私の仕事

いくら浄化に贅を尽くしても、

 私たちは山が水を生むようには

 美しい水を生むことはできない

 とどのつまり、水を守るには山を守るしかない。

 そして、その山を守るには、

 山を守る人を守るしかない

 我が師匠、斎藤和彦の小屋に貼ってあった言葉より

僕の仕事(間伐)は、その結果を自分の目で見ることはありません。仕事の成果は、30年~40年後にしか現れないのです。

まだ見ぬ子孫に、当たり前の地球を残すことが僕たちの使命です。

一旦、人が植えた森林は、人が手を入れ続けるしかありません。それが間伐です。

間伐することで、林内に光を入れます。後は母なる地球に委ねます。地球環境を守りたいのなら、伐ったら見守るだけです。

人間が痛めつけた環境は、地球自身の自己再生能力で再生するしかないのです。

人間にはこの星を元に戻す能力などありません。治し方も知らないまま、壊し続けてしまったのですから。

たった百年の愚行は、この先何百年もかけて償っていかなければならない。

能力も資産も何も無い僕ができること。それは

「炭やきを通して、火の文化を守る」こと、

「山を手入れして水を守る」こと、

「間伐した木を挽き、「命の箱」を造り、きちんと使うこと」。

たったそれだけ。

僕が誇りを持って取り組む仕事です。

秋の気配

明日の契約打合せ(ちょっと大きな伐採仕事)に向けて資料を作っていて、久しぶりに日付が変わるまで起きている。

資料もでき、印刷を済ませてから外へ出てみた。

ひんやりとした空気。少しだけ、秋の気配だ。そう言えば今日の昼間、ツクツクボウシが鳴いていた。

僕が季節の巡りを感じるのは、やっぱり星空だ。

つい、先日のこの時間には夏の大三角が真上で、天の川が続く西の山には赤きアンタレス。北西にはまだアークトゥルスやスピカが輝いていた。春の大曲線だ。

今夜、この時間。北斗七星は沈み、カシオペアが昇ってきて、山の稜線にはペガサスの四辺形。秋の四辺形とも言われる。明け方にはオリオンも見えるだろう。

カシオペアとペガサスの四辺形の間には、アンドロメダ大星雲が肉眼で見える。すぐ下には土星。もうすぐ、木星も見えてくるはずだ。

宇宙(そら)は秋に変わっていた。

もう8月。稲もそろそろ穂を付ける時期。

戯言

今は植えるより、伐って使う時。戦後の拡大造林施策でほぼ無計画に植えてしまったスギやヒノキを伐って使わなければ、本来植える場所も作れない。

植林や植樹が「良いこと」としてまかり通ってる。

山は一つの生命体なんだ。人間が、そこに植樹をすることは、山に対する遺伝子操作である。

ただし、山には所有者がある。僕も山を所有している。

固定資産税を払っている地主が、その山をどうしようが、基本的には自由だ(保安林に指定されていない限り)。

だから、その山の30年後、80年後のグランドデザインを決めた上で、林業を営みたいのなら、無花粉のスギを植えるのも(僕は無花粉のスギは本来の強さが無いと思うから植えないけど)、一つの手段だ。

環境にいい山にしたいのなら、間伐したら放っておく。光と風を入れたら、あとは大地が何とかしてくれる。その山に残っている埋土種子が実生で発芽する。少なくとも、人間が植えなくても、そこに合った樹種が活動を始める。間伐してから何年も後に。ひょっとしたら、間伐してから何十年も後かもしれない。本当に環境に良い木が好むのは、湿っていて暗い環境だから、そこまで森が変化するのを待つということだ。

林業(間伐)は、結果が出るのが何十年も後だ。だから、施業した人間は、自分の仕事の結果を自分の目で見ることは無い。それが、環境を良くするための林業なんだ。

天然の森に、子供のためなどと戯言を唄いながら、広葉樹を植林している輩がいる。彼らは、また人工林を作りたいのだ。愚かな繰り返しに気づかず、俺が植えて育てているんだと威張りたいんだろう。自分たちが植えて、ある程度育った木を見てヘラヘラと喜ぶ。僕はそれを見て、バカがと唾を吐く。

僕が学んだ森林に対する姿勢とは、

人工林(人が植えた森)は、徹底的に人が手入れをする(伐るにしろ、植えるにしろ)。

天然林は、徹底的に見守る。地面に落ちた種から、実生で発芽して育つのを、ただただ見守る。決して、人間が手を加えない。それが自然を守るという行為だ。発芽して、それが枯れようとも、手を出さない。

