一次産業従事者として思う

僕は豊田市北部、北三河と呼ばれる地域にIターンし、山村で暮らしている。生業は林業だけど、僕は山の百姓になりたくて、田んぼで米も作っている。地主が高齢で、耕作を諦めた田んぼを2枚。1反7畝だ。
田んぼをやっている動機は、

一つは自分たちで食う米を作りたいという気持ち。もう一つは、田んぼは農村景観の大事な要素であって、耕作放棄地で荒れた状態になるのを見たくないという想いだ。
春、水が張られて、田植えが終わった田んぼは、美しい。
夏、稲が緑色に輝く田んぼは、美しい。
秋、穂が黄金色に垂れている田んぼは、神々しい。

米作りは思ったよりも難しくない。トラクター、田植え機、運搬機は地主所有の機械を無料で使える。稲刈りは、集落内でコンバインを持っている人にお金を払って刈り取ってもらっている。
刈った籾は、去年までは農協のライスセンター(籾摺り・乾燥をする施設)に持ち込んでいた。稲刈りの日朝、車で20分ほどのライスセンターにトラックで行き、運搬用の鉄製のコンテナを借りる。そこにコンバインから籾を入れてもらい、ある程度の量になるとライスセンターへ運ぶ。
ライスセンターでは、誰が(誰の田んぼで)、どれくらい持ち込んだかを計量、記録して大きな機械へ投入する。持ち込んだ量から計算されて、玄米となって戻ってくる。問題は、大きなライスセンターには一日に何tもの米が集まる。当然、それらは大きなサイロで混ざる。
つまり、自分の田んぼで作った米がそのまま戻ってくる訳ではないんだ。同じ地域とは言え、誰が作ったのかわからない米が戻ってくる。もちろん、銘柄(ミネアサヒ)は統一されている。
それが嫌なら(自分で作った米を食いたいなら)、自分で刈って、自分で乾燥させて、自分で籾摺りまでしなければいけない。バインダーを使って刈り、はざかけし、籾摺り機で玄米にするしかない。それは現実的には無理だ。
経費と時間を考えると、ライスセンターに持ち込む以外の選択肢は無いと言える。この「自分の米が戻ってこない」が、農家のモチベーションを下げていることは間違いない。
今年から僕は、もう少し小さな規模のライスセンターへ出す事にした。それは、集落単位で営農組合を作り、そこで補助金を確保して、籾摺り・乾燥機を設置した「押井営農組合」だ。そこは規模がちょうどいいので、自分の米が玄米になって戻ってくる。
「押井営農組合」では、「自給家族」という取り組みをしている。それはまた、あらためて書こうと思う。
今日書きたいのは、最近の米不足ニュースを見ていて思う事。
ニュースで取材を受けている人たちが口にするのは、米が無い、米があっても高いと。高くて買う気にならないと言う。表示された値段は、
10kgあたり5000円だった。僕はこの数年、米を買っていないので、スーパーの売値は知らないけれど、米を作る農家が、ごく普通に利益を出そうとすれば、1俵あたり3万円で売らないと、儲からない。大儲けではなくて、サラリーマンの初任給くらいの利益。それを出すためには、1俵3万円が最低ラインなんだ。1俵は60kgだから、10kgあたり5000円という事。
消費者が、高くて買えないという値段と、農家が最低限欲しい金額が同じなんだ。当然、農家に3万円/俵ならば、消費者が購入する金額は倍近くなるだろう。しかし、それが正しい値段なんだ。
僕の本業である林業。伐採・造材・搬出・運搬して得られる売り上げは、本来欲しい金額の数分の1しかない。
一次産業は儲からない。それはおかしいだろう。
本来、消費者が支払う金額というのは、一次産業者が経費を算出し、人件費、利益を載せて決めた売値(それが米なら 3万/俵、木材原木なら、10万/立米、製材・乾燥まで行って、15万/立米)に、卸しや販売店の利益をプラスして決められるものだと思う。当然、現在よりもずっと高いモノになる。
しかし、それが正常な対価。消費者側の「相場」という実態の無い化け物のようなところで値が決まり、流通側から順番にマイナスされて、一次産業者に降りて来る。それは間違いなく、一次産業者の赤字を意味する。
米も木材も同じだ。
ただ、僕も消費者であるから、自分が何かを買う時は安い方がいいし、特に仕事で使う道具などは、安い販売店を探す。「安さ」が正義なのだ。
ところが、生産者という立場になると、高く売りたい。
矛盾している。矛盾しているけど、これが現実。
政治が悪いとか、行政が怠けているとか、それを言っても仕方の無い事。僕は、自分ができる事を、自分のできる限り、頑張るしかない。

