とある人からラインで、「毎日忙しそうで、体調崩さないようにしてください」と優しい言葉をもらった。
実は、特にこの時期、あまり忙しくない。暑い事もあるけど、伐り旬まではまだ一か月あるので、急ぎでない限り、木こり仕事も請けない。
サボる時間を作るために、ある時間集中して作業している感じだ。
組織の都合でなく、金にはならないけど、自分の時間を自分で手に入れる。
丸一日、誰とも会わず、誰とも話をしていないと嬉しい。でもそれが数日続くと嫌だ。恐らく、B型の典型的なわがまま気質なんだろうな。
人からどう見られているか?を気にしないようにしているけど、人から見ると僕は「忙しい人」とか、「休まない人」とかポジティブな人間に見られているみたいだ。まあ、決してネガティブでは無いけど、飛び抜けてポジティブでもない。
24時間仕事と言えば仕事だけど、「仕事=ライフワーク」と「稼ぎ=ライスワーク」はバランス良く両方できるように心掛けている。
基本的に、やりたい事をやるし、会いたい人と会う。自分が背を向けたモノ(ヒト)に対しては、自分も背を向けられる事だけは覚悟している。
何年も前だけど、自分で書いた言葉が
頭を縦に振るのと、尻尾を横に振るのは全く違う。子供じゃない。稼ぎのためなら、多少のことは妥協する。だけど、誰に頭を下げるかは、自分で決める。損得じゃない。やりたいかやりたくないか、そのどちらかだ。
僕は工場や仕事場もそうだけど、周りの環境に恵まれている。まず、天国のお袋や親父、ジローを含めて、僕を優しく包んでくれているすぐ近くの人たち、住んでる集落の人たち、仕事の相棒、稼ぎの相棒、そして施主。
毎年の事なんだけど、伐り旬に入ってからのお客様に恵まれていて、今年もとても素晴らしい施主の家裏の伐採仕事を請ける事ができた。感謝しかない。
「反省はするが、後悔はしない」ように自分を仕向ける。
朝晩はめっきり、涼しく秋の気配で、借りてる田んぼは、田植えが遅かった事もあって、日陰側がまだ夏の色だけど、日当たりのいいところは秋の色になっていて、そのグラデーションが美しい。それが毎日少しずつ変化しているのを目の当たりにして、足元から実感できる事の充実感は、現場で汗をかいた者にしかわかるまい。
長い間、デジタルな世界(言ってみれば「1」か「0」しかない簡単な世界)で食ってきて、今は全く儲からない一次産業に身を置き、金があった頃に比べて、確かに貧乏だけど、決して貧しくない、毎日奥深い日々の暮らしが幸せなんだ。
金は無いけど、米と薪はたっぷりある。これがどれほど豊かな事か。これも僻み半分だけど、金持ちにはわかるまい。
来年一年間食う米を毎日気長に育て、来年一年分の焚き物を確保する。
その次の一年分は来年の頑張り次第で、済んでしまった過去に囚われて考え込んでる時間があれば、来年の焚き物を作るために木を伐る。来月の支払いを済ませるために、木を挽く。年を越すために、炭をやく。
考えてみれば、すごく複雑でメリットがあるか無いかよくわからない事だし、リスクたっぷりだけど、敢えてそれを単純に積み重ねてみる。手を動かし、手で考える事を習慣にしてみる。
小さな成功を積み上げることしか、明るい未来に続く方法は無いって事だけは、自信を持って言える。
午前中は工場でいろいろやって、昼飯は家で自炊。昼飯食ってから、木酢液たっぷりのぬるめの薪風呂に入って、コーヒー飲みながら書いてます。夜の会議まで、ちょっと昼寝してエネルギーチャージ。
