「仕事」

家から30分ちょっとの現場を下見してきた。
施主が育った田舎の先祖から引き継いだ山だ。
実家をリフォームして、そこで飲食系の仕事をしたいと言われる。
せっかく山があるのだから、その木を使いたいという意向で、巡り巡って、僕のところにその人はやってきた。
まだリフォームプランを設計している途中なので、木拾いができておらず、どれくらいの材木が必要になるのか不明な段階。
それでも、まず山を見てから話を進めたかったので、月曜日に行ってきた。地元の大工さんも一緒に。
典型的な人工林。スギが多いけど、ヒノキもある。大体、数反の山が実家周りに点在していた。大工さんから、柱材で50本という大まかな数量を聞いたので、それなら大丈夫と答えておいた。
施主にはまず最初に、大工さん手配で材木を買った方が断然安いと伝えた。それでも、気持ちとしては「先祖の大切な木を使いたい」と言われる。あとは、木拾いが終わった時点で、見積もりを出して、金額的にOKになるかどうか。土台も一部傷んでいるし、柱も継ぐ箇所がある。梁や桁は替えなくてもいいだろう。
仕事を請けるとしたら、今年の秋の伐り旬、新月期。葉枯らしして、搬出して、工場に運んで大きく挽いて、桟積みして天然乾燥。
大工さんは、今時そこまで一人でやる山師が居るのか?と驚いていた。
だけど、僕にしてみれば普通の仕事なんだ。当たり前の事なんだけどな。
「俺はこんな仕事しかできない。けれど、この仕事は俺にしかできない」と、密かに宿している身としては、請けられたらホントに嬉しい仕事だ。
とりあえず、木拾い表を待ちます。

木に対する考察

人間は、山に対してもっと謙虚になる必要がある。木は移動して逃げることができない。そこに居続けて、自分に降りかかる問題に黙って立ち向かうだけ。

 僕の師匠は大きな木のような人だった。「木は偉いぞん」が 口癖だった。一旦根を降ろしたら、とことん、そこで生き続ける。何十年も。何百年も。僕もそんな「木のような人」になりたいんだ。

この動画はパタゴニアが作ってるから、それを前提で観てみる。

「木は会話する」のスーザン・シマードさんが出演されている。愚直な観察と深い考察。明瞭な解説。冒頭からドライでアカデミックな話に引き込まれる。途中、日本人の残念なコメントに少々ガッカリしながら。

僕は木を擬人化して、「木はあなたを嫌いとは言わないから」などとは言いたくない。木や山は、そんな存在ではないと思う。もっともっと崇高で、人間なんか比べることもできないくらいの存在だと思う。同列に並べるなんて、おこがましい。

木に対して強い畏敬の念を持ちつつ、僕は木こりなので、木を伐る。

スギやヒノキ(人工林)は、畑に植えられた農作物と同じで地権者があって、植栽し、育て、収穫、収入になる(僕の場合、自分の山で伐るより、依頼されて伐採、搬出、製材が収入となる)。人工林だって、自然の一部だし、生き物である事に変わりはない。

樫やナラは天然林。ドングリ系はいいタイミングで伐れば萌芽更新して、その命を絶つ事は無いけど、僕が関わる多くの場合は萌芽更新できる樹齢を超えてしまっている。炭にするために、工場にできるだけ枝先まで持ち帰る。特に広葉樹(ほぼ天然実生)は、針葉樹よりも自由に枝を伸ばしたり、自らを捻ったりしていて、重心が掴みにくく、木も固くて伐採は難しいし、危険だ。伐られまいとするチカラが明らかに大きい。針葉樹も、広葉樹も、大地に根を張り、枝葉を伸ばしている。それを伐採するには、力学的な視点と、自分がイメージしたとうりに木が倒れるように導くスキルが必要。

もちろん、安全面には最大限配慮する。僕は必ず、山の神に挨拶してから刃を入れる。木には痛点も無いし、思考する事も無いと言われている。脳では無く、DNAが本能で動かしているのが、スーザン・シマードさんの言葉からもわかる。