そうやって、水源地の森を守るということなんじゃないか。

偏屈な木こりの戯言(ざれごと)と聞き流してもらえばいいけれど、こんなことを考えながら木を伐り、炭をやき、木を挽く田舎者が居ることを知ってて欲しい。

木こりとして

木の命を、人間の都合で奪ってしまうという行為。山に対し、木に対し、畏敬と尊厳を感じつつ、事情があって伐ると決めたら、こちらの都合で寝てもらう。

僕がコントロールして僕の搬出の段取りに合わせて、都合のいい場所に寝てもらうんです。

畏敬の念を持ちつつ、重力に逆らってコントロールするのが木こりです。気合入れて対峙しないと、本当に命を取られます。木を倒すって、チェンソーで木の重心を変えながら、力学的に木の先端にモーメントを与えて、道具で引っ張ったり、矢やジャッキで起こしたりします。

でも、最後は祈ります。木が倒れ始めたら、何をしても間に合わない。退避するだけです。母なる地球に引っ張られて、倒れてゆきます。その木の最期に立ち会うのが木こり。だからこそ、それをちゃんと使わせてもらうって、感謝の気持ちが無いといけないと思うんです。

優しい時間

折った樫の黒炭を並べて、時計を仕込みました。
昔からの同志である隼平君が言った。「時間を封じた素材でこれからを刻む至福」。
炭の原木は工場から6分の太田という集落の樫だ。40年生くらい。
ドングリから芽を出し、父なる太陽の恵みで光合成をくり返し、母なる地球である山の水と養分を吸い、育ってきた里山の樫だ。
その樫が生きてきた時間分の炭素を蓄えた幹から作った炭だ。
クラウドファンディングで支援してもらったお金を使って作った、ディメンションは昔ながらの比率、資材は耐火レンガに耐火セメントの窯で、職人が魂込めてやいた炭です。キッチリ高温炭化させているので、折った断面が金属のような光沢を放つんだ。
枠や裏板は、タチキカラの工場で挽いて、プレーナ仕上げして、丁寧に組んだ。ムーブメント以外は全て、タチキカラの工場で作った。
使っている板は、東栄町から伐り出して、天然乾燥して、タチキカラ工場で挽いて、プレーナ仕上げした。
時を刻むモノって、まるで生き物のようで、過去と現在と未来を繋いでるような存在だと思うんだ。
販売します。サイズはオーダーがあってから相談して作ります。
手間暇がかかるので、値段は一つ3万円~になります。



僕は・・・・

僕は、名も無き山守、炭やきでいたい。

だから、ひたむきに山に入り、愚直な仕事を繰り返し、質素な生活を続けるんだ。世間は変化し続けるだろうけれど、僕の仕事は変わらない。変える必要もない。それが僕のやり方であり、僕の答だ。

僕がやろうとしていることは、僕が新しく開発した技術でもなく、閃いたアイディアでもない。インターネットで仕入れた上辺の知識でもない。

先輩から直接伝え聞き、自分の五感で確かめたこと。古来、日本人が培ってきた方法であり、技術であり、それはまさしく文化そのものなんだ。山の恵みを頂き、それを大切に使う。ただ、それだけ。それ以上でも、それ以下でもない。

僕は、誰とも闘わない。でも、誰にも負けない。

母なる大地が僕を生かしてくれる。父なる宇宙(そら)が見守ってくれている。

山の時間に逆らわないよう、丁寧に仕事をする。

僕が新月と葉枯らしに拘り、伐り出した木々が、僕が魂込めてやいた炭が、誰かの小さな喜びになって、それが僕の糧になれば、それだけでいいんだ。

これが本業

工場も寒くて、火鉢に炭火を熾している。

休憩の時、手あぶりしながら、ウッドガスストーブで沸かしたお湯で淹れた、暖かいコーヒーを飲む。

20年やってきて、やっとこの炭が常にやけるようになったんだ。

中心まで同じトーンのオレンジ色。

この木(樫)が数十年間、毎日光合成を繰り返し、その結果幹に蓄えられた炭素を、炭化という熱分解で炭素の塊にしたものが「炭」だから、それを熾して燃やすという事は、炭素と酸素が酸化燃焼している様。

