今朝は寒かった。軽トラ荷台カバーも真っ白。まだ、窓は凍っていなかったけど、あと今年も一か月。
寒くて当然。タイヤはすでにスタッドレスに替えてあるけど、またこの季節がやってくる。
多分、命の源に触れるからなのだろう。
母なる大地と、父なる宇宙(そら)をつないでいるのが山の木々たちだ。
大地に根を張り、その恵みである水と養分を吸い上げ、宇宙(そら)に向かって枝葉を伸ばし、唯一地球外から入ってくる太陽光エネルギーを取り込み、反応し、蓄える。
その木々は、酸素を造り、落葉広葉樹なら毎年葉を落とし、寿命が来たときに、自らの身体を大地に預け、再び土を肥やす。その腐葉土だけが、本当の命の水を生み出す事ができる。
命の水は、山が造りだすのだ。僕たち人間が、どうあがいても命の水を造りだす装置はできない。悲しいけれど、人間にそのような能力は備わっていない。
命の水を守るには、山を守るしかなく、山を守るには、山を守る人を守るしかないのだ。
先人たちが植えてくれた木々だ。無駄にする訳にはいかない。
今は伐るしかない。
一旦人が手を入れた森は、人が手を入れ続けなければならない。
自然の摂理を無視して植えてしまった人間の愚かさ。
けれど、今はそれを議論している場合ではない。日本中で今すぐに間伐を待っている森は600万haあると言われる。だから、間伐する。
僕たちの世代は伐る世代なのだ。
森を大切に思い、未来へ想いを馳せるなら、そこにある「埋土種子」と伐った事によって入る太陽の光に委ねる事だ。その山の外から持ち込んだ種や苗を植えたら、それが広葉樹であろうと、人工林を作ることになる。
人が植えた木は、徹底的に管理、手入れをする。
実生で出た木は、徹底的に見守るだけ。
間伐したあと、その森はゆっくりと本来の姿に戻っていく。まあまあの状態になるのは恐らく、7~80年先だ。
僕が生きている間には結果を見ることはない。僕はそれをとっくに覚悟している。
それが山を守ることになるのだ。
金持ちになること、有名になることはとっくの昔に諦めた。
諦めたというより、そんなこと、どうでも良くなった。
もちろん、食ってゆくために木を伐り、挽き、炭をやく。それは「稼ぎ=ライスワーク」
本当にやりたい事「仕事=ライフワーク」は、
名も無き山守になりたい。
ただ水を守る人になりたい。