伐採するとき、最後は技術ではなく、祈りに近い心境。準備し、やると決めたら躊躇なく、平常心でチェンソーを入れる。ある瞬間、力学的に倒れる方向にモーメントが効いた後、木は観念したように、母なる大地の重力に引かれて倒れてゆく。倒れ始めた木は、人間の力や道具ではもう、どうしようもない。それぞれの木が、僕にその後(木そのものの使い方はもちろん、その山の環境まで)を委ねてくれていると思っている。

山や木を、自分よりも崇高な存在としながら、それらを伐採して生きながらえている(命の危険を感じながら)自分。

この矛盾にはいまだ、明確な答えは出ていないけれど、木の方が崇高な存在である事は間違いなく、わが身を差し出して僕たちを生かしてくれている存在なんだろうなと思っている。多分、肉や野菜を食わなければ生きられない種である「人」が、「いただきます」と食べ物に感謝しながら食う事に近いんじゃないかな。

僕は原生林のガイドもするけど、毎回楽しみにしていたミズナラがあった。僕はそのミズナラに会いに行ってたんだけど、そのミズナラは僕のことなんて相手にもしていないんだ。圧倒的な片思い。絶対的に届かない距離。それは人間が木と付き合う前提だと思う。

森を造るだとか、森を再生する、山を管理するなんて、そもそも無理なんだ。それは神の領域なんだ。人が植えた木を、人が伐って利用するくらいしかできない。あと、多少の天然木を頂く。その他の植物は、人間のためにあるのでは無い。

僕が所有する(固定資産税を払っている)足助の山(2町歩)も約50年前に植林されたスギとヒノキの人工林。急な斜面に岩場だらけ。ここでも木は会話しているのだ。

僕の山も、設楽町の原生林も、この動画に出てきたブリティッシュコロンビアの森も、全部同じだ。山には神が棲む。どんな小さな山の頂にも、神は棲む。そして僕たちを見守っている。

この動画は、そんなことを考えさせてくれた。特に、20分過ぎのスーザンの言葉は深く染みる。映画アバターでも描かれていたような、大地そのものが叡智であるということ。

毎日山の懐で暮らす僕だけど、もう一度、もっと静かに、深く山と対峙しようと思ったのです。

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山を守るには・・・

いくら浄化に贅を尽くしても

私たちは山が水を生むようには美しい水を生むことはできない

 とどのつまり、水を守るには山を守るしかない

 そして、その山を守るには、山を守る人を守るしかない

もう、20年くらい前です。師匠の小屋にある日、掲げられた言葉です。師匠は、これを僕に読ませたかったのでしょう。

師匠は黙って、僕に道を示してくれたんだ。

しかし、具体的な教えはありませんでした。自分のことは自分でやれと。

師匠は熱い人でした。本物でした。

僕の行動や言葉の中心には、この言葉がガッチリと根付いています。

炭やき、木こり、そして木挽き。全てがここに向かう仕事だと、それはもう信念みたいなモノで、

何で山仕事を選んだのですか?と聞かれたときの僕の答えがこれです。おこがましいけれど、命の水を守りたい。

あの日、原生林の真ん中で、僕が魂に宿した、小さいけど、熱い炎です。僕が死ぬまで細々と灯し続けてゆく、決して消えない炎です。

望み

続けて伐採の見積もり依頼が来ている。先週の仕事もそうだけど、自治区でお世話になっている人からの紹介もある。先輩方から、そんな声を掛けてもらうことは、この上ない幸せだ。もちろん、断る仕事だってある。金額が合わなくて、断念する現場もある。

僕の目標は、金持ちになることや、有名になることからは縁を切り、山の神の懐に 抱かれているのを感じながら静かに暮らしてゆくこと。

僕の望みは、形あるものに執着せず、毎日消えてゆくものを大切にするような生き方がしたい。ということ。

孤高を貫き、たった独りでも、抗うべき相手には抗うこと。

誰かに勝っただの、負けただのの、つまらない争いからは身を引いて、地べたを這いずり回ってでも、己の美学を貫きたい。できる事なら、好きな人とだけ関わってゆきたい。

名も無き山の水源地の湧き水を守るために、身体を張るような、そんな生き方に憧れる。

親友岳ちゃんが描いてくれたこの看板。これをひっそりと掲げて、強さからのみ、生まれるような優しい暮らしができるように頑張ろうと思う。

片思い

寒いなあと思って、外に出てみたら、目の前にオリオン。毎年同じ日、同じ時間に、必ずそこにいてくれる安心感。

僕は星を眺めて喜んでいるけど、向こうは何とも思っていない。僕にとって、宇宙が無かったら生きていないくらいの存在なのに、宇宙にとっては地球の存在すら、無くてもかまわない。

