ネイティブアメリカンの教え。遥か昔、気が遠くなるほど離れているけれど、ネイティブアメリカンと僕たちは先祖を同じくしている説がある。環太平洋理論。
難しいことはよくわからないけど、確かに顔も似ている。インディアンと呼ばれたのも、アメリカ人がはじめて彼らを見た時に、インド人みたいに見えたからだとか。
僕はずっと前から(多分学生の頃から)、ネイティブアメリカンの思想、信念をリスペクトしていて、北山耕平さんの本もかなり読んだ。今とこれからの日本人にこそ、大切な考え方をずっと前から説いてくれている。
コロナに振り回される毎日だけど、やっぱりココロの真ん中には、母なる地球が据わっているんだなあ。これもネイティブアメリカンの教えです。
「岩は偶然ここにあるのではない。木は偶然ここに立っているのではない。そのすべてを造った者がいる。私たちにあらゆることを教えてくれる者が。」
この星に、外から入ってくるのは太陽エネルギーだけ。それ以外のものは、全てこの星の上で輪廻しているだけ。そして、太陽エネルギーを直接採り入れられない動物たちは、光合成をする植物を摂ることで、父なる太陽の恵みを直接カラダに取り込める。
その植物たちと、植物たちを育む微生物たちを創ったのは、母なる地球なんだなあと、しみじみ想う。
僕は無宗教だし、スピリチュアル系も苦手だけど、母なる地球という考え方は深く納得できる。山村の春の日差しの中で、ふと、そんなことを考える。
家宝
ツイッターでとても興味深い言葉を見た。ジブリの鈴木敏夫さんの言葉だ。
「テクノロジーの発達にともない、それに合わせて、みんなが「進化」を強いられて苦しい思いをしている」
うーん、と唸ってしまった。元列車運行管理システムSEとして、テクノロジーの最先端の少し手前で頑張っていた身として、確かに「進化」を強いられていた。日々、新しい技術を学び、それを使うことで、速く、大量のデータを処理できるようなシステムこそがいいと信じていた。
そんな毎日に誇りを持っていたけど、ココロの真ん中にある山への想い、「頑固で楽天的なジジイになる」という自分の未来を考えると、やや突発的に(自分の中ではロジックがちゃんとあったけど)木こりになって、炭をやく日々の中で、僕は今の仕事こそが「最先端・最前線」だと確信して、その頃(15年くらいまえかな)はそんな事を偉そうに人に語って歩いていた。
今では、自分のしていることに自信が出てきたので、黙って市井の職人として、山に向き合う日々を送りたいと考えている(フェイスブック、ホームページのブログだけ発信しています)。
鈴木さんの言葉は、僕の心臓を掴み、僕が正しいと思う道に導いてくれる。何てありがたい。
スマホやコンピュータ無しでは暮らしが成り立たなくなっていて、車が無ければ仕事にも行けない。周りにはいくらでも耕作地があるのに、時間が足りないという後ろ向きな理由で、スーパーで食材を買う。
偉そうなことを言っても、理想とは程遠い生き方になっているんだけれど、鈴木さんの言葉でふと、我に返る。
「ああ、そうか、俺は俺で、これでいいんだ」と。
実は2015年の春、大工の中村さんが鈴木さんを連れて、僕のフィールドに来てくれて、鈴木さんに紹介してもらった。その時たっぷりと鈴木さんと話をして思った。こんなに大きな器の人って、会ったことない。気さくに話をしてくれたんだけど、真っ直ぐにこちらを見る眼は、正直怖かった。全てを見透かされてしまう気がした。だけど、不思議とそのことに正面から向き合えた。すごく貴重な時間をもらえた。中村さんの人脈が無ければ、実現しなかった時間。その後のジブリ機関紙「熱風2015年11月号」にたっぷりと載せてもらえたことは、家宝になりました。全ては、中村さんのおかげでした。
その模様は、ジブリ汗まみれ、2015年8月17日のポッドキャストで聴けます。https://www.tfm.co.jp/asemamire/index.php?catid=173…tfm.co.jp鈴木敏夫のジブリ汗まみれ – TOKYO FM 80.0 – 鈴木敏夫
