10年前に書いた自分の記事が流れてきた。
歳月は、元来、長久なものであるが、気ぜわしい者が、自らせきたてて短くする。
天地は、元来、広大なものであるが、心根の卑しい者が、自ら狭くする。
四季は、元来のどかなものであるが、あくせくする者が、自ら煩わしいものとしている。
始まりと呼ばれるものは、しばしば終末であり、終止符を打つということは、新たな始まりである。
終着点は、出発点である。
人は大きな目的をもってこそ、おのずから大きくなる。
若い人には若い日の花があるのと同時に老いたる人には老人の日の花があるのだ。
60歳を過ぎたけど、老いへの恐怖って、実はほとんど無い。
自惚れかもしれないけど、未来は明るいし、俺はカッコイイ爺さんになってる(はず)。
そうなるためには、たった一つ。自らに課すことがあるんだ。
それは
「誰とも戦わないけれど、誰にも負けない」
ってこと。
全ては母なる地球のリズム。
何もかも欲しがるのはやめて、自分に正直になろうと考えている。
やりたいことはこの胸にしっかりと宿っている。やらなきゃならないことはハッキリしている。
やってはならぬこともわかっているつもりだ。
自分の立ち位置、役割も理解しているつもり。
大切なのは、誰かにどう見られているか?じゃなくて、自分がどうありたいか?頑固だが、楽天的に筋を通す。やせ我慢しても、決して下品にならず。
この歳でカッコつけても仕方ない。誰かの評価は、良い事も悪い事も受け流す。不愛想でも、礼儀正しく。
そろそろ終い方も考えなきゃいけないけど、こんな偏屈者の跡継ぎを見つけて育てるまで、まだまだ終わるわけにはいかない。