圧倒的な片思い。これは、例えば原生林の樹齢500年のブナやミズナラに対して感じる事と同じだ。

僕は山暮らしで、毎日星を数え、毎日山河の存在を間近に感じていて、それがどんな事よりも幸せなんだけど、それもやっぱり圧倒的な片思い。いつも寂しさを感じている。

でもこれでいい。それが宇宙の真理だから。

ところで、気温は氷点下だ。軽トラの窓が凍っている。

この数週間、冬のダイアモンドの中に木星、外に火星。そして、火星の位置がかに座あたりで、プレセベ星団が肉眼では見えなくなっている。真上から西を見ると、アンドロメダ大星雲が肉眼でぼんやり見える。

遠くの街路灯の下を、鹿のメスが3頭ゆっくりと歩いている。

自分を含めて、全てが大自然の営みであり、どれ一つも欠けてはいけない。

年末になり、周りが慌ただしくなる。来年度の自治区役を決める時期になった。村のお役も決めなければ。

個人事業主で自分の段取りで動いている毎日だけど、組織の人間関係を強く意識させられる。この時期は気が重い。

膝の痛みはゆっくりと治ってきているけど、油断すると痛みで思考が止まる。

大宇宙にぽっかりと浮かんで、堂々と回る地球と、その表面の山河の巡り、重力で張り付いているちっぽけな自分。

ニンゲンなんかよりもずっと崇高な木々の存在。まるで宇宙そのものだと思う。

その木を伐り、命を絶つ事が僕の仕事だ。だからこそ、命を奪った木こりとして、ちゃんと使おうと思っている。

木も、大地も、地球も、宇宙も、喧嘩して勝てる相手じゃない。勝てない相手とわかっていても、食うために木を伐る。

追い口を入れて、矢を打ち込むと、ある瞬間に木は観念したように倒れ始める。理系の目から見ると、木の先端に慣性モーメントを与えて、自重で倒れるように仕向けるという事だ。

山仕事とは、重力との闘いだ。重力には絶対に逆らえない。

いまだに重力について、全てが解明されている訳では無く、重力だけが、時空を超えられると考えられているけど。

重心と違う方向に倒す場合でも、最後は重力に引かれて、木は倒れてゆく。元直径80cm、樹高30mの大きなスギでも、指くらいの太さの灌木でも同じだ。

最後は地球に引っ張られてゆく。その木が生きてきた時間をその一瞬で使い果たすようなエネルギー。下敷きになれば即死してしまうほどの衝撃。

絶対に勝てない相手に向い、コントロールできないくらいのエネルギーを手元に感じながら、仕事を進める。

こちらも真剣に対峙していると、ある一瞬、木が自分から大地に寝てくれるような感覚になる。これは、決しておごり高ぶってはいけないと教えられているような一瞬。ニンゲンなんかにはコントロールできない領域。地響きと共に倒れる木を目の前で見送る。そこには達成感や充実感よりも、プロとして、収穫をするという行為を淡々と続けるという気持ちだけ。遊び半分でやっている訳ではない。そこに真剣さが無いと命の危険が手の届くところにあるから。

かと言って、仕事に命を賭けるなんて愚かな事はしない。最も大切なのは、無事に一日を終える事だから。

膝や腰の痛み、身体中痛いところばかり。

それでも、仕事がある事に感謝して、とにかくいい仕事をしようと思う。

僕が大学生の頃から目指している、「頑固だが、楽天的なジジイ」になるにはまだまだ。

偏屈なおっさんの戯言

今日は新月。そして、晴れている。

星がキレイだ。見上げると冬のダイアモンド。内側に木星、外側に火星。火星の位置に実は、僕の一番好きなプレセベ星団があるんだけど、火星が明るすぎて見えない。

この数日、ネットフリックスで「インターステラ」を何回も見ている。大学の時に習った「相対性理論」「ブレーンワールド仮説」「空間の歪み」とか、思い出しながら夢中で観た。相当面白い映画だ。物理的な理論に基づいた、映画としても素晴らしいエンターテインメントだと思う。

