。一日中家に籠ってパソコン仕事している人。調子いいけど、いい加減で、すぐに考えを変える人。面談で闘うような態度を取る人もNGになる。こちらは真面目に質問しているのに、ヘラヘラと持論を展開して、自分に酔っている人。定年退職後の暇つぶしで、人口を増やせない人。もNG。

それを、定住委員会で話した。定住委員会は支所主催なので、当然事前打ち合わせで支所の担当者と話をして決めた。

俯瞰で見れば、ヨソモノが会長になって、偉そうに話している構図だ。それは自分でも充分にわかっている。

行政、自治区共に過疎対策として、移住を進める事は決まっている。豊田市には空き家情報バンク制度もあり、補助金も出る。

移住者を呼びこんで、チヤホヤしてご機嫌を取るのが地域の仕事ではない。過疎対策で、地域外から移住してもらう事が目的になってはいけない。その「移住者」が、「定住者」となって地域に無くてはならない存在になる事が目的で、それが地域の「自治」に繋がる事が目標となる。それを手助けし、寄り添うのが「定住促進」だと思う。

実は、僕自身が同じ事をしてもらっている。「地域面談」では聞かれたくない事、迷っている事に対し、即答を求められた。地域の真剣さが伝わってきた。僕も真剣に対応した。その結果、契約して引っ越してきた。

するとすぐ、地域の優しさや暖かさ、少し厳しいアドバイスなど、愛に溢れた対応をしてもらったんだ。それは15年経った今でも変わらず続いている。集落が家族のような存在になっているんだ。

地域の先輩方を前に、偉そうな事を喋ってきた。ただ、それは「会長」として委員会でも取り組むように指示をするという事ではなく、あくまでも敷島自治区ではこのような取り組みをしています。という報告なんだ。

こちらが願うようには人は変わらない。リーダーが変わっても、簡単には変われない。変わる事を期待せず、淡々と伝える事が大事だと思う。それを聴いて、自分の自治区でも始めようと思ってくれる人もいるだろうし、諦めて何もしない人もいるだろう。会長だからと言って、そこまで配慮しなくてもいいと思う。前向きにやろうと思う人がやればいいんだから。

問い合わせや、文句がでたら、全速、全力で対応しようと思う。

病み上がりのカラダにはキツイ会議だったけど、行って良かった。定住促進部の相棒である、副部長の啓佑とも前向きな話ができた。

来週には部会を開いて、今年度やろうと思っている「移住者ミーティング」や、現状の空き家を把握するためのマップ、それを各町内で部員と町内会長がしっかりと把握する事。そんな事を話す予定。

自治区の部長は、僅かだけど報酬が出ている。それもありがたいこと。

真面目に頑張ろうと思う。