僕は豊田市北部、北三河と呼ばれる地域にIターンし、山村で暮らしている。生業は林業だけど、僕は山の百姓になりたくて、田んぼで米も作っている。地主が高齢で、耕作を諦めた田んぼを2枚。1反7畝だ。
田んぼをやっている動機は、
一つは自分たちで食う米を作りたいという気持ち。もう一つは、田んぼは農村景観の大事な要素であって、耕作放棄地で荒れた状態になるのを見たくないという想いだ。
春、水が張られて、田植えが終わった田んぼは、美しい。
夏、稲が緑色に輝く田んぼは、美しい。
秋、穂が黄金色に垂れている田んぼは、神々しい。
米作りは思ったよりも難しくない。トラクター、田植え機、運搬機は地主所有の機械を無料で使える。稲刈りは、集落内でコンバインを持っている人にお金を払って刈り取ってもらっている。
刈った籾は、去年までは農協のライスセンター(籾摺り・乾燥をする施設)に持ち込んでいた。稲刈りの日朝、車で20分ほどのライスセンターにトラックで行き、運搬用の鉄製のコンテナを借りる。そこにコンバインから籾を入れてもらい、ある程度の量になるとライスセンターへ運ぶ。
ライスセンターでは、誰が(誰の田んぼで)、どれくらい持ち込んだかを計量、記録して大きな機械へ投入する。持ち込んだ量から計算されて、玄米となって戻ってくる。問題は、大きなライスセンターには一日に何tもの米が集まる。当然、それらは大きなサイロで混ざる。
つまり、自分の田んぼで作った米がそのまま戻ってくる訳ではないんだ。同じ地域とは言え、誰が作ったのかわからない米が戻ってくる。もちろん、銘柄(ミネアサヒ)は統一されている。
それが嫌なら(自分で作った米を食いたいなら)、自分で刈って、自分で乾燥させて、自分で籾摺りまでしなければいけない。バインダーを使って刈り、はざかけし、籾摺り機で玄米にするしかない。それは現実的には無理だ。
経費と時間を考えると、ライスセンターに持ち込む以外の選択肢は無いと言える。この「自分の米が戻ってこない」が、農家のモチベーションを下げていることは間違いない。
今年から僕は、もう少し小さな規模のライスセンターへ出す事にした。それは、集落単位で営農組合を作り、そこで補助金を確保して、籾摺り・乾燥機を設置した「押井営農組合」だ。そこは規模がちょうどいいので、自分の米が玄米になって戻ってくる。
「押井営農組合」では、「自給家族」という取り組みをしている。それはまた、あらためて書こうと思う。
今日書きたいのは、最近の米不足ニュースを見ていて思う事。
ニュースで取材を受けている人たちが口にするのは、米が無い、米があっても高いと。高くて買う気にならないと言う。表示された値段は、
10kgあたり5000円だった。僕はこの数年、米を買っていないので、スーパーの売値は知らないけれど、米を作る農家が、ごく普通に利益を出そうとすれば、1俵あたり3万円で売らないと、儲からない。大儲けではなくて、サラリーマンの初任給くらいの利益。それを出すためには、1俵3万円が最低ラインなんだ。1俵は60kgだから、10kgあたり5000円という事。
消費者が、高くて買えないという値段と、農家が最低限欲しい金額が同じなんだ。当然、農家に3万円/俵ならば、消費者が購入する金額は倍近くなるだろう。しかし、それが正しい値段なんだ。
僕の本業である林業。伐採・造材・搬出・運搬して得られる売り上げは、本来欲しい金額の数分の1しかない。
一次産業は儲からない。それはおかしいだろう。
本来、消費者が支払う金額というのは、一次産業者が経費を算出し、人件費、利益を載せて決めた売値(それが米なら 3万/俵、木材原木なら、10万/立米、製材・乾燥まで行って、15万/立米)に、卸しや販売店の利益をプラスして決められるものだと思う。当然、現在よりもずっと高いモノになる。
しかし、それが正常な対価。消費者側の「相場」という実態の無い化け物のようなところで値が決まり、流通側から順番にマイナスされて、一次産業者に降りて来る。それは間違いなく、一次産業者の赤字を意味する。
米も木材も同じだ。
ただ、僕も消費者であるから、自分が何かを買う時は安い方がいいし、特に仕事で使う道具などは、安い販売店を探す。「安さ」が正義なのだ。
ところが、生産者という立場になると、高く売りたい。
矛盾している。矛盾しているけど、これが現実。
政治が悪いとか、行政が怠けているとか、それを言っても仕方の無い事。僕は、自分ができる事を、自分のできる限り、頑張るしかない。
ただ、言える事はもう少し、一次産業者を大切にして欲しいと思う。
一次産業は、国の根幹である。食料自給率や木材自給率を上げる努力よりも、今一次産業で頑張っている人たちが、普通に生きてゆけるようなお金の流れを作れないものだろうか。
