初窯は・・・

今日は朝から誰とも会わず、工場でひたすらに原木割り。

シングウの42インチ薪割り機がすこぶる調子いい。前の窯でも使っていたけど、あれは補助金で手に入れたものだし、自分の物では無かったから愛着も少なかった。

だけどこれは、クラウドファンディングで支援してもらったお金を半分、残りの半分は自腹で買った。

エンジンはミツビシ。いいオイル入れて、高いけどモリブデン添加剤も入れて、慣らし運転までしたエンジン。OHVの4サイクル、シングルの181ccだけど、低回転でよく粘るから割りやすい。

休憩は、やはりウッドガスストーブで甘いカフェオレを飲む。

そして、窯も冷えたので口を切って(焚口のレンガを外して)、中を見てみた。

初窯にしては上出来だ。

当たり前だけど、炭になっていた。焚き方もまだ改善の余地あり。

一つステージが上がった。

まだ雪の残る工場で、未来への確信を一つ、胸に刻む事ができた。

本当に幸せ者です。


時間泥棒

雪だ。けっこう積もった。

そして、今日の僕はすこぶる機嫌が悪い。

これから書くことは、人の悪口です。見たくない人はスルーして下さい。

いつものように、工場で仕事をしていた。木挽き仕事が一段落したので、おが粉を集めたり、挽いた材を整理したり、コアをまとめたり、掃除したり、窯は順調に冷めているので(窯のどこかに不具合があると、冷めずにどんどん灰になってしまう)、淡々とそれでもご機嫌に仕事をしていた。

そんな時、泥棒が来た。

盗まれたのは僕の時間。職人の時間を奪うということは、僕のお金を奪うのと同じこと。やって来たのは「時間泥棒」だった。

そのジジイは、断りも無く勝手に敷地に入って来て、図々しく僕の近くまでやってきた。「やっと会えましたね」というそのジジイ。

最初、地元の人かと思って「どちらの方ですか?約束してましたっけ?」と聞いたら、豊田街中に住んでて、森林ボランティアをしているトヨタのOBだと言っていた。

僕には、面識の無い人のところへいきなり来るという神経が理解できない。そのジジイは春に載せてもらった中日新聞を見て、その後で僕のホームページも見たと。それならば、事前に連絡ができるはずだ。

置いてあった僕のチェンソーの鞘を勝手に外して、刃を見たらしい。「さすがにいい刃だね。目立て教えてもらわなきゃ」と、笑顔で。

僕は「目立て教えますよ。一日3万円もらいますけど」と言った。そのジジイは「えっ?お金取るの?」だと。他にも、聞きもしないのに、自慢話(レベルの低い話だったけど)。その間、僕は何度も時計を見た。それは、そのジジイに自分が時間泥棒だと気付いて欲しかったからだ。その時点で僕はそのジジイの相手をするのが嫌になっていた。すると、そのジジイは僕の大切な製材機のレールに足を乗せたまま「人が話をしている時に時計を見るって、失礼じゃないかな?」と言った。僕はキレた。

「失礼なのはどっちですか?いきなりやってきて、勝手に入り込んで、職人の仕事時間を奪っておいて、そっちの方が何倍も無礼じゃないか?」と、言葉を選んで穏やかに言ってみた。もっと汚い言葉で罵る事もできたけど、妙に冷静にその哀れなジジイを観察してる自分がいた。

時々こういう事が起きる。実店舗で商売をしているならともかく、ここは危険な道具もあるし、ハイ積みしてある丸太は積んであるだけなので、崩れて下敷きになる恐れもある。

面識のある人ならともかく、興味本位で職人の仕事場へ入ってくるという行為は、不法侵入になる。

前の仕事場でも何回も何回もあって、そんな奴らは決して、炭を買ってくれたり、板を買ってくれたりしたことは無い。散々、質問されて、僕の貴重な時間を奪って、「いい話を聞かせてもらってありがとう」と帰ってゆく。今日のジジイも当然、手ぶらだったし、名乗ることもせず、一方的に自分の知識欲を満足させたいだけだった。

偏見かもしれないけど、大企業を定年まで勤め、定年後の自分探しをしているジジイたちに多い。その手は僕の大嫌いな森林ボランティアたちにたくさんいる。

金と時間はあるけど、礼儀やリスペクトを知らない。

僕はお客さんを大事にするけど、神様だとは思っていない。特に伐採など、自分ではできない事を依頼してくるのだから、立場は対等だ。たいていの場合、向こうが思っている金額よりも高い見積もりを出すことが多い。見積もり段階で値引きの交渉には応じるし、大儲けしようとは思ってないけど、決して安くすることがいいとは思っていない。