ただ、言える事はもう少し、一次産業者を大切にして欲しいと思う。

一次産業は、国の根幹である。食料自給率や木材自給率を上げる努力よりも、今一次産業で頑張っている人たちが、普通に生きてゆけるようなお金の流れを作れないものだろうか。

日々

とある人からラインで、「毎日忙しそうで、体調崩さないようにしてください」と優しい言葉をもらった。

実は、特にこの時期、あまり忙しくない。暑い事もあるけど、伐り旬まではまだ一か月あるので、急ぎでない限り、木こり仕事も請けない。

忙しい日もあるけど、個人事業主として稼いでるので、時間は自分が思うように使える(もちろん、朝9時から夕方5時で仕事終わりって訳にはいかない)から、酷暑の中、けっこうサボってます。

サボる時間を作るために、ある時間集中して作業している感じだ。

組織の都合でなく、金にはならないけど、自分の時間を自分で手に入れる。

丸一日、誰とも会わず、誰とも話をしていないと嬉しい。でもそれが数日続くと嫌だ。恐らく、B型の典型的なわがまま気質なんだろうな。

人からどう見られているか?を気にしないようにしているけど、人から見ると僕は「忙しい人」とか、「休まない人」とかポジティブな人間に見られているみたいだ。まあ、決してネガティブでは無いけど、飛び抜けてポジティブでもない。

24時間仕事と言えば仕事だけど、「仕事=ライフワーク」と「稼ぎ=ライスワーク」はバランス良く両方できるように心掛けている。

基本的に、やりたい事をやるし、会いたい人と会う。自分が背を向けたモノ(ヒト)に対しては、自分も背を向けられる事だけは覚悟している。

何年も前だけど、自分で書いた言葉が

頭を縦に振るのと、尻尾を横に振るのは全く違う。子供じゃない。稼ぎのためなら、多少のことは妥協する。だけど、誰に頭を下げるかは、自分で決める。損得じゃない。やりたいかやりたくないか、そのどちらかだ。

僕は工場や仕事場もそうだけど、周りの環境に恵まれている。まず、天国のお袋や親父、ジローを含めて、僕を優しく包んでくれているすぐ近くの人たち、住んでる集落の人たち、仕事の相棒、稼ぎの相棒、そして施主。

毎年の事なんだけど、伐り旬に入ってからのお客様に恵まれていて、今年もとても素晴らしい施主の家裏の伐採仕事を請ける事ができた。感謝しかない。

「反省はするが、後悔はしない」ように自分を仕向ける。

朝晩はめっきり、涼しく秋の気配で、借りてる田んぼは、田植えが遅かった事もあって、日陰側がまだ夏の色だけど、日当たりのいいところは秋の色になっていて、そのグラデーションが美しい。それが毎日少しずつ変化しているのを目の当たりにして、足元から実感できる事の充実感は、現場で汗をかいた者にしかわかるまい。

長い間、デジタルな世界(言ってみれば「1」か「0」しかない簡単な世界)で食ってきて、今は全く儲からない一次産業に身を置き、金があった頃に比べて、確かに貧乏だけど、決して貧しくない、毎日奥深い日々の暮らしが幸せなんだ。

金は無いけど、米と薪はたっぷりある。これがどれほど豊かな事か。これも僻み半分だけど、金持ちにはわかるまい。

来年一年間食う米を毎日気長に育て、来年一年分の焚き物を確保する。

その次の一年分は来年の頑張り次第で、済んでしまった過去に囚われて考え込んでる時間があれば、来年の焚き物を作るために木を伐る。来月の支払いを済ませるために、木を挽く。年を越すために、炭をやく。

考えてみれば、すごく複雑でメリットがあるか無いかよくわからない事だし、リスクたっぷりだけど、敢えてそれを単純に積み重ねてみる。手を動かし、手で考える事を習慣にしてみる。