「相対性」という言葉を聞くたび、相反する「絶対性」を思い浮かべる。僕個人は間違いなく「絶対性」とか「絶対評価」を求める。つまり、誰かと自分を比べて評価する「相対性」ではなく、自分自身で高めに設定した目標をクリアできるかどうか?の「絶対性」を自己評価の基準にしていたいと思うから。

そうは言っても、僕の周りの時の流れと、絶えず僕を引っ張る重力、人々との関係性の中でもがいている姿は、まさしく「相対性」なんだなあ。結局、この世は「相対性」からは逃げられない。ということか。

インターステラはそんな事を考えさせてくれた。そして、映画のテーマは結局、「愛」だった。そうか。やっぱり「愛」なんだなあ。「愛」は時空も超えて、重力もコントロールしてしまう。つまり、「愛」は時間を超越するのだ。

親たちは、子の想いの中で生き続ける。

そんな事を山村の洞から宇宙(そら)を眺めながら思うのであった。

ところで現場で痛めた膝はまだ痛く、昨日は一日、なるべく動かないようにしていた。この前矢を打ち込んだ時に破れてしまったカンブチの刃沓を編んだり、刃物を研いだり。

ずっと流していたのは、クラプトン。

この偏屈な還暦過ぎのおっさんは、いろんな事を考えてみても、結局は「愛」が一番大切なんだと、しみじみ思うのである。

昨夜の「仕事=ライフワーク」

昨日夜は自治区定住促進部主催の「移住者交流会」だった。僕が言い出しっぺであり、数年前からやりたかった会だ。定住促進部として、自治区内の移住者さんたちの現状を正確に把握していなかったので、何世帯の移住者家族がいるのかを、各町内の部員に調べてもらい、アンケートと出欠を回収。まずは足元をしっかりと確認したいので、移住者さんたちに集まってもらい、交流を深めたいという主旨。昨夜の主役は移住者さんたちだけど、幸せに暮らす移住者さんの姿を通して、その人たちが住む集落の人たちにも光を当てたい。それが真の目的なんだ。

約300世帯の自治区で、移住者は47世帯だ。約15%が移住者という自治区。少子高齢化に対しては、まだ増やす必要があり、その大事なミッションを担うのが僕たち定住促進部だ。

会場はしきしまの家。夕方から開催なので、成本さんに頼んで、参加者と部員たちの分の夕飯弁当。これが美味かった。僕は美味いのは知っていたけど、参加者の人からも好評だったのが嬉しい。

交流会は、最初に部長である僕から挨拶と自治区の事、自治区ときめきプランに基づく、部の方針などを説明。

その後、辰吉さんにファシリテートをお願いして、参加者の中から選んだ4人の移住者さんたちとのディスカッション。誰を選ぶか、副部長の啓佑と打合せして、結局、m-easyから誰かということで、ナベに来てもらいたかったけど、仕事で間に合わないので、奥さんのさとみちゃん。

新しい移住者の形として、地域面談を経て入居、普段は豊田市内へ通うサラリーマンの太陽君。

空き家情報バンク制度が始まる前に、独自で移住してきたGさん。そして僕だ。

さすが辰吉さんという話、まとめ方。自治区全ての人が対等であり、ある意味、みんなが移住者でもあり、本来区別する必要も無い。同じ自治区民であると言われて、ハッとした。

つい、人を区別し、レッテルを貼り、データの中に閉じ込めようとする。それを反省できた。

聞いていた移住者さんたちは、自分に当てはめ、自分事として言葉を紡いでいたようだ。

後半は啓佑が仕切って、全部の移住者さんたちから、1分間で思いを語ってもらった。

あらかじめ、すべての移住者さんたちにはアンケートを送り、回答をもらっていて、その集計結果を配り、それぞれのアンケートの回答を確認しつつ、みんなの声を聴いた。

啓佑の自治への想いも伝わっていたようで、それぞれが自分の言葉で語ってくれた。啓佑らしい進め方。よく頑張っていた。

最初の挨拶の中で、自治区の行事である事から、個人への誹謗中傷、政治の話、個人の利益になるような話についてはやめようとルール設定しておいた。それを言いたいのなら、自分で場所を作り、人を集めて話せばいい。

