偏屈なおっさんの独り言

年度末。いつもなら何かと忙しく、落ち着かない日々なんだろうけど、確定申告も先月終わらせて、とりあえず現場仕事も落ち着いている。請けている仕事はあるけど、どれもコントロールできている。

この数日、雨で何となく頭痛がしている。

夕方家に戻り、薪ボイラー焚きながらあれこれ想いを巡らす。

見上げると、雲が切れて星が出ている。すっかり、春の星座になりつつある。早い時間には冬のダイアモンドが大きく展開していて、今シーズンはそろそろ見納めだなあって思う。

考え事していたら1時間も焚火を眺めていた。明日は貴重な晴れ間になりそうだから、先週伐ったサクラやケヤキを搬出。現場は家から100m。

かけがえのない時間を大切に、儚く消えゆくものを愛おしみたい。

宇宙に想いを馳せつつ、現実を見つめる。

思うのは、毎日焚火できる幸福。焚いているのは全て、自分で伐った木。僕が命を奪った相手だ。せめて燃やす事で自分自身を納得させている。僕に伐られた木々たちは、そんな事とは無関係に酸化と熱分解を繰り返している。木こりである僕は、木々たちを擬人化して「痛そう」とか「かわいそう」とは思わない。それこそ、僕が生きてゆくために伐らせてもらっている。よく、環境活動家が「山がかわいそう」とか、「木が泣いている」って表現をするけど、木々たち、山河はもっともっと崇高な存在。ニンゲンの所業など関係ない。「生きる事が仕事」である。僕は山は大きな生命体だと考えているけど、それにしたって、僕たちニンゲンのために存在している訳じゃない。「ありがたい」とは思うけど、「ありがとう」とは言わない。ニンゲンの方がずっと下等な生き物だからだ。私欲にまみれた汚い存在。そもそも、ニンゲンなんて、生態系ピラミッドから弾かれた存在。それは、自らの肉体を食物連鎖に捧げていないから。法律的な事もあるけど、火葬していることで、ニンゲンは消費するだけの愚かな存在に成り下がってる。

僕の個人的な見解だけど、土葬をやめた頃から、思い上がりと横柄さが現れてきたんじゃないかな。死んだら、その屍を微生物に捧げる事(土葬)で初めて、この星の環境に恩返しできると思うんだ。

それらをちゃんと考え、腹に落とす事をしなければ、この仕事は続けられない。多分、一生答えは出ないだろう。農業だってそうだ。育てた命を収穫して、糧にするのだ。一次産業とはそういう仕事なんだ。キレイ事や夢物語ではできない。現実に目の前の命を奪う仕事なんだ。

せめて、僕が相手の命を絶っているという事実を受け入れようと思っている。木を生き物として扱おうと決めている。それもあって、炭の原木も、製材の原木も、自分で伐って運ぶというスタイルを貫いている。大したことではなくて、普通ではないかもしれないけれど、僕にとっては当たり前だと思っている。

派手な活躍を自慢するより、日々の質素な生き方を密かに喜びたい。名も無き山の頂に棲む神に見守られて、誰にも知られなくとも、誇り高き炭やき人でありたい。

有名になる事や、金持ちになる事からは離れて、名も無き山守、水守として、ソローが描いた老人のように枯れてゆきたい。もちろん、金は必要だし、いくらあってもいいんだけど、有り過ぎても結局道具を買ってしまうだけ。

お金を直接もらうより、正当な対価が頂ける仕事が欲しい。儲けるより、いい仕事がしたいという欲求の方が強い。

などと、焚火しながら思い巡らせる。偏屈なおっさんである。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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