小さな成功を積み上げることしか、明るい未来に続く方法は無いって事だけは、自信を持って言える。

午前中は工場でいろいろやって、昼飯は家で自炊。昼飯食ってから、木酢液たっぷりのぬるめの薪風呂に入って、コーヒー飲みながら書いてます。夜の会議まで、ちょっと昼寝してエネルギーチャージ。

山河にて

何気なく安部恭弘聴いてたら、「川は海を目指す」って歌詞に惹かれた。

僕が木こり、炭やき、木挽きになろうとしたのは、真面目に水源地の山河を守りたいからだ。

山が命の水を産み出す場所だから、全ての源だと思うから、僕はそこを仕事場にしたかったんだ。

大いなる海の水は蒸発し、風に乗って運ばれ、山肌の上昇気流で雲になり、山に降り注ぐ。その水は、天然林ならたっぷりの腐葉土に染み込み、何年も何十年もかけて、沢に集まり、川となって海を目指す。その動きは、重力によって引き寄せられる、1Gのチカラで地球の中心に向かって、高いところから低い場所へ向かって引っ張られる事。母なる地球の真理である。

決して抗うことのできない、大きな力に身を委ねるということ。その中で、自分ができることをすれば良いのだ。

その輪廻のような繰り返しが、森羅万象の命を繋ぐ、それは命の水だ。

地球上の水の絶対値は変わらない。それこそ、宇宙の真理なんだ。

僕がそんな事を考えるようになったのは、師匠の教えもあったけど、20代で読んだ北山耕平さんのネイティブ・アメリカンについての書籍の影響がとても大きい。

ルーツを辿れば、僕らと彼らは同じだと聞いたこともある。環太平洋理論では、同じ血が流れている人たち。だからなのか、今最も大切にしなきゃいけない事が書かれていると思った。

それと、流域思想、山仕事、炭やき、木挽きがシンクロして、混ざり合って、今の僕が成立っている。

「仕事=ライフワーク」と「稼ぎ=ライスワーク」の狭間でもがき、何とか日々生きているのが現実。

「スマートでカッコイイ」の対極にある、「ドン臭くてカッコワルイ」姿です。

でも、それは嫌じゃない。

小汚くて小太りの還暦過ぎのおっちゃんだけどむしろ、誰にも真似できないことをしている(誰も真似したくないかもしれんけど)という自信も自覚もある。

少なくとも、この丈夫だけが取り柄の身体が動くうちは、黙々と働こうと思うのです。

お盆の時期、いつもとは違う雰囲気(里帰りしてきた子供たちの声とか、普段見ない車が停まっていたりとか)だ。

落ち武者たちが開いたと言われるこの部落には、先祖たちの魂が舞い戻って来ているかもしれない。

暑さで僕たちの思考が動かない日中でも、確実に植物たちは細胞分裂を繰り返して、大きくなってゆく。毎日見に行く田んぼの稲は、毎日少しずつ成長しているのがわかるんだ。

工場には樹齢200年超えのスギの原木がある。この目(年輪)一本一本がこのスギが生きてきた歴史。芯に近い部分は江戸時代に生きていた部分だ。

200年も同じ場所に居続けて生きてきた木。絶えず動きながら、絶えず形を変えながらこの星そのものである山河。

その両方を相手に食わせてもらっているちっぽけな自分。

それを考えつつ、宇宙に想いを馳せる日々。今夜はペルセウス座流星群の極大日だ。夜中に外へ出てゆっくりと眺めてみようと思う。

もう一つの「仕事」

昨日は旧旭町管内(豊田市役所旭支所管轄)の定住委員会だった。定住委員とは、各自治区(5自治区)から二人ずつ選任された定住委員が集まり、移住定住について、支所を交えて進めようという組織だ。

