自由って

「あんたは自由でいいなあ」

今まで何度も言われた言葉だ。

「よほど金持ちなんだね」

とも言われる。

どちらも違う。

毎日、自分の段取りで仕事をしたり、仕事をしなかったりする姿は、「金と時間に余裕がある」と見られるのだろう。

時間はあるが、金は無い。笑っちゃうほど貧乏です。

今月の支払いを、先月の稼ぎでギリギリ何とかしてる。食べ物は質素。人からもらったもので食いつなぐことが多い。

でも、幸せなんだな。

すごく不安定な暮らしだけど、心配はしていない。この先も大丈夫だと思ってる。

反省はするが、後悔はしない。と心がけてる。

できるなら、苦労は見せずに淡々と生きてゆきたい。

「誰かからどう見られるか?」でなく、

「己がどうありたいか?」

愚直に仕事と向き合い、喰らい、眠る。

山と木に遊ばれている毎日は充実しています。

自由であること、それは望み通りのことが出来ることではない。

 出来ることをやりたいと望むことである。

命のリズム

毎日太陽が昇り、沈む。

その位置が日々変わってゆく。

でも毎年、同じ日に、同じ位置に戻る。

一年で季節を巡る。命のリズムの繰り返しだ。

そのリズムは、母なる地球が、父なる太陽の周りを大きく回るときのリズムだ。

今日も山の稜線に、太陽が姿を消してゆく。

太陽の動くスピードは、悠久の昔から変わらない。いや、太陽は動かない。

この地球が回転するスピードだ。地球が自転するときの小さな命のリズムだ。

宇宙にぽっかりと浮かんで、堂々と回転しているこの星。

時計を外して、そのスピードを自分の身体とシンクロ(同期)させるんだ。

難しいことはない。それが本来の時の刻みだから。この星で生きる全ての命、森羅万象このスピードで回りながら、宇宙を旅しているのだから。

偏屈な炭やき木こりは、日々そんなことを宇宙(そら)に想い馳せながら、名も無き山の懐で暮らしているのです。

目標

僕は日々、自在でありたいと強く願っている。できる限りそうしているつもりだ。
以前、組織の中で理不尽な上下関係も充分に味わった。下も上もだ。その時は、誰かに支配されていた。指示を受け、それを期間内に全うすることが役目だった。
今は独り親方。週に数回は稼ぎに出て、外貨を獲得しているから、その間は組織の中で働いているけど、少なくとも、僕は支配されてはいない。時間当たりの賃金で雇われている形態。

何を言いたいかというと、今の僕は組織から離れ、自分の好きなことを、好きなようにやっている。少ない稼ぎで何とかギリギリ生きている。大好きな仕事をしている間は、時間を忘れ、まだ見ぬ7世代先の子孫たちと約束したことを、僕なりにやっている。

ふと、客観的に自分を眺めてみる。一体誰に従い、何のために仕事をしているんだろう。もちろん、稼いで食うこと。自分で見積もりを出し、危険な作業を繰り返し、運搬、納入、請求、回収。

誰の指示だろう?
誰に忠義を尽くしているんだろう?

幸せなことに、この答えはずっと前から知っている。
照れずに言えば、僕はこの地球に忠義を尽くしたい。

こんな僕を後押ししてくれる、愛する人たちを守りたい。

還暦まで数年のこのおっさんに、エネルギーを与えるのは自分自身であり、その源は山なんだ。

いつも考えている言葉が

「母なる地球、父なる宇宙(そら)」

僕はスピリチュアル系は苦手だけど、考えてみれば、この地球そのものが神秘的で、唯一の存在。ここにいることそのものが奇跡だ。濃尾平野に生まれ、育ち、いろんな経験をして、今は縁あって、矢作川の水源地で山と向き合っている。

誰のため?と問われたら、自分のため。自分がやりたいからやる。そのために、ここにいる。と答える。

僕は特別な存在ではなくて、どこにでもいるおっさんだ。

そんなおっさんがリアルに守りたい場所は、僕がガイドをしている原生林だ。大好きな場所だからこそ、手を入れずにただただ見守るだけ。
脱サラして、Iターンで山村に入って15年。15年で学んだことは、まだたったこれだけです。知識ばかり先行して、山を守るだとか、山を造るとか言ってた、生意気な頭でっかちがこの15年、身体を使って、汗をかいて、山の空気を胸一杯吸った。眠っている間も山の空気を吸っている。暮らしそのものが山の恵みだ。

