昨日、伐採作業中に聞いた訃報。
僕の師匠の師匠であり、直接指導もしていただいた、杉浦銀治先生が先月亡くなられたと。90歳を過ぎた銀治先生も体調が思わしくないと伝え聞いていて、覚悟はしていた。
僕がまだSEだった頃、設楽の田峯へ炭やき修行に行っていた。それが師匠の斎藤和彦さんのところだ。
「三河炭やき塾」だ。その名誉会長が銀治先生だった。何度もお会いして、宮城へ車で行く時に、銀治先生のお宅へ迎えに行ったりした。
とてもとても大きな存在だった。細かい技術的なことよりも、もっと大きな思想を話して下さった。炭や木の事を皇室へ伝える役目も担っておられて、勲章も授与されていた。
たまに電話をもらって「杉野さーん。頑張ってるみたいだねえ。よかよか」と仰っていただいた。
達筆な手紙と共に、貴重な資料を送って下さったり、15年前に斎藤さんと僕で設計し、僕が現場を任された串原の日本一大きな炭窯。そのオープニングイベントにもメインの来賓で来て頂いてた。
今僕がここで山仕事をし、炭やきを生業としている事の、原点が銀治先生なんだ。
安城の出身で、矢作川を愛し、矢作川の上流に身を置いた僕を応援して下さった。ここに来た時、とても喜んで下さった。銀治先生が教えたたくさんの人の中でも、そこから生業とした人間は僕だけだと、銀治先生は優しく笑いながら話をして下さった。
一つの時代が終わった。ちょうど、僕が新しい窯を完成させたこのタイミングだった。もちろん、誰よりも見て欲しかったんだけど、ご高齢であること、コロナのことがあって実現しなかった。
覚悟はしていたけれど、とても悲しい事だ。
すぐに八王子へ行きたい気持ちもあるけれど、今はコロナの事もあって、ご迷惑だろうから我慢した。
窯を前に想うことは、銀治先生ほどの影響力は無いにしても、僕が次の世代へ「火の文化」を渡してゆかねばならぬと言う事だ。
あらためて、そんな事を心の奥深くで覚悟した。