去年度、僕はそこの副委員長を拝命していた。

今年度は、会長としての任務を頂いた。

昨日、その選任がされ、そのまま会長として会議を行った。他のメンバーは大先輩ばかり。そして、「ヨソモノ」は僕だけだ。

この地へ移住して15年。「移住者」として、「地域のおっさん」として、両方の立場がわかる人間であると言う事だ。

僕が住む自治区(敷島自治区)では、「定住促進部」があり、僕は数年前から部長をしている。旭地区定住委員と定住促進部部長は兼任すると決まっている。

できる範囲で頑張ってみるつもり。同じ自治区の定住委員は定住促進部副部長の啓佑だ。

「定住委員会」の後は、続いて「定住担当連絡会」だった。各自治区の二人ずつの「定住委員」をバックアップする形で、各町に一人ずつの「定住担当」が配置される。その全体会議だ。当然、僕はそこでも会長として仕事をする事になる。

「会長」って、かなりの重要な立場だ。真面目に取り組むつもりだ。

無報酬なので、これこそが「仕事」だ。

夕べの会議はせっかく、各自治区から定住に関して選ばれた人たちが数十人も集まっているので、敷島自治区での取り組みの一つである、「地域面談ガイドライン策定」について話をさせてもらった。旭地区では5自治区あって、それぞれが独自で「部」を持ち、自治区民のために働いている。

「定住促進部」があるのは、敷島自治区だけ。何だかんだ、10年以上関わってしまっている。少なからず、ノウハウや実績もある。

僕が部長になってもう、4年。部長になってからすぐに取り組んだのがこの、「ガイドライン」だ。

手始めに、自分の住む集落で作ってみた。全員が意見をくれた。「どんな人に移住してきて欲しいか?」「どんな人には移住してきて欲しくないか?」を基準に作った。

それはどう見ても、地域寄りのガイドラインで、移住希望者に対し「こちらのやり方に合わせてくれ。さもなければ、入居を認めません」が明確に表してある。賛否あるだろうけれど、村人全員で熟考した結果だ。それでいいと思っている。

厳しめの、公平な地域面談を経て、契約・入居をしてくれた人に対しては、今度は最大限のバックアップをする。おせっかいなくらいに関わる。そんな地域の人たちの想いに応えてくれる人を、「地域面談」で選ぶんだ。

人を裁き、選別する作業。すごく疲れるけど、それを乗り越えないと集落の未来に多大な影響を及ぼす。だから、一軒の物件に対して、応募が一組だとしても、合格するとは限らない。事実、僕が住む集落では、ガイドラインに従い、NGを出した事がある。その後、再び空き家情報バンクに登録し、応募してきてくれた人に「地域面談」をし、集落全員一致で合格。入居してもらった。実はその人、一つだけガイドラインに外れた項目があったんだけど、人柄の良さを考慮してOKになった。

「移住者は土地を選び、地域は人を選ぶ」を実践する。

ガイドラインがあれば、それを基準にして、公平な判断ができる。つまり、「この人は受け入れたくないなあ」と、地域の人が感じたら、ガイドラインに従って事務的に判断すればいい。最終判断は地域の感情、印象を含めて家主に委ねる。せっかくこの地を選んでくれた応募者だから、それなりに扱う。つまり、しっかりと観察させてもらう。契約できなければ、家主に家賃収入が入らなくなる。それも事前に話して、納得してもらう。

応募者  対 集落全員 の構図だけど、これを乗り越えられない者には来て欲しくない。

「移住してきて欲しい」人を考えると、物静かだけど、周りと上手くやれる人。できれば、一次産業を生業としている人、少なくとも、田んぼや畑を引き継いで頑張ってくれる人。穏やかだけど、信念を持っている人。若くてパートナーも居て、人口を増やせる人。となる。

「移住してきて欲しくない人」は、その裏返しで、うるさく騒いで、周りに気を使えない人。一日中家に籠ってパソコン仕事している人。調子いいけど、いい加減で、すぐに考えを変える人。面談で闘うような態度を取る人もNGになる。こちらは真面目に質問しているのに、ヘラヘラと持論を展開して、自分に酔っている人。定年退職後の暇つぶしで、人口を増やせない人。もNG。