ライフワークとライスワーク
先日、素晴らしい言葉を見つけた。
「ライスワークとライフワーク」
内山節さんや、渋澤寿一さんが言う、「稼ぎと仕事」だ。
食うために稼ぎ、金にはならずとも、生きるために仕事をする。両方できて一人前。
ひっくるめて、「生きることが仕事」というスタンスでやりたい。「仕事のために生きる」はつまらない。増して、「食うために働く」のも面白くない。
毎日を生きるために、僅かな食料を作り、自分で採った薪で暖を取る。日々の仕事は、木を相手に。生き物としての尊厳を向けた相手と、真剣に対峙するんだ。
数十年山で生きてきた木の命をいただくのが僕のライスワークである。
命の水を生み出すその山を守るのが僕のライフワークだ。
山村の静かな時間はゆっくりと過ぎる。
言えることは、僕のライフワークをやり遂げるためには、この場所しかない。今、そんな場所に身を置ける僕は幸せ者だと、心から思う。
オリオン大星雲を眺めながら、そんなことを想ってみても、宇宙(そら)の星たちは数万年もの間、何ら変わることが無い。
考えても結論は出ないし、僕の頭では理解できない。
だから、これでいいのだ。
糧
僕は、名も無き山守、炭やき、木挽きでいたい。
だから、ひたむきに山に入り、愚直な仕事を繰り返し、質素な生活を続けるんだ。
僕がやろうとしていることは、僕が新しく開発した技術でもなく、閃いたアイディアでもない。インターネットで仕入れた薄っぺらい、上っ面の知識でもない。師匠や先輩から直接伝え聞き、自分の五感で確かめたこと。僕がこの目で見て、この手で考えたこと。古来、日本人が培ってきた方法であり、技術であり、それはまさしく文化そのものなんだ。
山の恵みを頂き、それを大切に使う。ただ、それだけ。それ以上でも、それ以下でもない。僕は、誰とも闘わない。でも、誰にも負けない。母なる大地が僕を生かしてくれる。父なる宇宙(そら)が見守ってくれている。山の時間に逆らわないよう、丁寧に仕事をする。宇宙のサイクルにシンクロする。
僕が新月と葉枯らしに拘り、伐り出し、挽いた木々が、僕が魂込めてやいた炭が、誰かの小さな喜びになって・・・・・それが僕の糧になれば、それだけでいいんだ。
行き先は・・・
たてまえばかり気にする周りの有象無象が、下品な振る舞いをしていても、自分の仕事を黙々と続けようと思う。
お天道様は見ている。山の神はちゃんとわかっている。
僕の目指す場所は遠い。ずっと向こうにある。自由な旅人のようにそこを目指そうと思う。
僕を応援してくれる仲間たち。みんな近くには居ないが、勇気を与えてくれる。僕はまだ、志半ばの半人前なのだ。
少なくとも、月並みな目標からは足を洗った。オプティミストとして、一歩ずつ歩いてゆくんだ。
これから、まだいくつも波乱がありそうだ。それを考えるとワクワクしてくる。
やるべき事をやり終え、道を造ったら、身軽になって彷徨うんだ。
誰しも、神が与えた仕事を持っている。そこに気付き、そこに出向き、迷いながらでも、精進するかどうか?だと思う。
自惚れず、はしゃがず、独りで立つ。仲間は大切だけど、馴れ合うのはマイナスだと思う。自分を愛してくれる人を大切に、自分が愛する人を守りたい。
余計なものをそぎ落とし、多少の無理をして、いざというときには、全てのものを潔く諦めることだって有りえる。
それでも、理想を貫きたい。
地べたを這い回ってでも、愚直に前に進むしかないからね。
誰も見ていないと思っても、誰かはちゃんと見ていてくれるだろうし、お天道様はしっかりと見ているから。
男として自分に恥じる事の無い生き様を、自分自身に残したい。
雨の朝、やることはたくさんあるのに、できない苛立ちを抑えるのに、こんなことを書きました。
天気に左右される仕事だとわかっているのに、
結局天気に翻弄される。
まだまだです。
こんな日は、鉈研ぎます。
