見えないモノ

たまたま、カレンダーの一部がパソコンのモニターが邪魔で見えなかった。
僕はそれを見えないまま、見えないカレンダーの日にちを数えた。
僕の仕事は、見えないモノと対峙している。
木こり・・・その木がどんな木か、伐ってみないとわからない。単一樹種の人工林なら、樹齢は周りの木から想像がつく。 だけど、目(年輪の入り方)は伐ってみないとわからない。
炭やき・・・僕は「黒炭」をやいている。だから、窯の中は見えない。煙の出方、温度、匂い、味から窯の中を想像するしかないんだ。煙の状況と、その窯から出した炭の出来。その経験値を増やして、煙から中の炭を想像するしかない。窯を伏せて(密封して)、窯が冷めてから、中の炭を出してみた時に初めて、炭の良し悪しが見える。 だから、窯出ししてみないと、どんな炭がわからない。
木挽き(製材)・・・その木がどんな目か、挽いてみないとわからない。無節の無地材だと思って、面をつけるために少しずつ挽いてゆく。何回目かで節が出てくる可能性もある。また、目を切らないように挽いてるつもりでも、目が曲がっていれば、目切れしてしまう。目が真っ直ぐでなければ、挽いた後の柱は、目に沿って曲がってゆく。挽く前にある程度はわかるようになった。
けれど、挽いてみないと、どんな製品になるかわからない。

何でだろう?って考えてみたけど、結局生き物相手の仕事だ。相手にしているモノは、種類は同じ木でも、全て違う固体なんだ。違っていて当たり前。
難しい仕事だ。だから面白いんだと、前から思っていた。やってみなければわからないって、最高だ。
僕の残りの人生を捧げてもいい仕事だと思ってる。 まだまだ修行中。特に炭やきは難しい。75歳の師匠から、70歳でも小僧だと言われた。師匠でさえ、未だに満足したことは無いんだと言う。もちろん、僕もそうだ。毎回違う。同じ樹種を炭にしていても、毎回違う。それが面白い。 僕は、そんな簡単な仕事をしている訳じゃないんだ。
職人として、真髄を極めたいと思いつつ、師匠の教えを 守 破 離 してゆくんだ。それぞれ、明確な分岐点があるわけではなく、ある部分は「離」でもあるし、ある部分は死ぬまで「守」であるし、絶対に「破」をしない領域だってある。
生き物に対して、刃物を入れ、火を入れる。 たかが材料とは思っていない。命あるものを相手にしているんだ。山の恵みを頂いてる。
僕は 誰も見ていないところで「自在」をいとも簡単にやってのけてしまうような生き方をしたい。 だけど、やってみなければどんな人生になるかわからない。 行き当たりで生きているように見えて、実は経験値が増える度に、自信を持って対峙できるようになるんだ。
そして、それはいちいち人に言うことではなくて、自分の中で完結すればそれでいい。 それも「自在」だと思う。 「自由」は、お金があれば手に入るだろう。 「自在」は、自分の小さな成功体験の一つ一つが導くモノだと思うんだ。
誰かに評価してもらうことも大切だけど、もっと深く大きな意味が「自在」だと思うんだ。 自らを自らが存在させるための己との戦い。 誰よりも厳しく己を評価し、どこまでも深い自己愛で自分のやりたいことを貫き、自分のなりたい姿へ導く。
僕は大きな成功をしようとは思わない。もちろん、事業は失敗したくない。「稼ぎ」は必要だし、赤字では意味が無い。 けれど、それよりも小さな小さな成功を積み上げてゆきたい。「仕事」とは、そんなものだと思うんだ。

秋の夜長、稲刈り後の藁の匂いをかぎながら、十五夜の月を眺めながら、宇宙(そら)に想いを馳せながら、たわいも無く思い巡らせたこと。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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