それを、定住委員会で話した。定住委員会は支所主催なので、当然事前打ち合わせで支所の担当者と話をして決めた。

俯瞰で見れば、ヨソモノが会長になって、偉そうに話している構図だ。それは自分でも充分にわかっている。

行政、自治区共に過疎対策として、移住を進める事は決まっている。豊田市には空き家情報バンク制度もあり、補助金も出る。

移住者を呼びこんで、チヤホヤしてご機嫌を取るのが地域の仕事ではない。過疎対策で、地域外から移住してもらう事が目的になってはいけない。その「移住者」が、「定住者」となって地域に無くてはならない存在になる事が目的で、それが地域の「自治」に繋がる事が目標となる。それを手助けし、寄り添うのが「定住促進」だと思う。

実は、僕自身が同じ事をしてもらっている。「地域面談」では聞かれたくない事、迷っている事に対し、即答を求められた。地域の真剣さが伝わってきた。僕も真剣に対応した。その結果、契約して引っ越してきた。

するとすぐ、地域の優しさや暖かさ、少し厳しいアドバイスなど、愛に溢れた対応をしてもらったんだ。それは15年経った今でも変わらず続いている。集落が家族のような存在になっているんだ。

地域の先輩方を前に、偉そうな事を喋ってきた。ただ、それは「会長」として委員会でも取り組むように指示をするという事ではなく、あくまでも敷島自治区ではこのような取り組みをしています。という報告なんだ。

こちらが願うようには人は変わらない。リーダーが変わっても、簡単には変われない。変わる事を期待せず、淡々と伝える事が大事だと思う。それを聴いて、自分の自治区でも始めようと思ってくれる人もいるだろうし、諦めて何もしない人もいるだろう。会長だからと言って、そこまで配慮しなくてもいいと思う。前向きにやろうと思う人がやればいいんだから。

問い合わせや、文句がでたら、全速、全力で対応しようと思う。

病み上がりのカラダにはキツイ会議だったけど、行って良かった。定住促進部の相棒である、副部長の啓佑とも前向きな話ができた。

来週には部会を開いて、今年度やろうと思っている「移住者ミーティング」や、現状の空き家を把握するためのマップ、それを各町内で部員と町内会長がしっかりと把握する事。そんな事を話す予定。

自治区の部長は、僅かだけど報酬が出ている。それもありがたいこと。

真面目に頑張ろうと思う。

夏至の日に

全ての源である、父なる太陽が、僕たちを一年で最も長い時間照らしてくれる日。太陽は、どんな神よりも崇高な、厳かな存在だと思う。

体調は少しずつ回復してきているけれど、まだ本調子では無い。今日は掃除したり、データを整理したり、思う事を書き留めてみたり。

夕方になり、隣のお宮さんに行く。当然、誰もいない。1時間以上居たけど、車も通らない。夏至の太陽を独り占めだ。

夏至の日、お宮さんから見ると太陽は、亡くなった鋼二さんのヒノキ山の上にある。そして、ヒノキ林の中にゆっくりと沈んでゆくように見えるんだ。

何度も書いているけれど、あれは「日が沈む」んじゃない。母なる地球が堂々と回転しているそのスピードだ。40億年以上変わらず、同じスピードで自転し、公転している母なる地球。それを大きな中心で光輝きながら照らしている、父なる太陽。その様(さま)を想像してみる。宇宙に浮かんだ太陽、照らされる地球。

僕は無宗教だけど、古くネイティブアメリカンに伝わる、「父なる太陽、母なる地球」を深くココロに刻んである。

山仕事を生業とし、伐った木々を使わせてもらう。それこそ、太陽と地球が存在していなければ成り立たない。僕たち生き物が存在している事の、全ての源。

毎年、夏至は特別な日。そして、毎年同じ場所で眺められる幸せ。座っているのは、今年の春修復した框。僕が小原で伐り、運び、挽いたヒノキだ。

僕が暮らす集落では、毎年夏至の日に「中祓い」と言って、酒とつまみを持ち寄って、太陽に感謝する小さな集まりがあった。コロナ以降行っていない。

だから、この数年この特別な日は独りでお宮さんに来て、心ゆくまで太陽を眺める事にしている。

最近、良くない事が続いているけれど、夏至の太陽は確実に僕にチカラをくれた。今すぐ、木こり仕事ができるくらいに内なるチカラが沸き上がってくるのがわかった。もちろん、まだまだ大人しくしますよ。

