全ての源である、父なる太陽が、僕たちを一年で最も長い時間照らしてくれる日。太陽は、どんな神よりも崇高な、厳かな存在だと思う。
体調は少しずつ回復してきているけれど、まだ本調子では無い。今日は掃除したり、データを整理したり、思う事を書き留めてみたり。
夕方になり、隣のお宮さんに行く。当然、誰もいない。1時間以上居たけど、車も通らない。夏至の太陽を独り占めだ。
夏至の日、お宮さんから見ると太陽は、亡くなった鋼二さんのヒノキ山の上にある。そして、ヒノキ林の中にゆっくりと沈んでゆくように見えるんだ。
何度も書いているけれど、あれは「日が沈む」んじゃない。母なる地球が堂々と回転しているそのスピードだ。40億年以上変わらず、同じスピードで自転し、公転している母なる地球。それを大きな中心で光輝きながら照らしている、父なる太陽。その様(さま)を想像してみる。宇宙に浮かんだ太陽、照らされる地球。
僕は無宗教だけど、古くネイティブアメリカンに伝わる、「父なる太陽、母なる地球」を深くココロに刻んである。
山仕事を生業とし、伐った木々を使わせてもらう。それこそ、太陽と地球が存在していなければ成り立たない。僕たち生き物が存在している事の、全ての源。
毎年、夏至は特別な日。そして、毎年同じ場所で眺められる幸せ。座っているのは、今年の春修復した框。僕が小原で伐り、運び、挽いたヒノキだ。
僕が暮らす集落では、毎年夏至の日に「中祓い」と言って、酒とつまみを持ち寄って、太陽に感謝する小さな集まりがあった。コロナ以降行っていない。
だから、この数年この特別な日は独りでお宮さんに来て、心ゆくまで太陽を眺める事にしている。
最近、良くない事が続いているけれど、夏至の太陽は確実に僕にチカラをくれた。今すぐ、木こり仕事ができるくらいに内なるチカラが沸き上がってくるのがわかった。もちろん、まだまだ大人しくしますよ。
太陽と、地球と、お宮さんの祠と、山の神に静かに一礼をした。