ところが、仕事が終わってから、何かと難癖をつけてきて、値切ろうとする奴らもいる。その場では何も言わないのに、後からグダグダ言う奴。

今日のジジイもそんな感じだ。きっと、あちこちに僕の悪口でも言ってるんだろう。

まあ、いくらでも言ってくれ。

何でもお金に換算するのは嫌いだけど、「時間泥棒」に奪われた時間とお金は戻らない。

若い活動家にもそんなタイプは時々いる。

せめて、事前に予定を確認してから来てほしい。

どんな事だって、メリットが無い事はしたくないんだ。メリットとは、お金の事だけじゃない。

毎日、熊手で小銭をかき集めるような暮らしをしている個人事業主です。ケチと言われようと、偏屈だと噂されようと、自分のケツを自分で拭かなきゃいけない。定年後の遊びに付き合っていられるほど、こっちには余裕は無いんだ。

本業 炭やき

僕の本業は炭やきだ。「炭焼き」とは書かない。炭焼き職人とは、炭火で料理する職人の事。僕たち製炭士は平仮名で「炭やき」と呼ばれる。
炭やきという仕事の中で、最も大切な道具。それは窯だ。
去年の春、クラウドファンディングで支援して頂いて、資金を集めて(足りない分は自分で出して)、資材を購入。「火の文化」を継承するために頑張りました。
窯の設計、施工は全て自分で行った。場所は僕が所有する工場の一角。
20年前に修行を始めて、師匠から窯の打ち方(作り方)を教えてもらい、あちこちで作ってきた。2年前まで10年以上使っていた窯もそうだった。煙の苦情で使えなくなったけれど、そこを管理している団体がポンコツで、早く縁を切って自分の窯を持ちたかったので、ある意味ベストなタイミングで追い出された。

耐火レンガ、耐火セメント、地元旭の赤サバ土、目地は耐火モルタル。
今まで積み上げてきた僕のスキルと勝負する気持ちで挑んだんだ。
炭窯だから、いい炭がやけて合格。しかし、火を入れて、窯が暖かくなる過程、煙の出方など。全て合格だった。
今まで使ってきた窯の中で最高に調子いい窯になった。

支援して頂いた方、本当にありがとうございました。

個人的な支援はずっと受け付けています。

ようやく初窯

今日から窯焚き。

他にもやる事が山のようにあるけど、今日だけは「北三河炭やき人」として、集中して窯を焚きます。

クラウドファンディングで支援してもらい、たくさんの人にレンガ積みとか、天井打ちとか手伝ってもらって、ようやく試運転を終えて、これが初窯になります。

榊野の横江ちゃんに祈祷してもらってから数ヶ月。
設計から大事な部分の施工は一人で頑張った。
特に煙道(ウド)作りは気合い入れた。

その甲斐あって、焚き口に火を入れてからすぐに煙突から引き始めた。第一段階クリアです。

さて、来週は窯焚きながら木挽きもやらなきゃ。

約2年ぶりの本業炭やき。煙突から出る煙に、新たなる決意と、これが僕の日常であることの喜びを噛みしめつつ、淡々と仕事しています。


今年は・・・

先日、「SDG’s」や「カーボンニュートラル」について否定的なことを書いたけど、別に否定するつもりはない。

ただ、僕からは遠い場所の話だと思った。「ウッドショック」にしろ、「木質バイオマス」にしろ、日々の僕の仕事に直接影響も関わりも無いだけだ。「J-クレジット」には多少関係してくる可能性もあるけれど、いずれにしろ机上の数値化にはさほど興味が無いのだ。

僕が最も大切だと思う「感性」は数値化できない。たとえ数値化できたとしても、陳腐な表現になるだけだろう。
「感性」で表現できるのは「合う」「合わない」だと思うんだ。人間関係もそうだ。口先だけの時間泥棒たちと上手くやってゆける気は全くしない。
そう。横文字のスマートな表現も彼らも、僕とは「合わない」のだ。あと約1ヶ月で還暦だけれど、50代になった時、誓った事がある。それは「好きな人とだけ付き合う」ということ。もちろん、大人の事情で「嫌いな人とも関わる」ことをするけれど、基本は合わない人をシカトだ。

事業は更に充実してきている。だからこそ、より一層、小汚くて偏屈なおっさんに磨きをかけてこんな自分を貫こうと思っている。

僕の憧れは、75歳の自分自身。「頑固だが、楽天的な山のジジイ」だ。
まだまだ、そこに到達するにはたくさんの事をしなければならなくて、もっともっと挑んで乗り越えなければ。それが楽しみで仕方ない。

