僕の仕事

僕の仕事は「炭やき」「木こり」「木挽き」だ。
僕の木こり仕事は、個人で個人の山を請ける形。施業形態は「間伐」。施主の自主間伐を手伝うやり方。もちろん、施主にも伐ってもらう場合がある。3割とか4割とか、伐り置き間伐なら仕事はここまで。けれど、どんな細い木でも、曲がっている木でも、誰かがコツコツと植えた木々たち。山に置いてゆくのはもったいない。「いい柱になって、儲けさせてくれよ」と願いを込めて植えられた木々だ。
だから、できる限りその木々を搬出したい。出した木を市場へ出せば、運賃も出ない値になってしまう。だから出せないのは仕方ない。出した木で収支が成り立てば頑張って出す。ならば、陳腐な言い方だけど、「付加価値の高い商品にする」しかない。

経費や手間を考えれば、その商品を自分たちで造ってしまえばいいんじゃないか。で、スタートしたのが「木挽き(こびき)」

何でもかんでも間伐して挽けば売れるか?と言えば、安価で大量に作らなければ採算が合わない。それは目に見えている。

僕たちの伐採は、高性能林業機械などを導入できないから、一本一本木を見て、その木に触りながら、言葉をかけながら伐る。

その山に対する畏敬の念を持って仕事をしたいと願う僕にとって、木を伐る時期は大切な要素だ。それは「伐り旬」と呼ばれる期間。秋の彼岸から春の彼岸まで。父なる太陽と母なる地球の関係で、太陽が穏やかな期間だ。その期間、木はゆっくりと生きている。年輪の冬目が形成される期間だ。その間、木は水を上げる量が減る。挽いた材は乾燥させなければならない。だから、予め水分の少ない時期に伐りたい。水分が多くて、気温が高い時期は、虫が入って活発に動くから木が腐りやすい。

だから、伐り旬に伐る。そして、僕が拘る時期が「新月期」賛否両論あるのは充分に知っているつもりだ。新月期は生き物のバイオリズムが穏やかになる。木で言えば、でんぷんが少なくなる。だから、木が腐りにくい。細胞が大人しくしている期間だから、伐ったあと、割れたり反ったりしにくくなる。科学的、数値的に証明された訳ではないけど、僕の経験上からしても、新月期に伐った木は明らかに腐りにくい。これも太陽と地球と月の位置関係。宇宙の動きを感じながら木を伐るんだ。

伐った木は、4mとか、3mとか、その木が柱や板になった姿を想像しながら山で造材して、引っ張りやすくする。

僕たちはその造材作業をすぐにはしない。「葉枯らし」という方法で、木を初期乾燥させる。元を少し上にした状態で伐り、そのまま葉っぱをつけたまま林内に置く。ヒノキで1ヶ月、スギで3ヶ月以上の時間。伐られて形成層から水分を上げられなくなった木は当然乾いてゆく。葉っぱが付いていれば、光合成は行われるので、蒸散作用は続く。水分の供給は断たれているので、木はゆっくりと枯れて(乾燥して)ゆく。現代の林業では、これをやると効率が悪いので、伐ったらすぐに造材・搬出して製材し、その後で人工的に乾燥させる。いわゆる人乾材になる。いろいろな乾燥方法があるのだけど、熱を加えて乾燥させる人口乾燥材は明らかに死んでしまう。リグニンとか、木の主成分は80度くらいで蒸発すると言われている。熱を加えることで水分だけを追い出すのは、木の細胞を死滅させてしまうことになる。木の形はしているけど、樹ではない状態。

米だってそうだ。天日乾燥が美味い。木だって同じだと思う。だから、初期乾燥は葉枯らしして、挽いた後は天日乾燥に拘りたい。その手法は、時間は何倍もかかるけど、経費は少ない。僕はその浮いた分を山へ還元したいんだ。

挽き方にも拘る。高価な自動製材機だと、木の芯やクセを見ることもなく、規格の揃った材を生産する。増して、集成材はそうだ。

僕たちは、一本一本、芯を芯にして、丁寧に挽く。アテを取り、木を楽にさせてから、じっくりと木取りする。時間はかかるし、効率が悪い。けれど、それが僕たちのやり方。木は一本一本違う。僕たちは生き物を相手にしているんだ。クセも違うし、どの部材に適しているか、それも違う。僕はまだまだ未熟で、木口を見ただけで、理想的な木取りはできない。しかし、真面目にそこを目指したい。

旬の新月に伐った木は、腐りにくくてちゃんとしている。葉枯らしした木は、色目や冬目(年輪)が格段にキレイ。匂いもいいし、割れにくい。たとえ割れても、生の入った割れ方をするものだ。

僕の伐った木々が、誰かの「命の箱」に生まれ変わって、何十年とその人とその家族の暮らしを守り、育む。

それは全て、地球の恵みだ。僕はそれを届けるだけだ。

僕たちの暮らす山村は、川の水源地になる。水を生み出すのは山だ。全ての生き物の源が山なんだ。そして、その山は、
母なる地球そのものなんだ。

僕の望みは、名も無き「山守」「水守」です。田舎で生きてゆくのに最低限の稼ぎがあればよくて、名も無き山の懐に抱かれて眠り、静かな朝を迎え、丈夫な身体を使って働き、その仕事が誰かの役に立てればそれでいい。もちろん、人並みに欲はある。車も欲しいし、美味いものも食いたい。

僕の仕事は秋にスタートする。彼岸から彼岸の新月期に伐り、春まで葉枯らしし、春に挽き、夏に干す。一本の柱になるのに、早くて一年以上かかる。だから、儲からない。けれど、このやり方しかない。僕はこんな仕事しかできないけれど、この仕事は僕にしかできない(と思う)。

少なくとも、今の僕の方向は合っているし、こんなに貧乏でも充実していて幸せだと、それだけは胸張って言える。

これから先、僕の仕事はどうなってゆくのか、期待と不安でいっぱいだけど、仕事が増えすぎたらどうしよう?と、どうせ心配するなら、ポジティブなことを心配しようと思っています。

長い文章、読んでくださりありがとうございました。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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