一番大切な思い
僕は以前から「流域思想」が大切だと思っている。
一本の川は、命を育み、モノを運び、あらゆるものを繋ぐ。流域は運命共同体である。上流で行われる行為が、下流に深刻な影響を及ぼす。特に、人と人のつながりが絡めばそれは顕著になる。
僕は名古屋生まれの名古屋育ちだ。木曽川の水で育った普通の都市住民だった。実家は庄内川のすぐ近く、濃尾平野で、ほぼゼロメートル地帯だ。
でも今の僕は、矢作川の上流に身を置き、山を何とかしたいという想いで毎日自分のできる範囲のことをしているつもりだ。何故矢作川なのか?その答えは明確に出ない。
大好きだったSEの仕事から離れ、山に生涯を捧げようと決めたのは18年前だ。誰にも相談せず、自分だけで決めた。たとえ誰かに相談していても、結果は同じだったはずだ。言葉は悪いが、山に関われて、自分自身の存在意義を自分の感性で確認できる場所なら木曽川でも、長良川でも良かった。それでも縁 あって矢作川に関わらせてもらっている。今ではすっかり、自分を矢作川流域人だと思っている。それは、この矢作川を取り巻く環境(山だったり、人だった り)が、僕にピッタリ合っているということ。
僕の原点である、段戸裏谷も矢作川源流のひとつだ。この18年で、大きく変わった部分、変わらなければならないのに、変われない部分、入れ替わり立ち替わりやってくる人々。都市から押し寄せてくる上っ面の「田舎志向」の人たちと、山村で地に足着けて朗らかに力強く生きている人たちの差は埋まらない。
僕は僕の立ち位置で、自分のできることを、自分のペースでやり続けるだけだ。誰かの評価など、我関せず。僕には、この背中で伝えなければならないことがある。それだけは自覚しているつもりだ。自分の立ち位置と居場所は自分の目で見つけて、そこに自信を持って堂々と根を張り、居続けるしかないんだ。
無愛想でも、礼儀は尽くす。どんな試練でも楽しんでしまえる器。そんな当たり前のオトコになりたいと、心から思う。
年明けて
明けましておめでとうございます。去年は激動の年でした。
今年は静かなスタート。実家で娘の笑顔を一年分見て、ジローの居ない正月休みを寂しく過ごし、コタツの住人からいつもの山の衆へ戻ってます。
やることが山のようにあるけど、一つずつ終わらせてゆこう。
正月休みの間に計算したお金のことは、愕然とする結果だったけど、命まで獲られることはないでしょう。
さあ、粛々と、愚直で、堂々と。還暦まで14カ月。
人生これから。ワクワクしかない状態。
体力は落ちてきてるけど、まだまだ動くこの丈夫な身体。一年、怪我の無いように気を付けます。
今年も終わり
今年も終わりかあ。いろいろあった年だった。過去経験したことのないくらいのお金が動いた年。一番心に残っている出来事は、ジローが旅立ったこと。何があっても、何が待っていても、終わるべくして終わるこの2020年。来年は今年の反動でお金に苦労しそうな年になりそう。当てにしていた仕事も来るかどうかわからない状況。まあ、どうにかなるでしょう。生活がギリギリなのは変わらないだろうから。コロナのことは、気を付けるしかなくて、なるべく人と会わないようにしている。世知辛い世の中だからこそ、頑固だが楽天的になろうと思います。本当に多くの人に助けられた一年。ありがとうございました。去年の怪我から生き延びたけど、後遺症は確かにあることも、来年、間違いなくやって来る苦労も、受け止めるしかないです。

いよいよ炭窯の準備
今日は午後からお客さんあり。もう10年以上も親しくしてもらっている牧田さん。
製材機移転は無事に済んで、問題なく稼働している。次は、僕の本業である(木こり・木挽き(製材)ももちろん本業だけど) 炭やきの稼働に向けての段取りになる。
木こりの知り合いはたくさんいる。
製材ができる人も何人も知っている。
ただ、炭をやける人はいない。