去年の結果は、これからの最低条件でしかない。何とか無事に新年を迎えることができた。

今年も変わらず、一本の木を生き物として扱ってゆきます。

去年を振り返ると、一番記憶にあるのはやはり、クラウドファンディングを通じて、たくさんの人に支援をしてもらったこと。完全に予測を上回る結果でした。本当にありがとうございました。リターン品については、来年早々から段取りします。順次お届けしますので、もう少しお待ちくださいね。

春に中日新聞に載せてもらったのも印象深い。田舎のおじさんやおばさんたちが一気に、僕を認識してくれた。いまだに、「あー、新聞に載っとった人だね」と言ってもらえる。ホームページのアクセスも掲載翌日は記録的に多かった。

雑誌の取材も何件かあって、どれも嬉しい出来事だった。もちろん、メディアに出ることが目的ではないけれど、やはり少なからず承認欲求はあるのだから、素直に嬉しいと思う。

どちらにしても、多くの人に助けられ、支えられて生きている事は間違いない。地味だけど、僕にしかできない仕事と場所を与えられている。今以上に頑張るしかないと思います。

カーボンニュートラル??

ツイッターで、「一次産業はカーボンニュートラルに貢献しているから、頑張る」って書いてあった。
「SDG’s」にしても、「カーボンニュートラル」にしても、流行りの耳ざわりのいい言葉だから使っているんだろう。政治家までも安易に使ってる。

そもそも、「カーボンニュートラル」というのは、CO2吸収と排出が相殺されてゼロになること。
つまり、木を燃やして出るCO2は、元々その木々があった森林に漂っていたCO2だった(光合成によって、CO2を吸収し、O2を排出し、Cは木が蓄える)ので、CO2の絶対量を増やしたことにはならないという意味。
今、流行りで言われている「カーボンニュートラル」というのは、CO2排出削減ということ。
木を燃やしても、地球上のCO2を増やしたことにはならないという事で、木を燃料として使う事は悪くないという、いかにも最先端の意識高い系の活動家が好みそうな話。
バイオマス燃料として、人工林の木々たちが取引されている。
それに対して僕は、ずっと強い違和感を持ってきた。燃やせば一瞬だけど、育つには何十年もかかる。それを考えると、複雑な気持ちになるからだ。

僕が請ける山は、ほとんどが人工林だ。誰かが植えて、育てた木々たち。
植えた人は、焚き物にするために植えたのではない。立派な柱や梁になれと、想いを込めて植えているんだ。

僕の仕事は、山の木を伐り、針葉樹は挽いて材木に。広葉樹は窯を焚いて炭に。最初から焚き物として扱ったりしない。

柱や梁、炭にしても燃やさなければ、炭素固定そのもの。自分が出している、化石燃料由来のCO2に関しては、相殺できている。

木を燃料以外で使うことで、炭素固定は進む。焚き物にするのは、最後の最後。コワ(木の皮が付いた部分)や、木っ端などのはずなんだ。
木(山の恵み)を頂いて、それを大切に使うことで、少しでも炭酸ガスの排出を抑えて、子孫から借りただけのこの星を大切にしたいと、年末の忙しい中考える。

せめて、山仕事で生きている僕たちくらいは、そんなことを真面目に考えるのもいいんじゃないかな。

目標

一日工場で納期のある仕事を黙々と。休憩時間は、焚火でお湯を沸かして、粗目に挽いた豆でパーコレーターコーヒー。こんな毎日、当たり前の事なんだけど、考えてみれば豊かな事なんだ。
世の中、SDGsってうるさい。
「杉野さんの仕事はまさしく、SDGsですね!」と目をキラキラさせて言われても、僕にはピンと来ない。
地球環境が良くなればいいと、それは本気で想うけど、僕の目標はそこではない。もっと足元の、もっと身近な、もっと自分本位の目標なんだ。
僕のような当たり前のおっさんが、当たり前に仕事を続けてゆけば、それは地球環境を良くすることに繋がると考える。僕は、やりたいことをやっているだけ。誰かのためとか、地球のためとか、それは結果的にそうなればいいと思うに過ぎない。

来年還暦を迎える僕が望む事、それは「頑固だが楽天的なジジイ」になること。せめて、自分の周りの森が良くなること。毎日山の懐で眠り、目覚め、木を伐り、木を挽き、窯を焚く暮らしを続けられること。

昼休みで家に帰って、窓から見える景色にハッとした。何でもない、里山の風景。田んぼの向こう側に低い山があって、斜面には針葉樹、広葉樹が混ざった里山が広がってる。この景色を、自分が暮らす場所から毎日眺められること。これこそが、僕の望んだ生き方なんだ。
つくづく、幸せ者だと思う。
雨がそぼ降る田舎なんだけど、とても豊かな時間が流れている。