我が身を山に置いたことで、ようやく知ったこと。

それは、自分の未熟さ、愚かさでした。

そして、名も無き山にも、神は棲むということでした。

僕が積み重ねた僅かなモノ「知識」は、僕がそれをこの手で考えるようになれた時に「知恵」へと変化するだろう。

今は、そんな時期だと思う。地味な動きだけど、微生物のように地べたを這い回る生き方。

それが僕の日々を支配する目標なのです。

僕は山が好きで、それを仕事にした。
街で生まれ、街で育ち、街で働いていたけど、42歳、男の本厄と言われる年齢で、山に身を置いた。それ以来、山を背に生きている。日々、寝ている間さえも山の空気を吸っている。それはこの先死ぬまで続くことだ。
僕は木を伐るとき、カンブチを立てかけて、山の神に祈る。
山そのものが大きな生命体だと思っている自分にとって、その象徴である木を伐って、その命を絶つということに対し、不思議と「悪い」といった感情はほとんど無かった。それで食っているから「いいこと」と自分に言い聞かせるという理由もあるだろう。
祈る相手はそれぞれの頂に棲む神だ。祈ることは、集落のお宮さんに対して祈ることと同じ。今、ここで好きな仕事をさせてもらっていることに対する礼だ。
木を伐ると言っても、人工林の間伐と、天然林の伐採(炭の原木調達)は違う。
どちらも山仕事で、木の命を絶つという行為には変わりが無い(厳密にいえば、針葉樹は確かにそこで終わりだけど、広葉樹はヒコバエが出ることもあるから、ちょっと違う)。
間伐仕事は、人が植えた木を間引くこと。育てて収穫して、挽いて稼ぎにする。畑仕事と同じだ(畑なら1年周期の仕事だけど、山はそれが数十年周期になる)。
広葉樹の伐採は、天然の木を伐り、それを元に稼ぎに変える。例えれば、山菜を採って、それを売るようなもの。山の恵みを頂くということ。
何かの講演を聴いていた時、講師(環境活動家だったと思う)が、木が倒れるときの音が悲鳴に聞こえると言った。僕はそう思わなかった。可哀そうだとか、友達だとか、意思があるとか、考えているとか・・・木を擬人化することには違和感を持っている。
スーザン・シマードさんが、脳を持たない植物同士、微生物を介して情報をやり取りしたり、日陰になる幼い木に、マザーツリーが炭素を分け与えたりするのを証明した。ただ、そこに思考や感情があるとは思えない。その山全体、全ての生き物が生き残るための情報をやりとりするだけ。山に生かされている僕は、樹木に対して心から畏敬の念を持っている。植物は、人間よりも崇高な生き物だと思うんだ。
土壌、微生物、植物・・・生態系ピラミッドの基礎。分解者と生産者としてすべての生き物のベースだ。だから植物は思考や感情を捨て去って、この星を支えるようになったんじゃないかな。と考える。
もしも植物が意思を持っていたら、彼らは人間を許さないと思う。