つまり、このオレンジ色は、太陽光エネルギーそのものということ。

父なる太陽の恵みを、蓄える事ができるのは植物だけ。

その恵みを炎という形で頂くことが、炭火を熾すということです。

修行中、師匠のやいた炭がこんな感じでオレンジ色に光ってた。炎も煙も出さず、ただただ、心地よい熱を放ち、静かに灰になってゆく炭。

それをようやく、意のままに作る事ができるようになりました。

自分で打った(構築した)窯で

自分で伐り出した樫の木で

僕はこの仕事(炭やき)しかできないけれど

この仕事は僕にしかできない。



旧暦の正月です

今日は旧暦の正月だ。つまり、立春前、最初の新月。

24節気と旧暦を意識しながら暮らしていると、母なる地球と父なる太陽と月の巡りと、自分の身体と心をシンクロする事になる。

そんな旧暦正月も独り、工場で黙々と働く。

次の窯の原木を割り、プレーナの電源線を短く加工した。炭窯の前には、朝からずっと火鉢で炭を熾してある。これで沸かしたお湯で淹れるコーヒーは美味い。

仕事がある喜びと、寒いけど、身体を動かしている事で気持ちも軽くなるこの感覚。

僕は幸せ者だ。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

還暦を過ぎて、身体は衰えて、老化してゆくんだけど、まだまだ夢というか、見えぬ未来にワクワクしている。やりたいことは山ほどある。

目指すのは、頑固で楽天的なジジイ。

市井の職人として、特に目立たず、承認欲求は人並みにあるけど、人からの評価にはできるだけ背を向け、自分のしたいことを続けてゆきたい。毎日消えゆくモノを大切にしたい。見えないモノを愛おしみたい。

「世直し」とか、「誰かのため」とか、「世界平和」だとか、「業界の発展」とか、そんな大それたことは目標にはしてなくて、自分がしたいことをする。「稼ぎ」も「仕事」も。

結果的に、誰かが喜び、誰かの役に立つのなら、それがいい。

大きな事を成し遂げるより、目の前の小さな仕事を一つずつ完成させる。それが僕の「分」だと思うんだ。

「生きることが仕事」になれるように自らの環境を整えたい。

自分が大切に思う人が穏やかな毎日を送る事。

「老い」と「死」は毎日確実に近づいてくる。

そこから目を背けず、動きながら考える事。

そして、毎回想うことは「誰とも戦わないけど、誰にも負けない」という事。

誰かと比較して、自慢することなんて何も無いけど、悲観することも何一つ無いんだ。

今自分が持っているモノで仕事を組み立ててゆく事が僕のやり方。「野生の思考」を実践したい。

今年も伐採から製炭、製材までを天職ととらえて進みます。

何でも自分でやりたがる、やっかいな性格だ。何でもやるということは、一つ一つの仕事が中途半端でもあること、次の工程も自分なので、甘くなる事。

それは自覚した上で、「俺はこの仕事しかできないけど、この仕事は俺にしかできない」と、そこは自信持って言える。

と、毎年同じ事を思い、同じような行動をしてる。進歩が無いのは、ブレていないこと。

今年も大丈夫だ。応援よろしくお願いいたします。

冬至

今日は冬至だ。

毎年、同じような事を書いているけれど、僕にとって、母なる地球と父なる太陽の位置関係は、絶対的であり、普遍的であり、全ての源であると考えるからだ。

今日を境に、言ってみれば、陰から陽に転ずる。

明日からは太陽エネルギーがプラスに転じる。

夏至までの半年、父なる太陽は少しずつだけど、降り注ぐ光を増やしてゆく。この地球に、外から入ってくるエネルギーは太陽の光だけなんだそうだ。後のモノは、全てこの星で輪廻転生しているだけ。人工物も、ケミカルなモノも、元を辿れば、大地の恵みだ。

一番遠いからこそ、父なる太陽に感謝したくなる(夏至の日は、一番近いからこそ、感謝したくなる)。

僕の生業は、木に関する事だから、僕の仕事は全てが、光合成に起因して生まれるんだ。

考えてみれば、何て神秘的な営みなんだろう。

木々も、山も、水も・・・「火」「風」「土」「水」の4つの神に対し、あらためて畏敬の念を持って、向き合いたいと思う。

今日は朝から雨だった。これだけ気温が低いけど、雪にはなっていない。夕方、西の空が明るく見えて、大急ぎで山の上まで行き、冬至の太陽光を撮った。

素直に、感謝の気持ちを捧げながら。