だけど、ルールを守れない人はどこにでも居る。的外れな自慢話、個人事業の宣伝、わざわざ誰か特定できるように悪口を言う。それをマイクで発表するって、どんな神経してるのか疑う。実はその三人がそんな話をするのは予想していたんだけど、ルールを聞いて控えてくれるかな?と期待したけどダメだった。もちろんそれぞれの事情もあるだろうし、大声で自慢したかったんだろう。

公然と吐き出したいほど傷ついたんだろう。けれど、僕は両方の言い分を聞いている。嫌な事を言われたと、深く傷ついた側にも大きな原因があると思う。僕は両方の人を知っているので、冷静に判断すれば、言われた方(昨日の参加者)に問題があると、個人的には思っている。

和気あいあいと、ちょっと真面目に自治区の未来を語る会にしたい。個人の想いを吐き出す事もして欲しかったけど、それは誰かを特定して悪く言うことや、どや顔で自慢話をするよりも、自分事として、この地域が良くなるための発言であって欲しい。僕らがそれを上から言うほど偉くはないけど、主催者として、参加者さんたち全員の言葉が聞きたい。決めつけたり、裁いたりするのは良くないけど、ある程度はコントロールすべき。

声の大きな、自分で活動できる奴は、自分でやればいい。

普段、無口で寡黙にコツコツと頑張っている人たちの声を聞きたい。その意見や提案を少しでも形にするのも仕事だ。

定住の事を長くやっていると、地域の人たちがどんなタイプの移住者を望んでいるか見えてくる。それは、地味だけど愚直に、穏やかに静かに暮らし、地域の人たちを家族のように扱う人だ。自意識過剰な承認欲求の塊のような人は来て欲しくないのが現実。僕が部長をしている間は、そこを最重要項目として、少しだけ地域側に傾いて続けてゆくつもりだ。

ルール作りと、会の趣旨については書類で配るべきだったかもしれない。来年もやりたい行事なので、反省。

全体としてはいい会だったと思う。

準備などで部員が動いてくれたし、会場を提供してもらったしきしまの家。ファシリテートしてくれた辰吉さん。実際の仕切りや、準備で走り回ってくれた啓佑。弁当作ってくれた成本さんとスタッフさん。そして、何よりも地域のみなさん。

みんなのおかげで無事に終わってホッとした。

このところ、毎日木こり仕事でクタクタだったけど、昨日の交流会を主催、運営したことのほうが疲れた。

今日は道具手入れと、家の掃除など。明日からまた現場。

筋肉痛は続いているけど、現場は「稼ぎ」定住促進部の行事は「仕事」。どちらも頑張ろうと思う。

本懐

去年、知立の神社で伐って運んだ松。

その松が何十年も生きて来た場所にある、神社の改修工事に使われる事になった。工場で梁サイズに挽いて、数か月天然乾燥した後、先輩の禎一さんの低温乾燥炉で更に乾かしてもらった。

それは僕が提案した事なんだけど、受け入れてくれた施主、設計士、そして宮大工さんに感謝だ。

文化財クラスの神殿改修なので、使う材料は樹齢数十年の目粗材は無い。それでも、せっかくだからと使ってもらえる事になった。まだ具体的な使用箇所はわからないけど、ストーリーが入ったその松は、大工の手によって建物に溶け込むんだろう。