熱化学還元処理

57歳の僕にとって、僕の人生はまだ半分くらいの感覚だ。これからやりたいこと、知りたいことがたくさんあり過ぎてワクワクする。
そのワクワクがまた一つ、動き出した。
僕の本業は 木こり 炭やき 木挽き の3つ。
木こりから木挽きの流れの中で、ちゃんとした仕事(大工さんが適正価格で買ってくれる材を出すこと)をするには、木の乾燥がとても重要な要素なんだ。
今まで僕は、師匠の教えや自分で学んだことから、伐り旬(秋の彼岸から春の彼岸まで)・新月期(下弦~新月までの一週間)で静かに山側に寝かせたスギやヒノキを、葉枯らし(葉っぱを付けたまま山に置いて、木の生体能力を使って、木の芯から穏やかに乾燥させる方法。脂分が抜けず、色味も良くなる)してきた。それを丁寧に搬出して(主に僕のユニックで集材する)、目切れしない製材(高知の親方から教わった木挽き)を心がけてきた。天然乾燥だけが僕のやり方だと信じてきた。
一方、稼ぎとして捉えた時、天然乾燥に拘り過ぎもどうかと感じていた。施主が求める木材は多種多様だからだ。
けれど、KD(人工乾燥)と呼ばれる材だけは嫌だった。しかし数年前、ある乾燥方法を知った。それを開発されたのは、我が大師匠である杉浦銀治先生の古くからの友人で、15年前に矢作の日本一大きな炭窯のお披露目イベントでも来て下さった、野村隆哉先生だ。個性が強く、偏屈な先生だけど、今まで僕がしがみついてきた、狭い範囲の拘りを吹っ飛ばしてくれた。
まだ詳しく書けない部分もあるけど、「TCR(Thermo Chemical Reduction Method)=熱化学還元処理」を勉強します。
この処理をした木材は、割れにくく、反りにくい。しっかりと、しかも美しく乾燥する。削ってもササクレが出にくく、歩留まりが1.5倍になり(反りにくいことから、製材時に小さめに挽けるから)、柱材でも背割れが必要ない。今までの乾燥とは次元が違う。生き物である木に、還元状態の中で熱を加えることで、リグニンを柔らかくし、それをゆっくりと戻すことで、元々ある応力を緩和する。もっと詳しく書きたいけど、今はこの辺でやめておく。
何より、金曜日に先生の研究所に伺って、実際に処理をした材を目の当たりにした。すごく素晴らしいモノだったんだ。
樹齢数百年の銘木と言われる材ももちろんそうだけど、僕が請ける間伐で出した材(樹齢はせいぜい60年、目が粗く、まっすぐでもない。市場へ出せば立米8000円くらいの、三河ではどこにでもある木)に付加価値をつけて、きちんと建築で使ってもらうことこそ、僕の使命だと思うんだ。
もちろん、「タチキカラ」でやってきた「伐り旬・新月期・葉枯らし・柾挽き製材」は続けます。それが僕の芯になってるから。事業として見た場合、やはり後継者を育て、利益も出さなきゃいけない。設備投資するのだからそれは当然。それこそが、僕の本当の仕事だ。それを実現してくれるのがTCRだと考える。
もちろん、問題もあるだろうし完璧ではないけど、TCRの凄いところは、伐り旬も新月期もあまり関係ない。葉枯らしの必要が無い。
つまり、出所がわかっている木なら、それを買って処理すればいいということになる。
今回持ち帰った材は、よく見ると今までの常識が通じない材になっている。
数年後、僕のスキルとなって材を動かしているか、能力が足りなくて、処理した材を買っているか、それは僕次第。この処理をすれば、安くていい材ができるということではなく、それなりの対価をいただくく価値のある材に変わるということ。安価な大量生産とは反対の職人仕事を貫きます。
野村先生は、相当変わり者だけど、人として尊敬できる方でした。
この歳で弟子入りすることになった。先生の知識は膨大過ぎて、僕はそのほんの一部を学ばせてもらうだけだ。
先生の知恵は見えないくらいに深い。僕は僕のできる範囲で真似して、自分の手に覚えさせるだけだ。
野村先生からはすでに、いろんな言葉を学んだし、宿題もたくさんいただいている。
ジオスフィア、ガイア仮説、国家100年の計、熱振動・・・・ワクワクする言葉をたくさん教わっている。ロジカルで、サイエンス、バイオロジー。そして根底にある人としての優しさ、強さ。それを学べる機会を与えてもらったんだ。
結局、人の縁なんだ。
怪我をして動けない半年の時間が逆に、僕にチャンスをくれた。
この数週間、小さなことだけど、いろんなことが上手く回ってる。
57歳の小汚いおっさんは今、少年のようにドキドキしながら日々を送っています。
どれもこれも、神様と僕との約束だったんだな。