太陽と、地球と、お宮さんの祠と、山の神に静かに一礼をした。

春の日に

何かと忙しい毎日。ふと山を見れば、淡い新緑と今年最後の花を咲かせる山桜たち。年に一度、咲きたいから咲くサクラ。年に一度の自己主張なのかな。

儚く消えゆくモノが愛おしい。

それを大切にするような生き方をしたいと、常々想う。

名も無き山の、人も行かないような斜面でひっそりと精一杯の花を咲かせる。木々には感情が無いから、木々たちはひたすらに生きる事を仕事としている。意志ではなく、本能で生きているはずだ。

自分もそうありたいと願うけど、人知れず誇り高く・・・と言いつつも、承認欲求は確かにあって、だからこうしてSNSで発信している訳だ。「いいね」は素直に嬉しいし、褒められると幸せ。

自分の目指す姿として、誰とも群れないし、褒めてもらわなくてもかまわないし、他人の評価など我関せず。ってありたい。

過剰な承認欲求と、思い上がった自己評価だけはしないと思ってる。

ふと、そんな事を山村の情景を眺めながら考えてる。

一時咲き誇るサクラを見ながら、山に想いを馳せるようなこの時間を持てる事が嬉しいし、家の前にある里山の営みがまるで自分の懐で静かに進んでいるような、そんな幸福感を感じている。

貧乏だけど貧しくないこの暮らしも、なかなか良いものです。

偏屈なおっさんの独り言

年度末。いつもなら何かと忙しく、落ち着かない日々なんだろうけど、確定申告も先月終わらせて、とりあえず現場仕事も落ち着いている。請けている仕事はあるけど、どれもコントロールできている。

この数日、雨で何となく頭痛がしている。

夕方家に戻り、薪ボイラー焚きながらあれこれ想いを巡らす。

見上げると、雲が切れて星が出ている。すっかり、春の星座になりつつある。早い時間には冬のダイアモンドが大きく展開していて、今シーズンはそろそろ見納めだなあって思う。

考え事していたら1時間も焚火を眺めていた。明日は貴重な晴れ間になりそうだから、先週伐ったサクラやケヤキを搬出。現場は家から100m。

かけがえのない時間を大切に、儚く消えゆくものを愛おしみたい。

宇宙に想いを馳せつつ、現実を見つめる。

思うのは、毎日焚火できる幸福。焚いているのは全て、自分で伐った木。僕が命を奪った相手だ。せめて燃やす事で自分自身を納得させている。僕に伐られた木々たちは、そんな事とは無関係に酸化と熱分解を繰り返している。木こりである僕は、木々たちを擬人化して「痛そう」とか「かわいそう」とは思わない。それこそ、僕が生きてゆくために伐らせてもらっている。よく、環境活動家が「山がかわいそう」とか、「木が泣いている」って表現をするけど、木々たち、山河はもっともっと崇高な存在。ニンゲンの所業など関係ない。「生きる事が仕事」である。僕は山は大きな生命体だと考えているけど、それにしたって、僕たちニンゲンのために存在している訳じゃない。「ありがたい」とは思うけど、「ありがとう」とは言わない。ニンゲンの方がずっと下等な生き物だからだ。私欲にまみれた汚い存在。そもそも、ニンゲンなんて、生態系ピラミッドから弾かれた存在。それは、自らの肉体を食物連鎖に捧げていないから。法律的な事もあるけど、火葬していることで、ニンゲンは消費するだけの愚かな存在に成り下がってる。

僕の個人的な見解だけど、土葬をやめた頃から、思い上がりと横柄さが現れてきたんじゃないかな。死んだら、その屍を微生物に捧げる事(土葬)で初めて、この星の環境に恩返しできると思うんだ。

それらをちゃんと考え、腹に落とす事をしなければ、この仕事は続けられない。多分、一生答えは出ないだろう。農業だってそうだ。育てた命を収穫して、糧にするのだ。一次産業とはそういう仕事なんだ。キレイ事や夢物語ではできない。現実に目の前の命を奪う仕事なんだ。

せめて、僕が相手の命を絶っているという事実を受け入れようと思っている。木を生き物として扱おうと決めている。それもあって、炭の原木も、製材の原木も、自分で伐って運ぶというスタイルを貫いている。大したことではなくて、普通ではないかもしれないけれど、僕にとっては当たり前だと思っている。