2日前に、その大切な仕事をしてくれる、宮大工の棟梁の刻み場へキャンターに積んで直接届けた。工場から1時間半程の場所。

受け取った時の大工さんの表情が見たいから、こうして自分で配達する事にしている。正直、ドキドキするし、怖い面もある。プロとして、プロに材料を届けるんだから。

岳ちゃんと行った芳名板の設置の日、設計士さんから紹介してもらい、名刺交換も済ませていた。キリっとした印象の、仕事のできそうな大工さんだった。

届けた木を見る表情は真剣だった。

半年間、工場の屋根下、馬の上で静かに乾かしたんだけど、やはり松。捻りが出ている。木口含水率は30%ちょっと。

ここで製材機に載せて面(ツラ)を取れば、矩は出る。それを届けるのが普通なんだろうけど、木の成り、含水率を考えるとまだ捻る。だからあえて、今回はこのまま搬入した。含水率を含めて、捻りも正直に棟梁に見てもらった。

そして、「キッチリ使わせてもらいます」とニッコリ。

棟梁は、「そもそも含水率なんて当てにしないし、まだ時間があるので、捻らせてしまいましょう」と。

普段使っている材料は無節で目が詰んでいる高齢材。目粗の若い木を使う事はほとんど無い人だ。でも、この松が神社境内にあった事を考えて、それを生かそうとしてくれている。むしろ、それを楽しもうとしてくれていた。

相手は生き物だと、当たり前のように考えている人だった。

こんな大工さんが建てる神社仏閣は、それこそ数百年、神や仏が心地よく棲める建物になるんだろうな。

届けた材は、芯持ち5m、4mと短い芯去りモノを6本。あっと言う間に降ろし、刻み場へお邪魔した。そこから1時間半も話しこんでしまった。貴重な時間を頂いた。

僕自身、大工さんの話を聴くのが大好きだし、大工さんも、この変わり者の木こり・木挽きの話を面白がってくれたり、共感したり。

伐り・出し・積み込み・運び・刻み・挽き・乾かし・配達まで。どの行程も、人に任せたくない厄介な性格のおっさんです。

「俺はこんな仕事しかできないけれど、この仕事は俺にしかできない」

これだけは自信持って堂々と言える。何とも気持ちのいい仕事だった。

小規模の、吹けば飛んでしまうような個人事業主だけど、これが俺の仕事です。

職人として想う事。それは、名前など残らなくていい。仕事を残したい。

それが信条だから。

午後は工場に戻って、窯の相手。どちらも本懐です。

写真は僕の工場で馬に載っている芯去り材。製材機の向こうにあるのが、芯持ち5mと4m。

ここであらたな命を吹き込んで、生まれた場所へ戻る松たち。

目の詰んだ高齢材は、良い材木になって当たり前。

僕の役割は、間伐施業で出した目粗材を、丁寧に扱って、大工さんに渡す事なんだと思う。今回の宮大工棟梁とは、実際の仕事で繋がる事は少ないだろうけど、とてもいい話を聴かせてもらったし、やっぱり木はいいなって思った。

一日に何㎥伐ったとか、挽いたとか、数字優先で大きな仕事をするより、一本一本、目を見ながら丁寧に。

小さな仕事を、完璧主義より、完了主義で積み重ねる手法。

これからの時代にこそ、大事な要素だと思うんだけどな。

こんな暮らし

山あいの、製炭と製材 工場で煙を上げる暮らし。

収益は少ないけど、山の恵みを頂いて豊かに生きられる実感と、山河に抱かれる絶対的な安心感。

62歳にして、微塵の後悔もない(反省は多々あるけど)今この時。

窯も自分で打ち、炭の原木も、木挽の原木も、木こりとして伐り出して来て、この場所に集約してある。

もちろん、仕事も暮らしも、一人では成り立たず、いつも誰かの助けを借り、心配りをもらってようやく、細々とやっている。

毎回、窯を焚いている時はこんな事をしみじみと想う。

「火(太陽)」、「風(空気)」、「土(地球)」、「水」。

四つの神聖な存在は確かに自分の周りにあって、それを意識してみると、お金だけじゃない豊かさは、誰でも享受できるんだと気付く。

それを教えてくれるのが、山河の存在なんだなあ。


日々の仕事

お世話になっている人から山を預かり、間伐仕事を請ける。

伐った木を生かそうと、10年前に自分で製材も始めた。その木がどこで生きてきたかハッキリとわかる。トレーサビリティを問われたら、伐り株まで案内できる。それは僕自身の軌跡を示すことになる。

