寒いなあと思って、外に出てみたら、目の前にオリオン。毎年同じ日、同じ時間に、必ずそこにいてくれる安心感。
僕は星を眺めて喜んでいるけど、向こうは何とも思っていない。僕にとって、宇宙が無かったら生きていないくらいの存在なのに、宇宙にとっては地球の存在すら、無くてもかまわない。
圧倒的な片思い。これは、例えば原生林の樹齢500年のブナやミズナラに対して感じる事と同じだ。
僕は山暮らしで、毎日星を数え、毎日山河の存在を間近に感じていて、それがどんな事よりも幸せなんだけど、それもやっぱり圧倒的な片思い。いつも寂しさを感じている。
でもこれでいい。それが宇宙の真理だから。
この数週間、冬のダイアモンドの中に木星、外に火星。そして、火星の位置がかに座あたりで、プレセベ星団が肉眼では見えなくなっている。真上から西を見ると、アンドロメダ大星雲が肉眼でぼんやり見える。
遠くの街路灯の下を、鹿のメスが3頭ゆっくりと歩いている。
自分を含めて、全てが大自然の営みであり、どれ一つも欠けてはいけない。
年末になり、周りが慌ただしくなる。来年度の自治区役を決める時期になった。村のお役も決めなければ。
個人事業主で自分の段取りで動いている毎日だけど、組織の人間関係を強く意識させられる。この時期は気が重い。
膝の痛みはゆっくりと治ってきているけど、油断すると痛みで思考が止まる。
大宇宙にぽっかりと浮かんで、堂々と回る地球と、その表面の山河の巡り、重力で張り付いているちっぽけな自分。
ニンゲンなんかよりもずっと崇高な木々の存在。まるで宇宙そのものだと思う。
その木を伐り、命を絶つ事が僕の仕事だ。だからこそ、命を奪った木こりとして、ちゃんと使おうと思っている。
木も、大地も、地球も、宇宙も、喧嘩して勝てる相手じゃない。勝てない相手とわかっていても、食うために木を伐る。
追い口を入れて、矢を打ち込むと、ある瞬間に木は観念したように倒れ始める。理系の目から見ると、木の先端に慣性モーメントを与えて、自重で倒れるように仕向けるという事だ。
山仕事とは、重力との闘いだ。重力には絶対に逆らえない。
いまだに重力について、全てが解明されている訳では無く、重力だけが、時空を超えられると考えられているけど。
重心と違う方向に倒す場合でも、最後は重力に引かれて、木は倒れてゆく。元直径80cm、樹高30mの大きなスギでも、指くらいの太さの灌木でも同じだ。
最後は地球に引っ張られてゆく。その木が生きてきた時間をその一瞬で使い果たすようなエネルギー。下敷きになれば即死してしまうほどの衝撃。
絶対に勝てない相手に向い、コントロールできないくらいのエネルギーを手元に感じながら、仕事を進める。
こちらも真剣に対峙していると、ある一瞬、木が自分から大地に寝てくれるような感覚になる。これは、決しておごり高ぶってはいけないと教えられているような一瞬。ニンゲンなんかにはコントロールできない領域。地響きと共に倒れる木を目の前で見送る。そこには達成感や充実感よりも、プロとして、収穫をするという行為を淡々と続けるという気持ちだけ。遊び半分でやっている訳ではない。そこに真剣さが無いと命の危険が手の届くところにあるから。
かと言って、仕事に命を賭けるなんて愚かな事はしない。最も大切なのは、無事に一日を終える事だから。
膝や腰の痛み、身体中痛いところばかり。
それでも、仕事がある事に感謝して、とにかくいい仕事をしようと思う。
僕が大学生の頃から目指している、「頑固だが、楽天的なジジイ」になるにはまだまだ。

