複雑な思い

今日知ったニュース。
10代から大好きだった小泉今日子さんが「森づくり」活動をしていると。
東北で、その地で育った落葉広葉樹のドングリを集めて、苗木にして植えるんだと。

それは、自然を守る事にはならないんだよ。
広葉樹の人工林を作るって事。愚かな自惚れ。
僕の大嫌いな環境活動家、市民活動家たちは「森を守る」「木々と共存する」なんて、自惚れた話をする。
僕も山を所有している。固定資産税を払っている。その山をどうするか?それは僕のグランドデザイン次第。他人からとやかく言われる筋合いはない。
そこを間伐して、スギやヒノキを植えて、林業を成り立たせようと思えばそうする。
自然を守りたいと思えば、間伐してそのまま見守る。
人が植えた木は、人が徹底的に管理して、手入れする。
人が植えていない木(実生で芽を出した木)は、徹底的に見守るんだ。

人工林問題については、僕はその真っ只中にいて、木こりとして木を伐る事で、自分なりにプロとして動いている。
僕の嫌いな活動家が言う「間伐材の有効利用」。。。反吐が出る言葉だ。
50年以上前、孫のためにと植えたスギ・ヒノキ。今ではそれが金銭的な価値を生まない。その思いが籠った生き物である木々を、机上で能書き垂れてるような奴らがもてあそぶ。まるで正義の味方みたいな顔をして、いかにも問題意識を持っているように、真剣(なふり)な表情で語る。所有者たちの気持ちや、実際の経費、これからの見通し、それらに蓋をして、今自分たちの評価を上げるためだけに、きれいごとを並べる。

「間伐材」という材はありません。

山にある木々は全て「木材」。目の詰み方、太さ、曲がりの少なさなどで、木材としての等級は変わる。つまり、売値が変わる。A材からD材までランク付けされて、市場では買い方が値を付ける。僕たちはその金額が直接収入になる。

木の等級の中に、「間伐材」なんて無い。おそらく、細くて曲がった材を言うんだろう。

僕は木こりだから、「間伐」を仕事で請ける。間伐補助金の申請、搬出補助金の申請などもあるから、細かく選木する。その時、「伐採する木」を選んでるんじゃなくて、「将来残したい木」を選び、その将来木が育つのに支障になる木を伐る(間伐する)。間伐とは、施業の種類だ。僕たちが山で伐り、出した木は「木材」なんだ。
そして、搬出して製材する。出せない山の仕事は請けない。

僕が「間伐」を請けると、山主さんと山を歩いて選木(残す木を決める)する。補助金申請の間伐率を考えながら。そして見積書を提出する。
僕の選木は、まずその森で一番大きな木を見つける。この木はマザーツリーだから当然残す。そして、二番目に大きな木は伐採対象になる。元で70cm級になる事が多い。
これを搬出して、市場に並べた時、誰も「間伐材」とは思わない。
そもそも「間伐」という施業は、約1間(1.8m)間隔で植えられたスギ・ヒノキは、1町歩で3000本になる。僕たちが本数管理をする時の指針で「相対幹距比を20に近づける」があって、簡単に言うと樹高の2割、樹幹距離を取る施業という事。
樹高が20m(このあたりのスギ・ヒノキの平均的な樹高よりも少し低い)の場合、樹幹距離は4mが理想。という事は、樹高が18mを超えた時点で、1町歩3000本植えた木を半分に減らす事になる。
「間伐」をする意味は、樹幹距離を取る事で、光が林床まで届き、風が通り、下草が生えてきて、土壌を守る。
つまり、細くて生枝葉の少ない木を伐るより、大きくて葉が茂った木を伐る方が間伐の効果は高いんだ。出して「木材」から「材木」に替えれば、山主さんにお金を払える。マザーツリーを伐らないのは、山の神に対する礼儀みたいなもの。

小奇麗な格好をした活動家たちにはわからない、現場の真理です。

そして、僕が最も大切だと思っている思想。それが、人工林は手入れして、天然林は見守るという考え。一般に森の一生は800年で極相に達し、それを繰り返す。少なくとも、一人の人生では最初から最後まで見られない。

人工林になる前(僕たちの爺さんが若いころ)、この国の森はそれぞれの気候風土に合った植生で、何百年、何千年、粛々と営みが続いていた。それを伐り、人工林にしてしまった。これについては、国の方針、爺さんたちの子孫への思い、戦争の後の復興、いろんな事が重なって、その当時では正義だったんだ。

その時の森林は、この辺だと落葉広葉樹(コナラなど)か落葉照葉樹(樫など)がそれぞれの枝葉を上下左右に伸ばし、太陽の光を受けて成長していた。秋になると、紅葉して水を上げる量を制限し、葉を落として太陽光の少ない冬に備える。実を落として、次の世代へ繋ぎつつ、森の動物たちの糧を作ってきた。
その時に林床に落ちた実は、土に埋まった状態で光が入るのを待つ。これを「埋土種子」という。ニンゲンが伐った広葉樹たちの「埋土種子」は芽を出す前に、人工林にされた土の中で光を待っている。数十年でも光を待つ「埋土種子」この実たちは、その地で脈々と生きてきた樹種だ。

つまり、間伐して光を入れてあげれば、「埋土種子」が実生で芽を出して、育つ。
その幼樹たちが大きくなるのに、数十年かかる。
だから、僕たち木こりは、自分の仕事の、本当の成果を見る事は無い。だけど、結果は知っている。母なる地球に任せれば、僕たちが死んだ後、ちゃんと本来の姿に戻してくれる。

大好きなきょんきょんが、いくらその土地にあったとは言え、ドングリから育てた苗をまた植えるという、ニンゲンたちの自分勝手な自己満足を良い事として信じているのが、とても悲しい。

もう一度言う。

人が植えてしまった林は、徹底的に手入れをする

天然の森は、徹底的に見守る。

里山から萌芽更新を促すような方法で、山の恵を摂りすぎない範囲で頂く。

ニンゲンの能力を過大評価してはいけない。消費する事しかできない、愚かな種なのだから。

投稿者: 炭やき人

北三河木こり人、北三河炭やき人、北三河木挽き人

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