派手な活躍を自慢するより、日々の質素な生き方を密かに喜びたい。名も無き山の頂に棲む神に見守られて、誰にも知られなくとも、誇り高き炭やき人でありたい。

有名になる事や、金持ちになる事からは離れて、名も無き山守、水守として、ソローが描いた老人のように枯れてゆきたい。もちろん、金は必要だし、いくらあってもいいんだけど、有り過ぎても結局道具を買ってしまうだけ。

お金を直接もらうより、正当な対価が頂ける仕事が欲しい。儲けるより、いい仕事がしたいという欲求の方が強い。

などと、焚火しながら思い巡らせる。偏屈なおっさんである。

夜中に工場で

22年前の修行中、夜中に師匠の窯に薪をくべていた。静かに燃える炎を見ながら、俺はこの仕事で生きてゆくんだと、携帯も通じない山奥の、誰もいない窯の前で、静かに覚悟を魂に宿した。

そして今、やはり誰もいない工場の、自分の窯に火をくべながら、ふといろんなものを抱えてしまっていると気付く。

捨て去ることによって落とし前をつけるという方法が最も、僕には合っている。

もちろん、一つ一つのことにいちいち決着をつけていたら、逆に前へは進めない。終わらないまま、次のことを始めて、いろいろな事情を引きずりながら、それでも歯を食いしばって進んでゆくんだ。

重たくなってしまった我が身。

いっそのこと、全てを捨て去って、昨日に爪を立てて、今日を這いずり回り、明日に向かって吠えたい。

その想いとは裏腹に、今日も「稼ぎ」と「仕事」の狭間でもがき苦しむ。

窯に火を入れると、様々なことが頭を駆け巡るんだけど、小さな音で流しているジャズと、見上げた星空や闇に浮かぶ山々の稜線に心奪われる。

この星たちはこんなに美しいし、僕は毎日でも眺めていたいのに、あの星たちには僕のことなど関係ない。

木々や山河に馳せる僕の想いも、実は僕の自分勝手な妄想であることは知っている。

けれど、今していることはこれでいいし、小さな達成感だけど、誇り高き僕の「仕事」である。

窯が温度を上げて、そこから立ち昇る煙の匂いからいろんなことを考えてる。

時間に追われた日々から時々、真夜中に山村で煙を上げて、自分の行き先を確かめるのもいいもんです。

命のリズム

毎日太陽が昇り、沈む。

その位置が日々変わってゆく。

でも毎年、同じ日に、同じ位置に戻る。

一年で季節を巡る。命のリズムの繰り返しだ。

そのリズムは、母なる地球が、父なる太陽の周りを大きく回るときのリズムだ。

今日も山の稜線に、太陽が姿を消してゆく。

太陽の動くスピードは、悠久の昔から変わらない。いや、太陽は動かない。

この地球が回転するスピードだ。地球が自転するときの小さな命のリズムだ。

宇宙にぽっかりと浮かんで、堂々と回転しているこの星。

時計を外して、裸足で地面に立ち、そのスピードを自分の身体とシンクロ(同期)させるんだ。

難しいことはない。それが本来の時の刻みだから。この星で生きる全ての命、森羅万象このスピードで回りながら、宇宙を旅しているのだから。

偏屈な炭やき木こりは、日々そんなことを宇宙(そら)に想い馳せながら、名も無き山の懐で暮らしているのです。

明けましておめでとうございます。

今日(2月10日)は旧暦正月。先週が立春だったから、一番近い新月である今日が旧正月。全てが生まれ変わるような日。

24節気(太陽と地球の位置関係)と旧暦(地球と月の位置関係)が、この星で生きる動物として、宇宙の真ん中で全てとシンクロしている様(さま)を端的に、しかもダイナミックに表わす。

それ(無意識に感じる、月からの重力とか、太陽光の強弱だったり、明るい陽射しだったり、夜の暗闇だったり)がDNAに刻まれた本能を呼び覚まして、ココロとカラダを動かす。

回り続ける地球が生み出す、悠久から決して停まる事無く、脈々と粛々と流れ続ける時間。

何の矛盾も無い、絶対的な真理。それを想うと、何の不安も無くなる。単純にチカラが沸き上がってくる。