試運転

型枠を燃やすだけのつもりが、つい炭やき行程に入ってしまい、こんな時間(23時)。

窯から煙が上がる姿は、本当に美しくて、嬉しいことです。これも、クラウドファディング、そして直接支援して下さった方々のおかげです。本当にありがとうございます。直接支援はずっと受け付けています。よろしくお願いします。

数年前に無理して、この大きな工場を手に入れて、去年借金して製材機を据えて、百人以上の支援を頂いて、ここに僕の本業である炭やき窯も作ることができました。

試運転は想定以上に順調です。少しだけ煙が漏れるところがあったけど、耐火モルタルで塞いで、今は順調です。これなら来月から本格稼働できそう。


窯と煙と月と木星。誰も居ない仕事場で、煙を眺める。ウッドガスストーブで沸かしたお湯で淹れたコーヒー飲みながら、時間はたっぷりあるので、チェンソーの目立てしながら、この匂いに包まれる。

幸せです。

久しぶりに吠えます



久しぶりに吠えたくなった。

この動画を見たから。


https://www.youtube.com/watch?v=sU7rXrXxb0M&list=PLKeSkVQhqoOrrDx41RKpvSJtElZk0arIh


森林が(林業が)災害の原因になっている。って、正解でもあり、間違いでもある。
皆伐って、楽だし、間伐よりも安全に進めることができる。木を使うという面では、いろんなサイズや目の木が出るので、使う側の選択肢が広がる。
蔵治先生とは直接話をしたこともあるし、山を歩いた事もあった。ちょっと老けたかな。でも話はよく分かる。蔵治先生の言うことを注意深く聞けば、現場の地形、沢筋の流域、土質、面積を抑えることで、皆伐が全くダメとは聞こえない。許可制にすれば、危険な場所での災害はある程度防げるだろう。
林野庁の課長の話は、植えた人の気持ちを考えているというのが正直意外で、ちょっと嬉しかった。

しかし、結局「自伐」へ話を持ってゆくのか。「自伐」が災害を減らすとでも言いたいのか?がっかりした。僕のしている施業も分類すれば「自伐」になるのだけれど、僕は彼らと一緒にはしてほしくない。

僕は皆伐(条件付きだけど)も、高性能機械での大規模伐採・搬出も反対ではない。

大規模な林業が無くなって、全てが小規模林業になれば、自給率は下がり、ハウスメーカーなどへの木材供給は行き詰まる。僕は小さな林業しかできないし、これでいいと思っているから、質よりも量という仕事はしないけれど、どちらも必要な仕事なんだ。

「自伐」が正義で、他はダメなどという思い上がった思想は持ち合わせていない。
仕事と稼ぎ(ライフワークとライスワーク)と地域と環境と未来と今と過去と木を植えた人の魂と、過去から未来へ移り行く途中の一コマでしかない僕たちなのに、正義の味方気どり、自分が主役のつもりでしゃしゃり出てくる活動家には反吐が出る。最後に出てきた現場の人には共感した。なぜ、どこに反吐が出そうなのか?それはうまく説明できない。正しいか間違ってるかじゃなくて、好きか嫌いかの話。全て、僕の主観です。

番組について、皆伐後、どうするか?が重要なのに、それについては一切触れられていない。

今の人工林が造られた時、これだけの面積(段階的とは言え、今の人口林の面積=1000万ha)が一度皆伐されて、それから地ごしらえして、植林したんだ。たった50~70年くらい前に。

皆伐施業で、大切なのはその後林業の復活のために植林するか、もしくは環境が良くて、自然林に移行するのに、実生ですぐに出るのか?

などのグランドデザインが丁寧にされて、それに合わせた施業が行われるかどうか?だと思う。

当然、伐採を請けた業者は植林が義務化されることもある訳だから、
10年後に若くても根が張った林になっていれば被害はそれほど出ないはず。
もちろん、傾斜や水の流れなども考慮して、伐るか伐らないか決めるのは当然。テレビの解説を見ていると、伐ったら放置されているのが前提の理屈。それを蔵治先生が伝えていない訳は無いと思う。