僕が最も時間をかけて修業したこと、僕が生涯を賭けて取り組む仕事が「炭やき」なんだ。火鉢で使える極上の炭。炎も煙も出さない、本来の本物の「炭」。
木こりや木挽きの代わりはたくさんいても、「炭やき」を代わってもらえる人は師匠しかいない。しかも、師匠はもうこの世にはいない。
つまらない事情で、4月から炭をやけていなくて、注文をいただいてもお断りしている状態。
新たに窯を打つ(構築する)場所はある(工場の敷地内)。
作れる人もいる(自分です)。
あと少しで時間もできる。
作らない理由を探す方が大変な状況である。もちろん、費用がかかる。材料を揃えるだけで、何十万もかかる。
そこで、
クラウドファンディングを立ち上げることにしました。
今日、牧田さんと一緒に来てくれたのが、製材機移転の費用を融資してもらった「コミュニティバンク モモ」の理事さんたちとモモの活動を支えている人。
その専門的な知識を持っている人が協力してくれることになった。詳しいことは、追々お伝えしてゆきます。
では、何故今「炭窯」を造るのか?それは僕の最も大切な生業だから。そして「炭」とは、「火の文化」そのものであること。
それをきちんと残し、継承してゆくため。これは、僕の「稼ぎ」の中心でもあり、まさしく「仕事」です。大げさに言えば、「炭」は日本人としての誇り。
木こりをしていても、木を挽いていても、僕は満たされない感情に気付いていたんだ。それは僕が大好きだったSEを辞めて、山に入った原点でもあるから。「炭やき」になるために修業したんだから。
本来ならば、自己資金で何とかする話だし、ずっとそう考えてきた。だけど、僕の代で全て終わらせるのなら、それでもいい。けれど「火の文化」をきちんと残したいと考えた時、せっかくネット環境があり、支援してくれる仲間もいて、発信の方法もある。ファンドを受けることも、発信の一つでもあると考えた。
モモから融資を受ける時も同じなんだけど、僕の本当の仕事は、僕の弟子とうか、若い衆(まだ出会っていないけれど)を一人前に育てること。その若い衆と出会うためのツールがファンディングであり、こうしたSNSでの発信なんだと思う。
僕自身、人前に出ることや目立つことは嫌いだ。市井の職人として、誰にも知られずに仕事をしていたいという気持ちも強く持っている。SNSで発信して、それに反応してくれる人は、広く浅くのタイプが多いことも知っている。
それでも、いつか目の前に現れる「若い衆」に対して、今発信すること。それも僕の大事な仕事の一つなんだ。
せっかく使えるツールやアイテムがあるのなら、それは使おう。
何よりも大切なのは、僕が本物であること。僕の背中を見て、この仕事をしたいと思ってもらえるような職人になること。
お金のことは難しい。でも、避けては通れない。今回、とても良い経験ができそうです。応援よろしくお願いします。

WEBマガジンに載りました
meetsあいちの山里
こんな風に紹介されると照れ臭いけど、やはり嬉しいもの。まだ表記が間違っていたりするけど、「マガジン」と「サポーター 人工林と原生林ツアー」に載せてもらいました。山のこと、全力で僕が知ってることを伝えてゆきたい。昨日、定住委員連絡会議で旭支所に行った時、これのチラシで置いてあったのを見つけた。嬉しいやら、ちょっとビックリしたやら。三河の山里は素晴らしい。ミーハーな感じで来る人が大多数なんだろうけど、そんな人たちにも本物を伝えなきゃいけないと思ってる。師匠が僕に言った言葉が頭をよぎる。「いいか、人に伝えるってことは、想像以上に大変だし、人は興味持っているような顔しても、すぐに忘れる。まず、想いを100人に伝えること。その中の1人が興味を持ってくれるだろう。その1人が100人集まった時、その中の1人が一緒に頑張ってくれるだろう。だから、少なくとも1万人に自分の言葉で伝えなきゃいかん。俺がお前と出会ったようにね」と。
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