伐り旬を守り、新月前の一週間に拘り、伐った木は出して使うのを前提で、搬出の段取りを考えて寝かせる方向を見極め、そこへ丁寧に倒しこむ。自ら搬出、運搬までやる事で、木を一本使い切る。できるだけ裏(先端)まで出す。僕の家は薪ボイラーで給湯しているし、本業である炭やきの焚き物となるから。

伐採後は大地へ委ねて木を乾燥させる。命を奪ったのは僕だ。それを大切に使わせていただくんだ。

「いただきます」とはこのことだ。生きてきた場所で、静かに乾燥を進めた木々たちは穏やかに乾いてゆく。葉枯らしといって、伐ったら枝払いせず、そのまま森の中に寝かせておく方法だ。

葉っぱは生きているから、陽が当たれば光合成して、蒸散を続ける。根っこから水を吸えないので、木は静かに自らの水分を抜いてゆく。お米のはざかけと同じ。父なる太陽の力で乾燥させる。

スギで最低3ヶ月は葉枯らしする。ヒノキはもう少し短くてもいい。葉枯らししたスギは、赤身が素晴らしい色になるんだ。水分は木の生体能力である程度(木口で30%台)抜け、大切な脂分は木に留まるからだろう。

木は、製材(木挽き)してから時間が経つほどに美しく姿を変える。木にあらたな命を吹き込むのが「木挽き(こびき)」だ。

たとえば二股の木。これを市場へ出しても二束三文でしか売れない。トラックに積むにしても、一番上に積む段取りをしなきゃいけない。そもそも、二股を市場へ持ってゆくことが無い。股の部分は切り取られ、現場に置かれる。

木挽きを始める前の僕なら、薪にするか、木の駅プロジェクトに出荷してしまう木だった。

でも、今は違う。一本の木を、元から裏までできるだけ使いたい。それは、植えた人の思いだから。

その木の命を絶ち、最期に立ち会った、伐った木こりの願いだからだ。

その山から巣立って行った木々たち。名古屋へ、岡山へ、静岡にも行った。

普通の3倍以上手をかけても、3倍の値段では売れない。けれど、その想いが篭った木々たちに値段をつけて、僕は稼がなければならない。相場や流通が決める値段ではなく、挽き終えた木そのものの価値を見て、僕の経費、山主さんが植えて育てた経費をいただけるような価格に。当然、高い木になるはずだ。お金を払う人が(家を建てる人が)、お金を使って幸せになるような木を出してゆくこと。それが僕の仕事なんだ。

仲間に手伝ってもらいながら、しかし基本的には一人で仕事しているから、経費は知れている。

僕自身、お金を稼ぐのが一番の目的で山へ来た訳ではない。暮らしてゆく最低限稼げればそれでいい。毎日山の空気を吸い、山の懐で働き、山のめぐみをいただき、火を焚き、山に抱かれて眠れたら、それでいいんだ。

伐り旬・新月期伐採・葉枯らし・目切れ無し製材・天然乾燥(AD)と、木が立っている状態から、大工が使える状態にするまで僕の手でできるだけ丁寧にやっている。

「すごいですね」って褒めてもらうけど、「すごい」のは山河であり、木々たちであって、僕ではない。

僕を褒めてもらうよりも、僕が出した木を褒めてもらう方が嬉しい。僕がやいた炭を褒めてもらう方がいい。

木は、母なる地球(大地)と父なる太陽(宇宙:そら)が育てた。何十年もその場に留まり、風雪に耐え、空気と水を育む森を造り出す。

密やかに、力強く、堂々と。僕はそんな木みたいな人になりたくて、毎日木に向かっているんだと、いつも考えている。

稼ぎも少なく、地味な暮らしだけど、毎日充実していて幸せです。それは、山のめぐみ。木々たちのおかげです。

名も無き山の頂に棲むという神に見守られ、僕は大怪我はしても、死ぬことは無く生かされている。

この意味はなんだろう?って、山に問いかけても答えてくれない。

僕がどんなに山を愛し、足音を山に聞かせても、山の木々たちには、必要とされていない。それが宇宙の真理・法則なんだと思う。

そんな事を日々考えている炭やき・木こりがいてもいいですよね。