去年、知立の神社で伐って運んだ松。
その松が何十年も生きて来た場所にある、神社の改修工事に使われる事になった。工場で梁サイズに挽いて、数か月天然乾燥した後、先輩の禎一さんの低温乾燥炉で更に乾かしてもらった。
それは僕が提案した事なんだけど、受け入れてくれた施主、設計士、そして宮大工さんに感謝だ。
文化財クラスの神殿改修なので、使う材料は樹齢数十年の目粗材は無い。それでも、せっかくだからと使ってもらえる事になった。まだ具体的な使用箇所はわからないけど、ストーリーが入ったその松は、大工の手によって建物に溶け込むんだろう。
2日前に、その大切な仕事をしてくれる、宮大工の棟梁の刻み場へキャンターに積んで直接届けた。工場から1時間半程の場所。
受け取った時の大工さんの表情が見たいから、こうして自分で配達する事にしている。正直、ドキドキするし、怖い面もある。プロとして、プロに材料を届けるんだから。
岳ちゃんと行った芳名板の設置の日、設計士さんから紹介してもらい、名刺交換も済ませていた。キリっとした印象の、仕事のできそうな大工さんだった。
届けた木を見る表情は真剣だった。
半年間、工場の屋根下、馬の上で静かに乾かしたんだけど、やはり松。捻りが出ている。木口含水率は30%ちょっと。
ここで製材機に載せて面(ツラ)を取れば、矩は出る。それを届けるのが普通なんだろうけど、木の成り、含水率を考えるとまだ捻る。だからあえて、今回はこのまま搬入した。含水率を含めて、捻りも正直に棟梁に見てもらった。
そして、「キッチリ使わせてもらいます」とニッコリ。
棟梁は、「そもそも含水率なんて当てにしないし、まだ時間があるので、捻らせてしまいましょう」と。
普段使っている材料は無節で目が詰んでいる高齢材。目粗の若い木を使う事はほとんど無い人だ。でも、この松が神社境内にあった事を考えて、それを生かそうとしてくれている。むしろ、それを楽しもうとしてくれていた。
相手は生き物だと、当たり前のように考えている人だった。
こんな大工さんが建てる神社仏閣は、それこそ数百年、神や仏が心地よく棲める建物になるんだろうな。
届けた材は、芯持ち5m、4mと短い芯去りモノを6本。あっと言う間に降ろし、刻み場へお邪魔した。そこから1時間半も話しこんでしまった。貴重な時間を頂いた。
僕自身、大工さんの話を聴くのが大好きだし、大工さんも、この変わり者の木こり・木挽きの話を面白がってくれたり、共感したり。
伐り・出し・積み込み・運び・刻み・挽き・乾かし・配達まで。どの行程も、人に任せたくない厄介な性格のおっさんです。
「俺はこんな仕事しかできないけれど、この仕事は俺にしかできない」
これだけは自信持って堂々と言える。何とも気持ちのいい仕事だった。
小規模の、吹けば飛んでしまうような個人事業主だけど、これが俺の仕事です。
職人として想う事。それは、名前など残らなくていい。仕事を残したい。
それが信条だから。
午後は工場に戻って、窯の相手。どちらも本懐です。
写真は僕の工場で馬に載っている芯去り材。製材機の向こうにあるのが、芯持ち5mと4m。
ここであらたな命を吹き込んで、生まれた場所へ戻る松たち。
目の詰んだ高齢材は、良い材木になって当たり前。
僕の役割は、間伐施業で出した目粗材を、丁寧に扱って、大工さんに渡す事なんだと思う。今回の宮大工棟梁とは、実際の仕事で繋がる事は少ないだろうけど、とてもいい話を聴かせてもらったし、やっぱり木はいいなって思った。
一日に何㎥伐ったとか、挽いたとか、数字優先で大きな仕事をするより、一本一本、目を見ながら丁寧に。
小さな仕事を、完璧主義より、完了主義で積み重ねる手法。
これからの時代にこそ、大事な要素だと思うんだけどな。