火を焚きながら

ボイラーを焚きながら、冬の夜空を眺めながら、考える。薪は全て、自分で伐り出した木だ。

いろんな人が、いろんな事を言う。デリカシーの無い、下品な奴もいれば、こんな僕に暖かい言葉を投げてくれる人もいる。

宇宙(そら)を眺めていると、本当の優しさとか、強さとか、人間らしさって何だろうと思う。

宇宙(そら)に想いを馳せ、自分の足元をもう一度確かめる。

自分のしている事に迷いは無いが、多少の不安は絶えず、影のように付いて回る。

百人の人にそしられても、
一人の正しい人に褒められるように。

百人の人に讃えられても、
一人の正しい人に笑われないように。

この言葉を思い出した。何かをしようとすれば、人はああだのこうだの言う。

「一人の正しい人」というのは、揺るぎの無い自分自身なのだと思う。

父なる宇宙(そら)は、無言で僕を導いてくれる。

窯焚き

日本一大きな窯の焚き口です。
炎がオレンジ色なので、1000度近い。
このオレンジ色の光と熱は、焚き物にした木々たちが何十年も光合成を繰り返して、幹に蓄えた「C」炭素と、高温で「O」酸素が酸化結合して(燃焼)、再びCO2として大気に放たれる時の様(さま)だ。
これはカーボンニュートラルと言って、元々木々が光合成した場所にあったCO2が再び大気に出るだけなので、大気中のCO2を増やしていることにはならない。
つまり、このオレンジ色の炎は太陽の光そのものなんだ。
高温で燃焼している木々からは燃焼ガスが放たれ、それはまるで太陽のフレアみたいだ。生き物のように炎が動き回る。これが窯の中に入ると(正しい手法で作られた煙突があれば煙は引かれて、熱が窯にきれいに行き渡る)、焚き口で酸素が使われているので、酸素が無い状態で熱だけが原木に届く。木々は、270度を超えた状態で酸素があると(酸化)燃焼、酸素が無いと(還元)熱分解→炭化を起こす。
そんなことより、この炎を見ていると、無心で無頼で無垢な気持ちになれるから不思議だ。やっぱり、父なる太陽と、母なる地球の恵みで大きくなった木々が僕に大きなエネルギーを与えてくれているんだ。
この炎は、焚き始めた24時間くらいの間だけです。後は、僕が作った窯が仕事をしてくれる。素晴らしい仕事と巡り会えた僕は幸せ者。
ゆうべは 夜中まで窯に居て、仮眠はしたけど眠くて仕方ない。今夜は早く眠ります。

いろいろと考える

一次産業に関わる者として、誇り高く仕事を進めることだ。山を守り、木を使うということは、水源地となる森林を守ることになる。流域は運命共同体であり、その最上流で、この手で考えながら仕事ができるというのはこの上ない幸せなこと。
僕にしかできない仕事をしています。お金は儲からないけど、とても豊かな暮らしを送れる。山の懐に抱かれて、そこで自分の能力を発揮できる。相手は地球です。絶対に勝てない相手。
畏敬の念と謙虚な気持ちで、山の恵みをほんの少し頂いて、それを糧に生きる。
地味だけど、地に足が着いた仕事。それが僕の自慢です。

大きな生命体のような、名も無き山が僕の周りに存在する。それらは目の前にある。足元に拡がっている。そこには命が満ち溢れている。頂には神が宿っている。

つまらない人間関係を忘れて、自分のしたいことに没頭できる環境に感謝だ

自慢です


ジブリの鈴木敏夫さんが旭に来て下さって、いろいろと話をさせてもらった時の様子が、ジブリ汗まみれというFMの番組で流れました。
僕の人脈ではありません。大工の中村武司さんが連れてきてくれました。
家宝ものの録音です。
バックナンバーから、2015年8月17日をダウンロードしてお聴きください。

年が明けて・・・

年が明けて、いろいろと決意やら、追われている仕事やら、気忙しい毎日。

ずっと前にノートに書いたこと。

「いくら浄化に贅を尽くしても

私たちは山が水を生むようには美しい水を生むことはできない

 とどのつまり、水を守るには山を守るしかない

 そして、その山を守るには、山を守る人を守るしかない」

僕の生涯の師匠である斎藤和彦から受け継いだ言葉だ。

今年は大きな変革だ。お金も使う。ありがたいことに、製材機移転と乾燥機設置には何人かの人からの、心から嬉しい申し出をいただいた。

自分の事業のことなので、全て自分だけで何とかしようと思っていた。それが男として、当たり前だと思って無理をしようとしていた。時々、ふとこの師匠の言葉が脳裏を廻る。

僕の目標は、愚直に山を守ること。

そんな僕を守ってもらえるような、真正直な仕事をすることも大切な仕事だと思うようになった。

独りで頑張らなきゃいけないけど、1人では何もできない。

58歳になろうとしているこのおっさんが、まだまだ働ける。そのありがたみも身に染みるような出来事が教えてくれる。

派手でカッコイイことはできない。小さなことを積み上げることしかできない。それが僕のスタイルだと静かに主張できるようになった。

「僕はこの仕事しかできないけれど、この仕事は僕にしかできない」

誰かと比べれば、やってることは中途半端でショボイ。

だけど、全く引け目や惨めさはないんだ。同年代の誰よりも貧乏だけど、この道で何とか食えてる。

稼ぎと仕事の狭間でもがくこともあるけど、半分諦め、半分開き直り。

まあこれでいい。

今年の抱負は「ほんの少し、人の情けに触れながら前に進む」ということにした。

と、去年の同じ日に投稿したんだけど、今年も同じ日に同じ投稿をします。それは、今年も竹さんがこの記事をシェアしてくれたから。

毎年、年が明けてすぐ。同じ決意を確認できることが嬉しい。変わらず頑張っています。一気に前にも進んでいないけど、ほんの少しだけ、前に進んでいます。

あらためて、今年もよろしくお願いいたします。