結局、特にテレビは自分たちが作りたい番組になるように、話の前後を絶ち、意図的に順番を入れ替え、不安を煽るような番組にする。その方が視聴率獲れるんだろうな。

50年前に比べて、雨の降り方が変化していたりするのはあると思う。明らかに違うのは、林道が入っているかどうか?この差は大きいと思うけど。

林道が起点で崩れることは知られている。だけど、道が入っていなければ伐った木を出すのに、経費が掛かり過ぎる。そこは理解しているつもり。

テレビを見ている、街の人たちが「林業」が災害を誘引していると思われたら心外だし、それは職業の侵害だ。

NPO活動家の言葉の多くは、表面的には世のため人のため。実は自分が有名になりたいだけ。

が多い。

惑わされないようにして欲しい。ネットの画面だけから情報を入れていると、大変なことになる。

真理は現場にしか無い。それだけはまごうこと無き真実。

僕のやり方

北山耕平さんの 「モンゴロイドの末裔として、われわれが便利な暮らしを追いかけるなかでなにを失ったのか?」脳味噌に直接響くような問いかけだ。

森羅万象に命があり、石ころ一つにも神が宿ると考えるネイティブの思想に通じる。
大地に心があるという発想・・・自分以外の全てに感謝する心・・・それはマタギの魂にも見て取れる。
母なる大地という事なのだろう。自分は大地から生まれてきたという自覚みたいなものか?
この星が無ければ、自分たちは存在しないのに、自然に存在する物質全てによって生かされている(僕たちは地球に生かされている)だけなのに、母なる地球と父なる宇宙(そら)からの、自然の恵みだけが(地球に外から入ってくるエネルギーは太陽の光だけであり、それ以外は全て地球上で輪廻循環している)、僕たちを生かしてくれているのに、今の僕たちは食物連鎖の中に入る事すらできない。

僕たちがこの 星に対してできる事は、今までしてきた事を反省し、少しでもこの星にダメージを与えないようにする事だ。
地球が自ら再生していく様を静かに見守り、決して邪魔をしない事だ。
僕たち人間は、消費する事しかできない。
米や野菜を作るなどと言っても、結局この星の恵みを頂いているに過ぎない。
毎日山で過ごす僕が、自然の中で、より鮮明に感じる、何とも言えない居場所の無さがそれだ。
「自然の中の不自然」とでも言おうか。どんなに憧れても、僕たちは生態系ピラミッドの中に入れ ないんだ。
自らの肉体や生命を、他の命が生きる為に捧げる事をしなくなった僕たち人間は、生態系ピラミッドに入る事を許されないのだ。
その疎外感はきっと、環境を 壊して自分たちの発展しか考えてこなかった僕たちに対する無言のメッセージなんだ。
人間だけが突出して発達しているのではない。地球上で人間だけが孤立して いるのだ。
地球を含めた宇宙に、僕たち人間が「私はあなたのおかげで存在しています」と祈りと感謝を捧げても、宇宙(そら)は「それがどうした?その事実は私に対し、なんの義務感も生じさせない」と、冷たく言い放つだろう。

そもそも、「生態系」などと、人間が勝手に考えたしくみだ。山の生き物たち(大地も草も昆虫も鳥も・・・)は、自らのDNAに深く刻み込まれた、それぞれ本来の姿を全うする事だけを生きる目標にしている。

「生きること、死ぬこと」が仕事なんだ。死してなお、食物連鎖にその身を捧げる。自分が生きてきたその場所に命を繋ぐ。
人間も森羅万象の一部ならば、本来あるべき姿を全うする方法を考えたい。

不必要なモノに溢れた贅沢で便利な暮らしが「豊かな暮らし」なのか?

本当に「豊かな暮らし」とは何なのか?

勝っただの、負けただのつまらない争いと欲から身を引き、僕は名も無き山守・水守として暮らしてゆきたいんだ。金持ちにならなくても、有名にならなくても、人から褒められなくてもいい。

僕は小さなことを積み重ねる方法しか知らない、このどこにでもいる普通の男にできることは知れている。
けれど、僕はこの、小さな集落で死んでゆくと決めた。小さな洞の主として脈々と命を繋いでゆこうと決めたんだ。
こうやって、答えの出ない問いかけを続けてゆこうと思う。

しかし僕と言えば、書いていることとやっていることが一致していない。
毎日仕事で車に乗り、携帯電話を使い、こうやって、ネットを使って発信している。
仕事にしてもそうだ。チェンソーを使い、ユニックを動かし、金属製のワイアを使わないと仕事にならない。
全てを手作業に戻すことはできない。手作業では稼ぎにならないから。

遊びじゃないからこそ、便利な道具を使う。それを意識しているだけ、マシなんだろう。

大地をいたわる気持ちと、稼ぎのために、地球の資源を使ってしまっているという罪悪感、仕事の達成感と、自分で作った米を食うような、小さな幸せを一つずつ。自分なりのバランスで続けてゆくことしかできない。

それが僕のやり方です。