昨日はアースデイ(だったそうだ)。正直、ピンと来ない。
母なる大地を、山を相手にしている僕には、毎日がアースデイだからだ。今日も夕方まで工場で仕事して、家に帰ってから薪ボイラー焚いてる。玄関を出て目に入る景色は、落葉広葉樹の里山。この時期、黄緑色の新緑で溢れ返る。
これこそ、僕にとってのアースデイ。
実はアースデイに積極的に動く人、苦手なタイプが多い。環境とか、自然とか、地球の話を上から言ってくる。正義の味方気どり。自分たちの方が上で「守ってやる」と自惚れた考え。どう考えても、僕たちは母なる地球に生かされている。守られているのは、こちらの方なのに。勘違いも甚だしい。
山で暮らして、木を伐り、それを炭にしたり、挽いたりしている自分にとって、最も大切なのは地球であることは間違いない。むしろ、誰よりもこの星を大切に思っているし、実際に行動もしているつもり。
ただ、それを人に押し付けたり、導いたりすることが嫌なんだ。こうして発信している事も、「自分はこう考え、このように行動している」を書いているだけ。もちろん、承認欲求はあるけど、自分の考えを人に押し付けるのは違う。
昔から、自然農、ヴィーガン、マクロビ、パーマカルチャを全面に、満面の笑顔で近寄ってくる奴らに違和感持ち続けている(全く違和感を感じない、素晴らしい人も、稀にいるけど)。
僕はマックも食いたいし、ケンタも好きだ。夜中にどうしてもカップヌードルが食いたくなる衝動は抑えず、食います。田んぼにも、除草剤とカメムシ防除(最低限の農薬)入れます。土壌改良剤も入れる。化学肥料も入れる(化学肥料については、慣行平均の半分以下にするけど)。
自然農よりも、慣行農法を支持する。トラクタも、田植え機も、コンバインも使う。
毎日車に乗るし、服は化学繊維が多い。スマホは電源入れっぱなし、家ではネットも繋ぎっぱなし。山仕事で、チェンソーはガソリン、ユニックは軽油、製材は200Vの動力電源、炭やきの時も、薪割り機はガソリン焚くし、焚き付けには灯油を染み込ませた鋸粉を使うし、夜の作業は電気も灯す。今更、この便利なアイテムを手放すつもりはない。
もちろん、無駄なエネルギーは使わないように心がけるし、電気もこまめに消すタイプ。
以前、NPOの手伝いでイベントのスタッフなどをした事もあるけど、そこで僕がコンビニ弁当を食っていたら、犯罪者扱いされた。そいつは自然素材の服を身にまとい、食い物に拘り過ぎてガリガリに痩せていた。自給自足を声高に説いていた。
エネルギー問題、教育問題など、誰でも知っているような事を、いかにも意識高い体(てい)で演説していた。僕は薄っぺらい正義感しか感じなかった。
そして、そいつは満足げに、スマホを手にSNSに投稿し、車で帰って行った。あれだけ自給自足を謳っていた奴が、さっそうとガソリンを焚いて去っていった。手を振りながら。
スタッフとして後片付けしながら、もうこんな仕事はしないと決めた。それもアースデイ関連の仕事だった。
お祭りやイベントなら、それでいいけど、本当にこの星の未来を憂うならば、日々の暮らしの中で少しずつ、積み上げてゆくものだし、それは誰かに自慢する事でもなければ、秘密にする事でもない。
それ以来、独りでひっそりと自分の仕事をする事にしたんだ。そのNPOの代表と副代表は、補助金を獲る事だけが目的の、人として信頼できない奴らだったので尚更だ。
大勢の人が集まるような会場で、上っ面の仲良しグループで群れ、無駄な時間を過ごすくらいなら、月の位置を意識し、山河の呼吸を肌で感じながら孤高を貫きたい。
還暦過ぎの山仕事人は、ジャンクフードも食いつつ、今日も偏屈に磨きをかけつつ、独りで働くのです。
日々、地球に対する感謝は深まるばかり。
宇宙に対する畏敬の念は大きくなるばかり。
僕は、こんな僕が普通だと、強く確信しているんだ。
昨夜はこと座流星群の極大日。夜中の北東の宇宙(そら)にこと座が昇ってくる。そう、夏の大三角だ。ヴェガ・アルタイル・デネヴ。
毎日を時間に追われて過ごしている間に、星は巡って夏の星座に移っていたんだ。
母なる大地と父なる宇宙(そら)。結局、これが全てなんだ。
山の暮らしは真っ暗。自分の足元も見えないくらいの暗闇で見上げる星空。それはまるで、エメラルド色の天井みたい。
星を数えていると、自分のちっぽけさが骨身に染みる。
けれど、そんな時間がたまらなく愛おしい。
フリースを羽織り、焚き火をしながら暖かいコーヒーを飲みつつ、流星群を待ちます。たとえ、一個も見られなくてもかまわない。
そんな時間を大切にしたいと思う気持ちを、大切にしたいから。
