地域面談

この1~2週間、人当たりでぐったりしている。好き嫌いをハッキリさせるのが僕のやり方だけど、「嫌い」をされた相手は傷つく。それはわかっているんだけど、嫌いな相手に対して、ニコニコしながら、腹の底では中指立てて舌を出すような器用な振る舞いができない。還暦を過ぎて、好きな人とだけ付き合いたい。ある人からは、「だから信頼できるんですよ」と言われた。確かにそうかもしれない。

ただ、最低限の礼儀は通しているつもり。

「不愛想だが、礼儀正しく」「相応しい事を喋る。相応しい事を喋れない時は、黙る」。と心がけてる。

日曜日には地域面談があって、一組だけを選ぶ(または一組も選ばない)選択をする。好んで誰かを裁いている訳ではない。地域にとって、プラスになるか、マイナスになるか。本当に僭越ながら、自分を奮い立たせて選ぶ。これが、想像以上にキツい。もっと簡単に選んでしまえばいいんだけど、応募してきた人の人生、地域の人たちの生活に多大な影響を及ぼすとわかっている以上、真剣に対峙してしまう。

応募者のプロフィールや、考え方、信念みたいなものまで聞き出して、それが地域にどれだけ合致し、地域の人たちの未来と融合してゆくか?移住してきた人たちが、10年後に地域にはなくてはならない人材になっているか?を想像しながら進めるんだ。応募者と地域(隣近所のお年寄り)の両方が幸せになるような選択をする責任がある。

面談の後、自分なりの結論を出さなければいけない。面談者全員の意見(選択)を聞いた上で、家主が責任を持って判断する。この時、面談者たちの思惑、家主の気持ちなどが交錯する。そこで面談OKになると、応募者は家主と交渉ができるようになる。移住を受け入れると判断された瞬間だ。それが決まった以上、定住促進部としては、全力でバックアップして、受け入れる事になる。これがやりすぎだとか、地域側にばかり有利だという意見もある。応募してきたけど、この地域面談で裁かれるのは不本意だと、自分の権利を主張して辞退する人も多い。それはそれでいい。それこそ、地域面談をする意味があるという事。

意識的に地域側へ傾けた受け入れガイドライン(僕が部長をしている間は、これで行く)である事、移住者が地域に寄りそう形を要求する事、契約上は対等なんだけれど、家主(地域)を守る方向に向いている事、それらをむしろ喜んで受け入れてくれる人に移住してもらいたい。地域との深い関わりを拒絶する人には来て欲しくない。派手な活躍よりも、愚直で穏やかな暮らし方をしてくれる人に来てもらいたい。それを判断するのも、地域面談だ。少子高齢化に伴う人口減少を食い止めるための定住促進。だけど、誰でもウェルカムではない。興味本位で押し寄せる都会の人々と対峙しつつ、物言わぬ地域の年寄たちの気持ちを最優先にしつつ、人口を増やし、夜に明かりが灯る家を増やす。相反するようなこのやり方だけど、ここだけは安易に譲れない。敷島自治区(900人規模)も、旧旭町(2200人規模)も、移住者である僕をこの立場に選んだ事には意味があると思っている。

面談での僕の立場は、旭地区定住委員会委員長であり、敷島自治区定住促進部部長であり、移住者の先輩でもあり、地域で一次産業を営む小汚い、個人事業主木こりのおっさんでもある。

面談では、家主、自治区区長(今回は同じ町内だったので出席された)、町内会長。その次の立場だ。僕の意見は重視されているのが実感できる。自分が言った言葉の重みや、責任は十分に承知しているつもりだ。

それによって報酬もないし、自分の隣近所の話でもない(今回は隣の町内の面談)。それほど気合い入れなくてもいいよと言われるけど、気合いというより、「仕事=ライフワーク」と捉えている以上、つい頑張ってしまう。ある人から見ると、それがやりすぎだったり、出しゃばっているように見える。直接言ってくれればいくらでも対応するのに、陰で言われる。

まあ、陰口にいちいちネガティブ反応するほど子供ではないから、全ての因果応報は自分発であると理解し、全ては自分の撒いた種から起こる事なので、全ては自分の責任だと思う。

自分の身に起こる事は、良い事も悪い事も、神様と約束された事。

それでもやっぱり、人との関係性は疲れる。

しばらくの間、誰とも会わず、黙々と自分の仕事をするようなパターンが続いていたのに、急に人との関わりの中で動く毎日(地域面談だけじゃなくて、良い事もムカつく事もいろいろあった)になっていた。

今日は本当に久しぶりに何も約束の無い一日となった。これから先もしばらくはあまり人と会わずに済みそうだ。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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